本物語
第81号 2025.3.31
再読,継読,気ままよみ(第2回)
沢田 誠二
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
最初に手にしたのは高校卒業前の休学療養所暮らしの時,「罪と罰」の後である。読み始めたものの途中で終わってしまった。数年前,米川正夫訳,河出書房世界文学全集31(昭和36年)版で精読し,最近もう一度読み返した。
物語は19世紀のロシア,西欧から新しい思想や科学技術が流入し,農奴制が崩れ,キリスト教も揺らいでいる時代背景の下,首都モスクワからかなり離れた架空の地方の町に住む成り上がり貴族で小地主のカラマーゾフ家で起こった当主殺害事件を,作家が見聞きし確かめた記録として,当主の経歴から,事件,被疑者裁判,判決とその後の顚末までを細かに綴ったという設定である。長大であるが,翻訳者解説では,物語はまだ半ばで,作者の急死によって未完に終わっているとのことである。
主要人物は当主とその腹違いの3兄弟,及び当主の私生児とされる下男である。当主は宗教心の無い欲深で色好み,子どもたちの養育には一切かかわらなかった。成人した長男は直情的性格,軍人になったが不祥事を起こして退役になるも放埓で堕落した生活から抜けきれない。首都の理科大学を出た次男は西欧の合理主義と無神論を聞き齧り,「神がいなければ,何をしても許される」と公言,一方では「神がいるのであればどうして虐待に苦しむ子どもや貧しい人たちを救わないのか」と主張する。三男は純朴で真面目,一時僧院で過ごし,そこの長老に気に入られるが,師の死後,師の指示により還俗する。神の愛によって人々は和解できると固く信じている。私生児の下男は小心,臆病,癲癇の持病を持つ何物も信じない存在である。
作家は上記5人にさまざまな人々を絡ませ,殺人事件を中心に様々なこと,宗教,思想,正義,蓄財,不正,色恋,嫉妬,愛憎,虚栄,自尊,貧困,狂気,献身,希望,民族のことなどを重層的に細かく描く。
長男は事件が起こった日,夜から深夜にかけての乱痴気パーティーで疲れまどろみ,夢に荒野をさまよう餓鬼を抱いた黒いやせ細った母親たちの群れを見る。無実なのに有罪,シベリヤ流刑の判決を受けて,神を讃えるヒムン(頌歌(しょうか))を唄う。神を否定する己の主張が殺人事件を引き起こしたと気付いた次男は,凍死しかかった酔いどれ農夫を助けることをしたが,幻想に悪魔が現れ議論,錯乱,ついに狂乱に陥る。次男の思想に共感していた下男は,指示されたとして,癲癇を装って主人殺しを行い,大金を奪ったが次男に渡し,「何人にも罪を帰せぬために…」と書き残して自死する。長老の死で神の啓示を得たと三男は貧しさの中にも誇りと希望をもって病死した10歳の子どもを悼んで己の行くべき道を決意する。物語はここで終わる。
物語の主題は「神はあるのか,無いならば何をやっても許されるのか」,更に「人は何のために生きるか」という,当時のロシア社会への告発を込めた問いと思える。告発は,教会の堕落を長老の死直後の奇蹟,吉祥とは裏腹の腐臭と愛弟子の還俗で,無神論をキリスト再降臨の例え話で,社会の行き詰まりを酔いどれ農夫や餓死寸前の乳飲み子を抱いた母親の群れ,病気や貧乏に喘ぐ退役軍人一家で,商人や高利貸しの狡猾を彼らのごまかしと太った女房で,貴族社会を虚栄と無意味な饒舌で,行政の腐敗を公金横領で,民族感情をロマやユダヤ,ポーランド人への侮蔑や蔑視で綴る。
物語は作者の経歴,特に無実ながら死刑判決を受け執行直前に減刑されシベリヤ送りとなった体験が強く働いている一方,創作につきものの辻褄合わせや,ロシアの風俗や習慣,十字を切るとか祝福,接吻,罵り言葉,ギラギラとか憎悪,狂気,ヒステリーなどの表現と言葉に満ちている。伝記作家は,ドストエフスキーはかなりの博打好きで,借金に追い立てられ,印税稼ぎのために作品をより面白く複雑に引き延ばしていたとか,朝の起き掛けに枕頭に置いた聖書を適当に開き,そのページの最初の詩句をその日の運勢にしていたとか記している。
ドストエフスキーは大正から昭和の日本の作家たちに多くの影響を与えたと思える。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は作中の「一本のネギ」とそっくりなところがある。ネギを更に長い切れやすい糸,キリストを釈迦に替えて見事にその含意,罪とは,許しとは何か,について深めた。藤村や太宰の作品に見える狂気や終末部の構成,更には谷崎の耽美の源流も「カラマーゾフの兄弟」に登場する気位の高い貴族の令嬢や庶民の中で揉まれ育った逞しく妖艶な美女にあるように思えた。
作家ドストエフスキーの苦悩と言える主題は,現代を生きる私たちにも依然問われているようだ。もしかしたらその問いかけは当時よりもいや増しているのかもしれない。神という造物主を否定しながら,何かしらのものを探し求めているからである。
最初に手にしたのは高校卒業前の休学療養所暮らしの時,「罪と罰」の後である。読み始めたものの途中で終わってしまった。数年前,米川正夫訳,河出書房世界文学全集31(昭和36年)版で精読し,最近もう一度読み返した。
物語は19世紀のロシア,西欧から新しい思想や科学技術が流入し,農奴制が崩れ,キリスト教も揺らいでいる時代背景の下,首都モスクワからかなり離れた架空の地方の町に住む成り上がり貴族で小地主のカラマーゾフ家で起こった当主殺害事件を,作家が見聞きし確かめた記録として,当主の経歴から,事件,被疑者裁判,判決とその後の顚末までを細かに綴ったという設定である。長大であるが,翻訳者解説では,物語はまだ半ばで,作者の急死によって未完に終わっているとのことである。
主要人物は当主とその腹違いの3兄弟,及び当主の私生児とされる下男である。当主は宗教心の無い欲深で色好み,子どもたちの養育には一切かかわらなかった。成人した長男は直情的性格,軍人になったが不祥事を起こして退役になるも放埓で堕落した生活から抜けきれない。首都の理科大学を出た次男は西欧の合理主義と無神論を聞き齧り,「神がいなければ,何をしても許される」と公言,一方では「神がいるのであればどうして虐待に苦しむ子どもや貧しい人たちを救わないのか」と主張する。三男は純朴で真面目,一時僧院で過ごし,そこの長老に気に入られるが,師の死後,師の指示により還俗する。神の愛によって人々は和解できると固く信じている。私生児の下男は小心,臆病,癲癇の持病を持つ何物も信じない存在である。
作家は上記5人にさまざまな人々を絡ませ,殺人事件を中心に様々なこと,宗教,思想,正義,蓄財,不正,色恋,嫉妬,愛憎,虚栄,自尊,貧困,狂気,献身,希望,民族のことなどを重層的に細かく描く。
長男は事件が起こった日,夜から深夜にかけての乱痴気パーティーで疲れまどろみ,夢に荒野をさまよう餓鬼を抱いた黒いやせ細った母親たちの群れを見る。無実なのに有罪,シベリヤ流刑の判決を受けて,神を讃えるヒムン(頌歌(しょうか))を唄う。神を否定する己の主張が殺人事件を引き起こしたと気付いた次男は,凍死しかかった酔いどれ農夫を助けることをしたが,幻想に悪魔が現れ議論,錯乱,ついに狂乱に陥る。次男の思想に共感していた下男は,指示されたとして,癲癇を装って主人殺しを行い,大金を奪ったが次男に渡し,「何人にも罪を帰せぬために…」と書き残して自死する。長老の死で神の啓示を得たと三男は貧しさの中にも誇りと希望をもって病死した10歳の子どもを悼んで己の行くべき道を決意する。物語はここで終わる。
物語の主題は「神はあるのか,無いならば何をやっても許されるのか」,更に「人は何のために生きるか」という,当時のロシア社会への告発を込めた問いと思える。告発は,教会の堕落を長老の死直後の奇蹟,吉祥とは裏腹の腐臭と愛弟子の還俗で,無神論をキリスト再降臨の例え話で,社会の行き詰まりを酔いどれ農夫や餓死寸前の乳飲み子を抱いた母親の群れ,病気や貧乏に喘ぐ退役軍人一家で,商人や高利貸しの狡猾を彼らのごまかしと太った女房で,貴族社会を虚栄と無意味な饒舌で,行政の腐敗を公金横領で,民族感情をロマやユダヤ,ポーランド人への侮蔑や蔑視で綴る。
物語は作者の経歴,特に無実ながら死刑判決を受け執行直前に減刑されシベリヤ送りとなった体験が強く働いている一方,創作につきものの辻褄合わせや,ロシアの風俗や習慣,十字を切るとか祝福,接吻,罵り言葉,ギラギラとか憎悪,狂気,ヒステリーなどの表現と言葉に満ちている。伝記作家は,ドストエフスキーはかなりの博打好きで,借金に追い立てられ,印税稼ぎのために作品をより面白く複雑に引き延ばしていたとか,朝の起き掛けに枕頭に置いた聖書を適当に開き,そのページの最初の詩句をその日の運勢にしていたとか記している。
ドストエフスキーは大正から昭和の日本の作家たちに多くの影響を与えたと思える。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は作中の「一本のネギ」とそっくりなところがある。ネギを更に長い切れやすい糸,キリストを釈迦に替えて見事にその含意,罪とは,許しとは何か,について深めた。藤村や太宰の作品に見える狂気や終末部の構成,更には谷崎の耽美の源流も「カラマーゾフの兄弟」に登場する気位の高い貴族の令嬢や庶民の中で揉まれ育った逞しく妖艶な美女にあるように思えた。
作家ドストエフスキーの苦悩と言える主題は,現代を生きる私たちにも依然問われているようだ。もしかしたらその問いかけは当時よりもいや増しているのかもしれない。神という造物主を否定しながら,何かしらのものを探し求めているからである。