本物語
第81号 2025.3.31
震災を乗り越えてできることは?②
井上 剛
2025年の幕開け。今年も,例年の通り初日の出を撮影しようと山元町の海岸に出かけた。早朝の路面は,若干アイスバーン気味。スピードは出せない。山元町の方角の空は,ほんのり明るくなっている。今年は,磯浜からの初日の出。息子と二人で,堤防の上から朝日が昇るのを待った。昨年同様,水平線近くには雲があったが,その雲の上から光彩がまばゆい光を放つ様子には力強さを感じた。2025年こそ,おだやかな一年でありますようにと,真剣に祈ってカメラのシャッターを切った。昨年の元旦の午後のようなことが起きないように,これからも祈り続けたい。日の出を見つめる多くの人たちも,同じことを祈っているようだった。
能登半島の人たちの困難な生活は,今も続いている。報道で取り上げられていないそれぞれの人たちの困難は,その後の豪雨災害も重なり,豪雪地帯の苦しみも重なっている。こんなにも重なるものなのかと思う。 1月17日は,阪神淡路大震災から30年。追悼集会に足を運ぶ人たちは,それぞれの30年をかみしめて,明日へ向かうために心を新たにしようとする人たちだ。このことを,今更ながら強く印象づけられた。東北の私たちは,これらの人たちにとてもお世話になった。心のケアをどうするか,生活再建をどうするか。その道筋を示してもらえた。
自分にとって,昨年からの一年間は,どうだったのかと振り返った。まずは,自分の無力感。中浜小の屋上で九死に一生の経験した被災者であったと強く自覚したこと。能登に馳せ参じたいという気持ちと,足がすくんで被災地に行けない自分の状況を,思い知らされた。しかし,何かできるはずだともがいた期間でもあった。現在は,自分が何をすべきか明快ではないものの,とにかく自分のできることを具体的な動きに変えていこうとしていると思えるようになってきた。
能登の人たちへの支援は,一過性ではなく,長く心を寄せて,その時々で必要なことを柔軟に行っていくことだと思う。これは,自分たちの経験からきた考えだ。今できることを,無理はせずとも継続することは,力になる。
一方で,南海トラフ地震を心配している地域では,日向灘の地震によって発せられた臨時情報注意で一気に危機感が増した。危機意識が高揚することで備えることは大切だ。しかし,注意報の解除後に明確に残ったのは,スーパーのお米が姿を消し,価格高騰したことだ。災害に備えること=非常時に備え,物を備蓄すること。これは大切なのだが,日頃から少しずつ備えておけば,こんなことは起こらない。
臨時情報が解除されても,南海トラフ地震の起こる確率は上がり続ける。これは,止めることのできない自然の力だ。小さな存在の人間一個人としてできることは、僅かだけれど,少しでも危険を回避する日頃からの備えや,小さな危険に気づく習慣を少しずつ手を抜かずに積み上げること(フェーズフリーと言うらしい)が,やっぱり大事だ。
東北の人たちは,次の大災害に備えて,準備しているように見える。しかし本当にそうなのか。実は,当分の間は,大きな地震は,起きないと思っている人たちも多いかもしれない。東北では,30年周期で次の大地震が繰り返すことを歴史的にも,科学的にも考えておかなければならない。したがって,今は「震災後」ではなく,「次の震災前16年」とカウントダウンする考え方にスイッチしていく時期に来ていると思う。
6月の地域防災訓練。息子と一緒にヘルメットをかぶり,非常用持ち出し袋を背負って参加した。そんな恰好をしてきた人は,一人もいなかった。一次避難所の公園に集まった人たちから,声には出さずともニヤニヤという表情が浮かんだ。シニシズムを感じた。これが実態だ。「なんて,大げさな格好をしてきたんだ」「未だに,防災ばかり言っている奴だな。」と言わんばかりだった。しかし,これは,予想通りの反応だ。これが,実態だ。これも周囲から浮いている存在にしか見えないかもしれないと思いつつ,言っておく必要があると思った。このままでは,いつか同じ経験を繰り返す。「皆さん,私は皆さんから笑われると思う格好を敢えてして来ました。でも,非常持ち出し袋を持って来るという行動は大事な訓練です。次回の総合防災訓練の時には,それぞれのご家庭で,何を袋に詰めてきたらいいか,家族で話し合って持って来てみませんか。日頃していないことは,いざという時にできるはずがありません。次の防災訓練は,自分でできる備えを確かめる機会にしていきたいですね。」次回の防災訓練で,私の言葉を覚えていた人,具体的に備えて背負ってくる人がどのくらいいるか,結果が楽しみだ。私の良くない予想が当たらないことを祈りたい。それでも,くじけずに伝え続けることが大事だと思う。
私ができることは,沿岸部だけでなく、内陸の身近なところでの活動も大事だということを再認識するところからだと気づいた一年だった。
能登半島の人たちの困難な生活は,今も続いている。報道で取り上げられていないそれぞれの人たちの困難は,その後の豪雨災害も重なり,豪雪地帯の苦しみも重なっている。こんなにも重なるものなのかと思う。 1月17日は,阪神淡路大震災から30年。追悼集会に足を運ぶ人たちは,それぞれの30年をかみしめて,明日へ向かうために心を新たにしようとする人たちだ。このことを,今更ながら強く印象づけられた。東北の私たちは,これらの人たちにとてもお世話になった。心のケアをどうするか,生活再建をどうするか。その道筋を示してもらえた。
自分にとって,昨年からの一年間は,どうだったのかと振り返った。まずは,自分の無力感。中浜小の屋上で九死に一生の経験した被災者であったと強く自覚したこと。能登に馳せ参じたいという気持ちと,足がすくんで被災地に行けない自分の状況を,思い知らされた。しかし,何かできるはずだともがいた期間でもあった。現在は,自分が何をすべきか明快ではないものの,とにかく自分のできることを具体的な動きに変えていこうとしていると思えるようになってきた。
能登の人たちへの支援は,一過性ではなく,長く心を寄せて,その時々で必要なことを柔軟に行っていくことだと思う。これは,自分たちの経験からきた考えだ。今できることを,無理はせずとも継続することは,力になる。
一方で,南海トラフ地震を心配している地域では,日向灘の地震によって発せられた臨時情報注意で一気に危機感が増した。危機意識が高揚することで備えることは大切だ。しかし,注意報の解除後に明確に残ったのは,スーパーのお米が姿を消し,価格高騰したことだ。災害に備えること=非常時に備え,物を備蓄すること。これは大切なのだが,日頃から少しずつ備えておけば,こんなことは起こらない。
臨時情報が解除されても,南海トラフ地震の起こる確率は上がり続ける。これは,止めることのできない自然の力だ。小さな存在の人間一個人としてできることは、僅かだけれど,少しでも危険を回避する日頃からの備えや,小さな危険に気づく習慣を少しずつ手を抜かずに積み上げること(フェーズフリーと言うらしい)が,やっぱり大事だ。
東北の人たちは,次の大災害に備えて,準備しているように見える。しかし本当にそうなのか。実は,当分の間は,大きな地震は,起きないと思っている人たちも多いかもしれない。東北では,30年周期で次の大地震が繰り返すことを歴史的にも,科学的にも考えておかなければならない。したがって,今は「震災後」ではなく,「次の震災前16年」とカウントダウンする考え方にスイッチしていく時期に来ていると思う。
6月の地域防災訓練。息子と一緒にヘルメットをかぶり,非常用持ち出し袋を背負って参加した。そんな恰好をしてきた人は,一人もいなかった。一次避難所の公園に集まった人たちから,声には出さずともニヤニヤという表情が浮かんだ。シニシズムを感じた。これが実態だ。「なんて,大げさな格好をしてきたんだ」「未だに,防災ばかり言っている奴だな。」と言わんばかりだった。しかし,これは,予想通りの反応だ。これが,実態だ。これも周囲から浮いている存在にしか見えないかもしれないと思いつつ,言っておく必要があると思った。このままでは,いつか同じ経験を繰り返す。「皆さん,私は皆さんから笑われると思う格好を敢えてして来ました。でも,非常持ち出し袋を持って来るという行動は大事な訓練です。次回の総合防災訓練の時には,それぞれのご家庭で,何を袋に詰めてきたらいいか,家族で話し合って持って来てみませんか。日頃していないことは,いざという時にできるはずがありません。次の防災訓練は,自分でできる備えを確かめる機会にしていきたいですね。」次回の防災訓練で,私の言葉を覚えていた人,具体的に備えて背負ってくる人がどのくらいいるか,結果が楽しみだ。私の良くない予想が当たらないことを祈りたい。それでも,くじけずに伝え続けることが大事だと思う。
私ができることは,沿岸部だけでなく、内陸の身近なところでの活動も大事だということを再認識するところからだと気づいた一年だった。