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本物語

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第81号 2025.3.31

若さの秘訣?!

倉持 晴子

 私が本誌主宰のS(本人の希望によりイニシャルで)氏と同じ出版社K社で机を並べていたのは,もうはるか昔,60年近く前になるでしょうか。 出産を機に退職してからは,年賀状のみのやり取りになり,電話をすることもなく,お会いすることもなく時が経ちました。そんな中,突然の原稿依頼を受け,どうしたものかと思い悩みましたが,80歳を過ぎどんな出会いも大切にしようと心掛けていることもあり,お引き受けすることにいたしました。
 とは言うものの何を書いていいやら……決めました! 「美魔女」というわけではないのですが,日頃,実年齢よりは14,5歳若く見られる!ごくごく平凡な私がどんな日常を送っているのかを書いてみることにしました。

 生活の軸となっているのは, 第1に赤ペン先生としての仕事, 第2に大好きな卓球,第3に家族の食を支える役目です。
 第1の赤ペン先生としての仕事は,子育ても一段落した40歳で始め,早40年。こんなに長く続くとは夢にも思っていませんでしたが,今となっては手が震え,目が霞むまでは続けたいと情熱を傾けています。40歳で始めた頃はまだ手を赤く染めて1枚1枚手書きでコメントを入れていたものが今ではパソコンの画面で子供たちの答案と向かい合い指導し,コミュニケーションをとる時代となりました。ただ手書きであろうとパソコン上のやり取りであろうと,答案の向こうにいる子供たちと1対1で向き合っていることには変りなく,いつも丁寧に取り組んでいる子が字が乱れ,まちがいも多かったりすると体調が悪いのか・寝不足なのか・友達とケンカしたのか,はたまた親に叱られたのかなどと案じることもあります。そんな気持ちが通じ,「先生,この間は心配してくれてありがとう。おかげでやる気が出ました。」などのお便りを受け取ると,この仕事をやっていてよかった!と思い,今後も1人でも多くの子供が学ぶことの楽しさを知り,チャレンジ精神を持ち続けられるような声掛けに努めようと自分自身も前向きになるのです。
 第2の大好きな卓球は,今となっては心身ともに最もモチベーションを上げてくれるものとなっているような気がします。今でも選手として競技に参加している者の中での卓球歴は短いほうで,大学の4年間と40歳からのクラブチームでの25年間の活動……では計算が合いませんね。実は65歳の時に右股関節を痛めてしまい,一時は大好きな卓球とも別れを告げようと思いながらも区の連盟での仕事を続ける中,名医に巡り会い,人工関節置換手術を受け,80歳で復活したのです。先日は,予選を勝ち抜き,15年ぶりに東京卓球選手権という全国大会に出場し,あられもない短パン半袖のユニフォーム姿で東京体育館で試合をしてきました。結果は1,2回戦を勝ち,3回戦で優勝者に負け,ベスト16どまりでした。負けは悔しいのですが得ることも多く,まだまだ精進しなければと熱い思いがフツフツと湧いてきました。この大会は90代の方々も元気にコートに立っています。日々規則正しい生活をし心身ともに健康であれば,自分もあのコートに立てるのではないかと,夢をいだかせるものでもあるのです。「ヒザが痛い,腰が痛い。」などと言いながらも,コートに立てばそんなことも忘れ夢中で白球を追いかける姿に感銘を受け,素晴らしい先輩に追いつき追いこせの気持ちを強くしたものです。そして,ドジャースの大谷選手が小さい頃から記していた「目標達成(私にとっては東京卓球選手権での優勝)のための努力目標」を書き出してみました。あとは,日々努力あるのみ!
 第3の家族の食を支える役目は,同居の娘夫婦が共働きでもあり,孫に食物アレルギーがあることもあって,私が担う大切な仕事になります。ただ単に買い物をし,料理を作るだけでなく,よりバランスの良いヘルシーでバラエティーに富んだ食事にすべくメニューノートも作成し,それも10冊を超えました。と言っても面倒なこともあり,時には「あなたたちはいつもホテル住まいでいいわネ!」などと嫌味を言ってしまうこともありますが,頼られていることはありがたいことです。自分の存在価値でもあると思えるからです。ちなみに今日のメニューは,牛肉とゴボウとコンニャクのしぐれ煮・菜の花のかつお節添えおひたし・自家製たくあん・豆腐とワカメとネギのみそ汁・五穀米です。
 三寒四温,ソメイヨシノが咲き誇る春が待ち遠しい今日も無事穏やかに暮れようとしています。明日からも究極の自己中(・・・),楽観主義で〝明るく,元気に,前向きに,丁寧に〟をモットーに日々努力を怠らないように過し,いつまでも若々しくありたいと思うものです。
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