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本物語

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第81号 2025.3.31

「リンゴ」,そのことから

小西 忠人

 新年早々,こんな記事があった。お隣青森県弘前市のJA アオレン(県農村工業農業協同組合連合会)が,製造過程で出たリンゴの搾りかすを「段ボール」に再生して,出荷用ケースとしてデビューした話だった。既に農業用資材などへの再生に成功しているというアオレンが,今回の試みは循環型社会に貢献する「リンゴ産業」を目指すかたわら,リンゴ農家を魅力的な仕事にしたいとの思いも込められているという。
 こうしたJAアオレンの取り組みが進んでいる時に1月下旬から2月中旬にかけて津軽地方を中心に降雪が平年よりも多く,積雪は弘前市で126センチと1月として観測史上最大を記録し,青森市,弘前市など11市町村で雪の重みで枝が折れたり幹が裂けたりなどの被害が相次いでいるニュースが飛び込んだ(2月13日現在)。今後も降雪が予報されるというが,被害軽減を祈りながらリンゴ産地青森の春を待ちたい。
 こう厳しい状況が続いている青森県だが,全国1位の生産量を誇る「リンゴ王国」だ。そこには環境や地形を生かしたリンゴ品種改良や栽培技術の開発に取り組んできた歴史性を思うものだが,その歴史性の中でも私が興味を抱いていたのは,青森岩手の両県の先人同士がコンビを組むことで「青森リンゴ」の危機が克服された事実があるという。ではその背景とされるのは何だったのか,そこだった。同県の県紙東奥日報社刊「青森県百科事典」によれば,リンゴ栽培に適した同県に「先覚者たちの学識と情熱に負うところが大きい」と記す一方で,青森県の「リンゴの中興の祖」と仰がれる外崎嘉七(とのさき・かしち,1859~1924)氏を挙げている。「リンゴを作るにはまず人間をつくれ」と主張して生産者の正しい考え方を教えた人物でもあると伝え,そして同氏がコンビを組んだ相手は我が郷土(岩手)の先人で,のちに「リンゴの神さま」と称される農学博士,島善鄰(しま・よしちか、1889~1964=花巻市出身)―。
 つまりこの両氏が協力態勢を組んだという背景には,明治後期から続いた「青森リンゴ」不作(病害による第2次生産危機といわれる)に同県が手を打ったのは,東北帝大札幌農科大学(現北大)で園芸学を修めた島(時に27歳)を県農事試験場(現青森県産業技術センターりんご研究所)の主任技師に招き,園地の整理,病虫害防除,地力の増進の三大事業を実施し,さらに施肥・剪(せん)定改善や薬剤散布暦など労働集約技術への転換を指導した。このとき年の差30もある外崎氏と力を合わせて技術体系を組み立て,これが日本の「リンゴ栽培技術成立」となったというものだった。
 同県の外崎氏や先覚者たちがリンゴの品質を支える粘り強さ,いわゆる“じょっぱり精神”が「リンゴ王国」の礎を築き,一方、我が県の島善鄰(以下,博士)が主任技師時代での「時間帯」そのものが本格的なリンゴ研究を深めていく第一歩だった―と私の勝手な想像だが,そんな気がしてくる。後年の博士は,弘前大の教授として農学部を開設している。ともあれ約11年間の県農事試験場勤務を経て再び同大に戻り,助教授としてそれまでの研究を集大成し,さらなる研究は広範にわたると資料,年表がそれを伝えている。実践を重んじたリンゴ研究の第一人者島博士に語られる話は剪定バサミを持ってリンゴ園を駆け巡る,そんな姿に「学者,木に登る―」だったという。   
 さらに博士のことになるが,博士が著した「リンゴの實際」を花巻図書館でふれたのは1月中旬だった。同書は昭和11年3月10日に初版,22年5月25日までの間に8度の増版本を重ねていた。新書版サイズにあたる210ページには第1章の概説から品種,苗木,剪定と袋掛,病虫害,採収及貯蔵,生産費など12章に立てて詳述している。例えば第4章の開園及栽植では「土質の如何に拘らず、果樹園は植造りの当初から土壌を改良し、病虫害防除、肥培、剪定等成木同様の手入れを施さぬと後年に悔いを残すものである」と事細かく指摘,一見,研究書を思わせるも,あくまでもリンゴ農家の利益に向けた“手引書”を旨とされ、かつまた博士の熱いメッセージにも思えた。
 その時での図書館職員から思わぬ話があった。1月26日まで花巻新渡戸記念館で「令和6年度花巻市共同企画展『リンゴ博士島善鄰』を開催」しているとのことだった。余談になるが,同記念館は新渡戸稲造の祖父41代の新渡戸傅(つとう)が花巻で育っている関係から記念館が建てられ,札幌農学校・北大で教鞭を執った新渡戸稲造,花巻生まれの初代北大総長・佐藤昌介,そしてその後輩島博士(6代学長)の3人が北の大地で,大志を抱いた3偉人のうちの今回は「島善鄰博士展」というわけだった。
 博士が大正12年にアメリカから導入したゴールデンデリシャスと紅玉との交配種が「つがる」「ジョナゴールド」として世に送り出されている。今や国内には2,000品種があると聞く。それもこれも外崎・博士ら先人の才智を受け継ぎ,さらなる品種改良によって,食味や形,硬度,糖度・蜜入りにこだわりがあるからこその数字と思いたい。「農は国の基なり」の言葉を残された島博士。改めてその言葉をかみしめたい。
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