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本物語

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第82号 2025.8.31

再読,継読,気ままよみ(第3回)

沢田 誠二

 大岡昇平「レイテ戦記」
 本書はアジア太平洋戦争末期の昭和19(1944)年秋から翌年の敗戦4ヶ月前の4月までフィリピンのレイテ島で行われ,日本軍8万4千,米軍1万5千人の死傷者を出して終わった戦闘について,作家大岡昇平が今から56年前(戦後24(1969)年)に小説として書き上げた歴史書である。
 後に誤報と判明した台湾沖航空戦大勝利の報を得た大本営はレイテ島を決戦場として兵1万8千を配備,同年10月米軍進攻,レイテ沖海戦,栗田艦隊反転撤退,神風特攻作戦開始,東岸から米軍上陸,沿岸部での激戦,陸軍は大部隊を投入するも守り切れず内陸へ移動,リモン峠の攻防,多大な損害を出すも1ヵ月余り防戦,山岳部脊梁山脈へ後退,山や谷にこもる持久戦になった。制空権は無くなり,通信困難,兵員と物資の補給は輸送中に沈められ前線には殆ど届かず,著しい兵員の消耗,弾薬と食料の深刻な欠乏,いくつかの単発的戦闘はあったものの兵士や将官の戦線離脱,逃亡,ゲリラの襲撃増加に至り,12月大本営はレイテ放棄を決定,転進命令,山下司令官は永久抗戦を訓示し組織的作戦終了,戦線はマニラに移った。「戦記」はここで終わる。

 厖大な資料と聞き取りをもとにした詳細且つ長大な作品である。理解不足を承知での本書への所感は・記述は時系列で多面,作戦司令から両軍の移動,戦闘と消耗,上級将校や下士官の保身と怠慢,兵卒の飢餓,離脱,逃亡,現地ゲリラまで,・作家自身が一兵卒としてフィリピンで戦い,捕虜体験を踏まえ,同じ戦場で死傷,餓死した兵士たちへの鎮魂,・〝私の息子,夫,父や兄が如何に戦い死んだのか〟との遺族の心情,・更に,戦後数年で再び同じ道へ進み出そうとしている国と国民への警鐘,・無益だった戦闘の現実を記録に残すべきとする作者の強い使命感,の結実である。
 長いエピローグは,敵司令官マッカーサーから自軍の参謀や将軍,戦争を陰で支えた巨大資本批判,両軍の戦傷死者集計,飢餓兵士の人肉食,民兵ゲリラ,戦禍被災のフィリピン住民への謝罪,歴史の粉飾に対する危惧と怒りである。「国家と資本家の利益のために無益な血がそこで流された。日本国民は強いられた戦いにおいて困難に耐え過酷な死を選んだ。司令官から一兵卒に至るまで悪徳と矛盾にも拘らずよく戦った。高度成長国家となって資本輸出とエコノミックアニマルの進出,自衛隊の膨張によって再び大東亜共栄圏の古い理想が復活している日本と共にフィリピンはアジアにおける最も不幸な国となろうとしている。レイテ島の戦闘の歴史は健忘症の日本国民に,他人の土地で儲けようとする時どういう目に遭うか,どんな害をその土地に及ぼすかを示している。死者の証言は多面的である。レイテ島の土はその声を聞こうとする者に聞こえる声で語り続けている」と結んでいる。

 作家の別作品「野火」に,5メートル先まで無造作に近づいてきた若いアメリカの兵士に草叢から銃を向けながら結局撃鉄を引かなかった場面がある。兵士であった作家は「なぜ撃たなかったのか」と自問を繰り返す。「縁もゆかりも、憎しみなど全くない人,肉親や家族を持っているはずである相手を敵であるからということで撃つことができるのか」という突き詰めた命題である。通読して理解したことは,戦争に関わる為政者や世論と最前線で生死を分ける兵士とは全く別のものだということだ。「もし,あなたがその兵士であったなら引き金を引くだろうか」という問いかけでもある。

 戦後いつごろからであったろうか,戦後処理、戦犯裁判やシベリア抑留兵帰還のころだったろうか,♪モンテンルパの夜はふけて…とか ♪今日も暮れゆく異国の丘に…という歌がラジオから盛んに流れ,子どもだった私は外地とか戦地に残された兵士たちの悲しい望郷の想いの歌と聞いていた。本書を読んでこの理解を少し考え直した。確かに前線で死闘から生き残って虜囚にされた兵士たちにとっては悲嘆と願望そのものであるが,戦争を焚きつけ遂行した当時の為政者たちにとってはこれら歌の流行は、フィリピンや中国での加害と為政者としての責任とを覆い隠し,国民に被害者意識を醸し出す都合の良いものでもあったのだ。

 「戦記」の発表はわが国の高度成長期と重なる。作家は経済に狂奔し過去を忘れようとしている時代へ警鐘を鳴らすべきと判断し本書を認めたのだ。相互理解ならぬ相互不信がいや増し,地域戦争は出口が見えず,「やられたらどうする」なる言葉が人々の心情を揺さぶっている昨今,歴史を振り返り学ぶべきことが多くなっていると思える。
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