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本物語

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第82号 2025.8.31

友 を 偲 ぶ

伊藤 研二

 A君からいつも来る年賀状が来ない。お互い年賀状に一言野球のことを書くのが決まりでした。無類の巨人フアンで長嶋が大好きでした。私への年賀状にはドラゴンズのことが書かれていました。今年こそ中日優勝とか,最下位脱出とか。待っても年賀状が来ないので携帯に電話してみたが返事がない。固定電話に入れてみたが誰も出ない。おかしいと思いY君に電話してみたがやはり彼から返事が来ないと言う。
 そうこうしているうち2月12日に息子さんから電話があり,父は暮れから体調を崩して入院しておりましたが2月13日に施設に入る事になりました。お知らせすることが遅くなりまして申し訳ありませんでした。お見舞いに来て下されば父も喜ぶと思います。都合の良い日にお迎えに行きますので来ていただけないでしょうか,とのことでした。びっくり。Y君と相談して少し落ち着いてからがいいだろうと言いうことで21日の午後にお見舞いに行くことにしました。施設が新しいのでナビで検索してみても出て来ません。我々の知らない山の手なので場所が分かるかな。近くまで行って聞くしかないかと思っていました。ところが2月21日の10時頃息子さんから電話があって「父が今日の朝亡くなりました」と。「えっ」と絶句する。去年電話した時には足が痛くて歩けないので忘年会は無理だから新年会にしようと話していたのに。そんなに悪いとは思っていませんでした。
 葬儀の日はよく晴れていました。早めに葬儀場について後ろの席で待っていると「Yさんと伊藤さんでしょう?」と声を掛けられました。彼の二人の妹さんでした。我々が高校か大学の時に会って以来のことだから良く覚えていてくれたものです。妹さんの話では暮れに見舞ったときステージ4の癌で肝臓にも転移していて手の尽くしようがなかったそうです。23日に見舞いに行くことになっていたのにと残念そうでした。
最後のお別れの時奥さんがお棺にすがって何度も何度も「お父さん、お父さん」と呼んで参列者の涙を誘う。高校を卒業するとき出来た8人の会の案内状とか写真を息子さんからこれを入れてやって下さいと渡されました。その中の幾つかを紹介します。
〈下呂温泉に行った時の会計報告書〉「お詫び 皆様よりお預かりしたお金で購入したつまみのお菓子を送迎バスに忘れて来てしまい多大な損害(時価105円×3袋=315円)を生じましたこと心よりお詫び申し上げます。」 達筆,ユーモアたっぷりでした。 〈尾張温泉へ行った時の案内状〉A君が「K氏に退任祝いとして色紙に皆さんの一言を書いて頂きたいと思います」と。K君が「電通」の専務を退任した時だと思い出す。 〈湯谷温泉へ行った時の案内状〉「大正ロマンの古き日本のにおいの漂う鳳莱山近く宇連川のほとりの宿にて…(中略)…重ね重ね体調を整えて」私は風邪をひいて行けませんでした。 〈昼神温泉での古希旅行の案内状〉「温泉に浸かることにより70年の“あか”をおとし,心身ともにリフレッシュを図る。また麻雀にて親睦を益々深めあわよくば私腹を肥やす」
 懐かしい。花で一杯のお棺の中へそっと収める。様々な思い出が浮かぶ。高校卒業後はそれぞれ大学に進み,彼ともう一人が地元に残り,6人は名古屋を離れることになった。それでも年に2~3回は集まって空き地でソフトボールしたり、麻雀したりしていました。大学卒業後は全員が地元へ帰る事に。Uターンの典型ですね。当初は毎月最終土曜日に集まり酒を飲みながら近況を話し合ったりしていました。当時はまだカラオケはなかったと思います。その後それぞれ結婚し,仕事が忙しくなり、東京へ転勤者も出て,集まるのが難しくなりましたが,それでも年に2~3回は会っていたと思います。その内決まった店に集まるようになりカラオケが始まります。次は,彼が好きだった歌です。
 〈青木光一の柿木坂〉「春には柿の花が咲き秋には柿の実が熟れる 柿の木坂は駅まで3里。思い出すなぁふる里のヨ 乗合バスの悲しい別れ」 〈三橋美智也の赤い夕陽の故郷〉「呼んでいる呼んでいる 赤い夕陽の故郷が うらぶれの旅を行く 渡り鳥を呼んでいる バカな俺だが あの山川の呼ぶ声だけは お~い 聞こえるぜ」 〈春日八郎の赤いランプの終列車〉「白い夜霧の灯りに濡れて 別れ切ないプラットホーム。ベルが鳴るベルが鳴る さらばと告げて手を振る君は 赤いランプの終列車」
 明るい声で歌う。何処で覚えたのと聞くとラジオの深夜放送と答えていた。先生だったので教え子から招待された時にも歌っていたのでしょう。いつもチョコレート色の顔をした怒ったことのない優しい先生でした。
 A君! 冷やっこで酒を飲みながら歌いましょう。又夏の甲子園の愛知大会を見に行きましょう。            正にキモサべ(信頼できる友人)でした。
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