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本物語

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第82号 2025.8.31

ネイティブアメリカンのアフリカからの壮大な旅

猪岡 光

 友人からネイティブアメリカンの口承史(一万年の旅路,The walking people:A native American oral history)の読書会に誘われたのは6年以上前になる。月に一度の読書会であるが,現在は読み返しの3回目に入っている。なぜ同じ本を読み返しているのかと聞かれることがある。内容が豊富で多岐にわたり,とても1回だけでは理解できないと応えている。さらに,読書会参加者の意見や感想は,自分と異なる視点を与えてくれる。そのたびに新しい見方を気づかされ,この本の素晴らしさ,面白さにますます深入りしてきた。
 内容はネイティブアメリカンの一部族の口承史である。彼らの先祖がユーラシア大陸からアメリカ大陸にわたり,オンタリオ湖近辺に定着するまでの数万年にわたる口承史である。何百世代と口承されてきた物語を,最後の伝承者であるポーラ・アンダーウッド(Paula Underwood 1932-2000)が文字化した。この知恵に満ちた口承史を多くの人に知ってもらい,将来に役立つことを彼女は希望している。
 各民族の持つ伝承や神話は多くあるが,『一万年の旅路』はこれらの伝承とは全く異なる。極めて具体的であり一種の行動記録とも言える。10万年以上前のおそらくアフリカと思われる森林と草原の生活のエピソードもある。気候変動による砂漠化により生活が困難になり北へ向かう。地中海で飲めない塩水との出会い,他民族との遭遇,多くのことを体験しながらユーラシア大陸を東に移動した。寒さに苦しみながらヒマラヤ山脈の北側を越えて太平洋岸に達した。おそらく現在の韓国に近いところであろう。そこでの生活は安定しており,極めて長く住み続け人数的にも増加して繁栄した。しかし,突然の火山爆発,大地震と津波で大被害を受けた。リーダーグループもいなくなった。残された人たちの一部は北へと向かう。このグループが「歩く民」である。その時代は氷河期の影響で海水面が低下しており,ユーラシア大陸とアメリカ大陸がベーリング陸橋でつながっていた。やがて海水面が上昇して陸橋は消滅したが,消滅直前のおよそ1万年前に,「一万年の旅路」の人たちが渡った。波にさらわれないように全員(52名)がロープでつなぎ,苦労して渡る経過を詳しく記録している。荷物を運べる人は35人のみ,残りの人たちは自分のことしかできず,その中には3人の小さい子供が含まれている。そのようなグループが力を合わせて全員無事に海渡りがで
きた。その体験は後まで大切に記憶され,しばしば思い出されている。そしてアメリカ大陸を横断してオンタリオ湖周辺で定住生活へ移行した。これらのアフリカ大陸からの推定される移動ルートは,近年の遺伝子研究から明らかになった結果と一致する。実に驚くべき内容である。ミトコンドリアDNAの研究から,現生人類のアフリカ単一進化説が有力になったのは1987年以降である。何万年も前からこのような記録を残してきたことはすぐには信じがたい。
 訳者である星川淳氏は,ネイティブアメリカンの調査でアメリカ滞在中にこの本に出会い大変に驚き,最初は壮大な創作(フィクション)と思ったとのことである。しかし,著者(ポーラ・アンダーウッド)に会って話を聞くことで,この伝承の正当性を確信したと述べている。
 「一万年の旅路」の人たちは,多くの試練を乗り越えながら生きる術を見つけてきた。そのような体験を後の世代に伝えたいとの思いで伝承として残してきた。ユーラシア大陸の東海岸で極めて長期間滞在していた時は,男女のリーダーグループが伝承を分担し生活の仕方を決めていた。しかし,大地震と津波でリーダーグループも全滅し,今までの伝承や知恵を失いかけた。そこで,生き残った「一万年の旅路」のグループでは,「雪の冠」と呼ばれる聡明で高齢な女性の記憶をもとに古い物語を再構築し,その伝承を繰り返し全員で確認することを大事な行事としてきた。また重要な決定には年齢に関係なく全員が参加した。その判断の基準は,現時点だけではなく,何世代先までも考慮することに特徴がある。「子供のこどもの子供にとってどうか」という表現が何度も繰り返して出てくる。さらに特筆すべきことは、困難な状況において女性が中心となってグループを支えてきたことである。他の部族との戦いを避けて平和な生活を築いてきたのも女性のリードがあったからと言えよう。
 日本でも縄文時代は母系社会に近かったと考えられている。平和な時代が一万年以上も継続したのは偶然ではないであろう。近年の紛争や戦争が多いのは男性中心の社会によるのではないか。女性の役割の重要性、自然と調和した生き方,意思決定の方法など、現代の私たちが見習うべき多くの智恵を含むのが『一万年の旅路』である。未来への展望が見えにくい今こそこの本が広く読まれることを期待している。
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