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本物語

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第82号 2025.8.31

京都清水寺の「阿弖流為碑」に思う

小西 忠人

 古代蝦夷(えみし)の雄「阿弖流為・母禮(モレ)(礼)」の顕彰碑が京都市東山の清水寺本堂下の南苑に建立されて30年が過ぎている。碑が建立された翌年,私が大阪に赴任したことから,建立に尽力された関西・京都,両岩手県人会の会員に接する機会を得,中でも旧水沢町(現奥州市)出身で,元商社マンの高橋敏男さん(故人)は特別だった。 
 高橋さんが結成した胆江同郷会(水沢・胆沢,江刺地方の出身者)は,親睦を図る一方で,はるか遠く古代の世に「胆江」地域を拠点に征討軍をてこずらせた蝦夷のリーダー阿弖流為ら,その群像を語り継いでいこうという思いでの結成だと聞いた。
 そんな高橋さんらが古代東北の歴史を掘り起こすことで,阿弖流為と田村麻呂が歴史的なきずなで結ばれていることに着目され,長い間逆賊の首領とされてきた阿弖流為と副将母礼ら同胞の名誉の回復と,田村麻呂が戦没者を弔うために創建したといわれる清水寺に,敵味方の魂をたたえる「石碑建立」を清水寺側に働きかけていた。
 そうした運動が結実したのが平成6年11月6日。平安建都千二百年祭行事として阿弖流為碑の除幕式が行われた。記念すべきその日には,しとしとと秋雨が続いていたという。岩手日報はその除幕式の様子をこう伝えた。―除幕式には,高橋会長,安倍満穂関西岩手県人会会長,森清範清水寺貫主ら県,同寺関係者約260人が出席し,森貫主,高橋会長,濱田明生県副知事,後藤晨水沢市長,東島末記岩手日報社専務,坂上守男京都新聞社社長ら12人が除幕した。森貫主らが読経,出席者一人一人が献香し阿弖流為ら戦没者を慰霊。除幕を終えた高橋さんは「どうにかここまでこれた。協力された人たちに感謝したい」と感慨深げ。建立を受け入れた森貫主は「歴史的なつながりを考えて最高の場所を選びました」と語っていた―。こうして千二百年余の時空と恩讐を超えた“歴史的きずな“に思いを新たにされ,次世代へと受け継がれていくことを誓っている。私の手元の「建立基金者名簿」には関西在住者,本県をはじめ,北海道から沖縄地方の自治体,企業・団体,個人から寄せられた浄財は1,300万円を超しており,いかにその運動が全国規模で展開されたものだったかが伺える。
 では,なぜ阿弖流為が朝廷に立ちはだかったのか―。阿弖流為VS田村麻呂の戦いは「第三次征討」といわれるが,その攻略は古代律令国家の対蝦夷策にほかならなかったことだ。朝廷が蝦夷に送り込んだ兵は延べ10万とも。対して阿弖流為軍は近隣の部族を合わせても,1万に満たぬ寡勢。数の上では圧倒的な征討軍にしても,延暦8年(789)の「巣伏(すぶせ)の戦い」では屈辱的大敗北を喫した―と残るが,その後も威信を懸けて兵を増派。そして最後の切り札として田村麻呂を「征夷」大将軍に任命し,再び胆沢に進出した田村麻呂が,延暦21年(802)に阿弖流為の拠点である胆沢を押さえ,そこに胆沢城(胆沢城跡は現在、国指定史跡)を造営―によって,蝦夷征討は半ば達成し―その4月に阿弖流為・母礼ら同胞が投降―とされる。で,阿弖流為軍に語られるのは,長い戦乱で民衆が苦しみ,郷土がこれ以上の荒廃を避けるために投降の道を選んだ―決断が「痛恨の叫び」でもあるのだという。一方の田村麻呂は,敵方ながら阿弖流為と母礼の武勇を惜しみ,戦後の蝦夷経営に登用すべきと二人を伴い京へ帰還し,助命を嘆願するも,公卿の反対で刑場の露と消えた―。
 いつの間にか私は“びんなんさん”と呼んでいた。「そろそろかな」と構えていればやはり足を運んでくれた。メガネの奥から温顔をほころばせて「こんなもの(文献)が見つかりましたんねん」と愛用のバッグから“それ”のコピーを取り出しながら,いつもながらの“びんなん節”とくる。時にはほとほと参ってしまったこともあったが,とにかくびんなんさんには,東北の古代史が果して「正史」なのか? だった。
 それを問い,資料を駆使したのが,びんなんさん編著の「大和政権と蝦夷の『確執』」(発行:北天会)だった。「アテルイは死力をつくし郷土を守った古代・蝦夷の盟主であった。もし中央政府が差別を改め、公平な政治を行い善政を敷いたならアテルイは敢えて挑戦の道を選ばなかったろう」と支配体制の理不尽を突く。その一方で「田村麻呂の華々しい業績は,アテルイ等蝦夷の激しい抵抗と表裏一体の関係があり,換言すればアテルイなくして田村麻呂の栄光は存在しなかったであろう」としながら,敵将同士が恩讐を超え,同じ境内に祀られている例はほかにないと語るのだ。
 念願の顕彰碑は,県産の白御影石で高さ185センチ,幅165センチ。表には森貫主の筆で「北天の雄 阿弖流為 母禮の碑」と刻まれ,裏には横山正幸氏(清水寺)とびんなんさん共同の説明文が添えられた。あれから30年。関西アテルイ・モレの会は毎年11月の第2土曜日の午前11時に,碑の前で顕彰と慰霊供養の法要が行われているという。びんなんさんは「確執」にもふれてはいるが,私にも,「あの日(除幕式)の雨は“清めの雨”で,阿弖流為と母礼にとって感激の涙雨に思えましたわ―」
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