本物語
第82号 2025.8.31
八十代半ば夫婦のドイツ紀行
佐藤 辰夫
2025年のゴールデンウィークでは11日間も仕事の休みが取れそう‼ それを知った家内が,これまで結構多くの国々に出向いたがドイツはまだ,としきりに言うので,ドイツ旅行を試みることにした。私85,家内83歳の超高年の老夫婦の旅である。
我々夫婦の海外旅行はいつも経費や日程の自由さを重視し,私が単独で愛用のPCから予約し,気儘に出かけるのがモットーである。今回も同様にPCで予約。
まず,ドイツで海外との連絡がいちばんある空港はフランクフルトであるとのことなので,東京・フランクフルト間の航空券の入手から始めた。比較的安い航空券で,ロシア領内を飛行しても安全と思える中国東方航空としたが、その会社の英語名を聞かれた。それは外国の空港で会社名を英語で表記できないと発券の際に航空会社のカウンターを探すのに手間取るからとのこと。「China Eastern Airlines」と言って確認された。
さて次はドイツ国内旅行を如何するかだが,これまでの海外旅行では降りた空港都市の日本の旅行社支店に出向き,一週間ほどの日程を組んでもらうのが通例だった。しかし今回は家内の希望もあり,フランクフルトを見,それからベルリンに行ってみることに決めた。1989年に崩壊したベルリンの壁の現状,ベルリンのシンボルとされるブランデンブルク門など,見たいものが多く有ったからである。フランクフルトからベルリンまでは結構な距離なので列車は敬遠し,国内航空券のルフトハンザの往復券を2泊の予定で入手。ホテルは4つ星クラス,駅近を選んだ。
これで日程の半分方は決まり,その後は私が2009年のミュンヘンマラソン大会に出るため渡独したとき見学したノイッシュバンシュタイン城かローテンブルク童話の街かどちらかを家内にもと考えていた。そんな折,予てから親しくしている友人(都議会議員で,嘗て青梅・ボッパルト姉妹都市友好団の団長を務めた御仁)と砕けた話をする機会があり,今回のドイツ旅行のことを話したら,「友好都市・ボッパルトへ行ってラッシャイよ!」と強く勧められた。それで私も「そうだ,我が青梅市との友好都市,そこへ行ってみよう」と決めた。そして急遽,青梅市の友好都市担当課秘書広報課を訪ねた。女性の係長が応対してくれて「宿泊施設などを先方に聞いてみてくれる」話が先方からは「どこに宿泊する予定か」との問い合わせがあったとのこと。これじゃ話にならないので,これまでの海外旅行の時と同様に旅行会社のホームページで駅から近いホテルを選び,3泊の予約をした。そのことを件の係長に話すと,今度は先方市のボッパルト市広報課から「青梅・ボッパルト友好協会の3名の方が待っているので連絡が欲しい」と連絡があったとのこと。そしてその3名のアドレスの連絡も来た。このような経過で今回のドイツ紀行後半の日程が決まったのである。
さてドイツ‼ である。4月25日成田から飛び立ち,現地の朝6時フランクフルトに到着。まず予約していた空港近くのホテルへ荷物を預けるべく,道も分からなかったのでタクシーで向う。タクシーの料金は7ユーロ(日本円で1,120円)で本当に近かった。午前7時,ホテル着。チェックインは午後3時以降,荷物を預けるだけにして最初の観光に出かける。
まず,『JTBるふふ』で得た知識をもとにホテル隣接の地下鉄のスタディオン駅に向かい,フランクフルト・ハウプト・バン・ホフに出た。駅近くの人の出入りの多い,アラブ風のレストランに入り朝食を摂ることにした。メニューを見たが文字が読めなかったので,近くで食している方の様子から,「あれを」と注文した。アラブ風の羊肉の料理だったが,家内も納得風で美味しく頂いた。
駅付近でもそんなに繁華ではなく,整然とした街並み。その街並みを通り,有名なライン川の支流であるマイン川のほとりを散策することにした。繁華街というよりはビジネス街を進み,その先にある有名なレーマ広場をも目指して歩いた。マイン川に架かっている近くの橋を渡った所でガレージセールがあり,家内が骨董の食器などに関心を示したが購入までは至らず,二人で冷やかしたに過ぎなかった。
それから公園地帯に入ると緑地帯におけるゲーテの像,ベートーベンの像,シラーの碑,ハイネの碑などがあったのでそれらを見て回り,寄る年の波には勝てずか?少々疲れも出たので,フランクフルト・ハウプト・バン・フォフに戻ることにした。戻って駅の周りを見ると「東横イン」があったので驚いた。「東横イン」は私ら夫婦も会員になっているので,今度来たときはここに泊ってみよう,という話になった。
3時過ぎ,ホテルに戻り,チェックインして部屋に入る。部屋は5階で,窓の下には地下鉄の駅のエスカレーターが動いているのが見えた。 (以降のことは次号で。)
我々夫婦の海外旅行はいつも経費や日程の自由さを重視し,私が単独で愛用のPCから予約し,気儘に出かけるのがモットーである。今回も同様にPCで予約。
まず,ドイツで海外との連絡がいちばんある空港はフランクフルトであるとのことなので,東京・フランクフルト間の航空券の入手から始めた。比較的安い航空券で,ロシア領内を飛行しても安全と思える中国東方航空としたが、その会社の英語名を聞かれた。それは外国の空港で会社名を英語で表記できないと発券の際に航空会社のカウンターを探すのに手間取るからとのこと。「China Eastern Airlines」と言って確認された。
さて次はドイツ国内旅行を如何するかだが,これまでの海外旅行では降りた空港都市の日本の旅行社支店に出向き,一週間ほどの日程を組んでもらうのが通例だった。しかし今回は家内の希望もあり,フランクフルトを見,それからベルリンに行ってみることに決めた。1989年に崩壊したベルリンの壁の現状,ベルリンのシンボルとされるブランデンブルク門など,見たいものが多く有ったからである。フランクフルトからベルリンまでは結構な距離なので列車は敬遠し,国内航空券のルフトハンザの往復券を2泊の予定で入手。ホテルは4つ星クラス,駅近を選んだ。
これで日程の半分方は決まり,その後は私が2009年のミュンヘンマラソン大会に出るため渡独したとき見学したノイッシュバンシュタイン城かローテンブルク童話の街かどちらかを家内にもと考えていた。そんな折,予てから親しくしている友人(都議会議員で,嘗て青梅・ボッパルト姉妹都市友好団の団長を務めた御仁)と砕けた話をする機会があり,今回のドイツ旅行のことを話したら,「友好都市・ボッパルトへ行ってラッシャイよ!」と強く勧められた。それで私も「そうだ,我が青梅市との友好都市,そこへ行ってみよう」と決めた。そして急遽,青梅市の友好都市担当課秘書広報課を訪ねた。女性の係長が応対してくれて「宿泊施設などを先方に聞いてみてくれる」話が先方からは「どこに宿泊する予定か」との問い合わせがあったとのこと。これじゃ話にならないので,これまでの海外旅行の時と同様に旅行会社のホームページで駅から近いホテルを選び,3泊の予約をした。そのことを件の係長に話すと,今度は先方市のボッパルト市広報課から「青梅・ボッパルト友好協会の3名の方が待っているので連絡が欲しい」と連絡があったとのこと。そしてその3名のアドレスの連絡も来た。このような経過で今回のドイツ紀行後半の日程が決まったのである。
さてドイツ‼ である。4月25日成田から飛び立ち,現地の朝6時フランクフルトに到着。まず予約していた空港近くのホテルへ荷物を預けるべく,道も分からなかったのでタクシーで向う。タクシーの料金は7ユーロ(日本円で1,120円)で本当に近かった。午前7時,ホテル着。チェックインは午後3時以降,荷物を預けるだけにして最初の観光に出かける。
まず,『JTBるふふ』で得た知識をもとにホテル隣接の地下鉄のスタディオン駅に向かい,フランクフルト・ハウプト・バン・ホフに出た。駅近くの人の出入りの多い,アラブ風のレストランに入り朝食を摂ることにした。メニューを見たが文字が読めなかったので,近くで食している方の様子から,「あれを」と注文した。アラブ風の羊肉の料理だったが,家内も納得風で美味しく頂いた。
駅付近でもそんなに繁華ではなく,整然とした街並み。その街並みを通り,有名なライン川の支流であるマイン川のほとりを散策することにした。繁華街というよりはビジネス街を進み,その先にある有名なレーマ広場をも目指して歩いた。マイン川に架かっている近くの橋を渡った所でガレージセールがあり,家内が骨董の食器などに関心を示したが購入までは至らず,二人で冷やかしたに過ぎなかった。
それから公園地帯に入ると緑地帯におけるゲーテの像,ベートーベンの像,シラーの碑,ハイネの碑などがあったのでそれらを見て回り,寄る年の波には勝てずか?少々疲れも出たので,フランクフルト・ハウプト・バン・フォフに戻ることにした。戻って駅の周りを見ると「東横イン」があったので驚いた。「東横イン」は私ら夫婦も会員になっているので,今度来たときはここに泊ってみよう,という話になった。
3時過ぎ,ホテルに戻り,チェックインして部屋に入る。部屋は5階で,窓の下には地下鉄の駅のエスカレーターが動いているのが見えた。 (以降のことは次号で。)