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本物語

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第83号 2025.11.30

〔俳句を遊ぶ 3〕「花鳥諷詠」のこと

菅原 薫

  月に柄(え)を さしたらばよき 団扇(うちは)かな  宗鑑
 室町時代の有名な発(ほっ)句(く)で,俳諧の始祖,山崎宗鑑の作です。正岡子規は,このような句は文芸ではないとして,自然を素直に詠む「写生句」を提唱しました。それを受けて,高浜虚子は「花鳥諷詠」を主唱しました。「花鳥」は美しい自然,「諷詠」は句を詠むこと。1928年(昭3)発行の『虚子句集』序に,伝統俳句の本質は四季の「移り変りに依って起る自然界の現象,並にそれに伴ふ人事界の現象を諷詠する」ことだと述べています。当時は,無季俳句・自由律俳句・新傾向俳句などの人たちが,様々の運動をしていた時代でした。その後,この「花鳥諷詠」と十七音定型は,虚子主宰の俳誌「ホトトギス」の基本理念となりましたが, 「人事界の現象」は重視されなかったようです。 そのためか,「人間探求派」の俳人たちは,「花鳥諷詠」論に抵抗しました。当の虚子は,「美しい自然を美しく詠む」だけで満足していたのでしょうか。
  桐一葉 日当たりながら 落ちにけり   虚子
 この句は席題「桐一葉」によって作ったものなので,出題者も参会者も「桐一葉,落ちて天下の秋を知る」(淮(え)南(なん)子(じ))を意識していたはずです。
鑑賞者は「一将功成って,万骨枯る」も,思い浮かべることでしょう。
  流れゆく 大根の葉の 早さかな  虚子
 虚子は橋の上から見た「自然界の現象」を詠んだだけなのだそうですが,鑑賞者は,蕪村の「易水に ねぶか流るる 寒さかな」を思い浮かべます。「易水」は中国河北省易県の川。燕の太子丹に,秦の始皇帝暗殺を依頼された荊(けい)軻(か)は,この河畔で,丹との別れの詩を詠じました。
 作句者の作意はどうでも,鑑賞者は,状況を勝手に想像すればよいの?
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