本物語
第83号 2025.11.30
写真で遊んで20数年
白川 治子
まったく興味のなかった写真の世界に入って,およそ26年になります。近くにコミュニティハウスが出来,退職してスタッフになったHさんに「白川さん,写真同好会を作りたいんだけど」と誘われました。「バカチョンカメラなら良いけど,重いカメラなどイヤ」と答えました。大学生の頃から写真を嗜んでいたHさんにとってコンパクトカメラの発想はなかったのですが,地域の同好会は気軽な方がいいと考え直してくれたので入会。同じ都筑区には「写真俱楽部」という立派な同好会があったので私たちの会は「写遊会」としました。コンパクトカメラで遊ぶという真剣みに欠けますが,初期の頃は失敗続きで,遊ぶにふさわしかったのです。26年前にはフィルムカメラだけ。初撮影会で神大植物園に行った時に,フィルムを入れ忘れたり,巻き込みに失敗するなど1枚も撮れなかった人が2人もいたのです。Hさんは「36枚のフィルムで1枚でも傑作があれば御の字だよ」とフィルム代をけちるなと言いましたが,思えば今のデジカメはフィルム代はかからないし,惜しげなく連写できるし,当時とは隔世の感があります。
半年ほど経った頃「作品は見てもらわないと上達しない。見てもらう喜びを味わおう」とコミュニティハウスで作品展を開催。「馬子にも衣裳だ」と言い出す人がいて,額縁もシンプルながら高級なもので揃え,共通の画題も決めました。たとえば「道」「橋」「祭り」「駅」「水」「窓」など。コンパクトカメラの作品でも同じ額で同じ画題で当然ながら裏打ちもするとそれなりになり,義理で見に来てくれた友達も「素晴らしい」とお世辞。先輩格の写真倶楽部の方も来てくださり「コンパクトでもこれだけ撮れるんだね」とやや上から目線ではあるけれど,お世辞。
こうなると「豚もおだてりゃ木に登る」。区民ホールでの展示も年に2回するようになりました。区役所に用事がある人や義理友も見に来てくれ,地元のケーブルテレビも取材に来ました。インタビューに答えたのは代表のHさん。
次の進出は,隣の青葉区にある展示会専用の横浜市民ギャラリー。青葉区にある3つのサークルとわが写遊会合同の写真展が今でも続いています。ひとりで6点出品する手間と費用は負担になりますが,他の3つのサークルとの出来栄えも比較されるので,作品の選定にも気をつかいます。
カメラの話に戻しますが,いつの間にかデジカメが出回るようになり,コンパクトカメラの会の名称は自然消滅し,本格的な一眼レフカメラを使う人が増えました。私も時流に逆らえずデジカメを使い始めたのですが,買ったのはコンパクトデジカメ(通称コンデジ)。パナソニックのルミックスという機種ですが,軽いうえにレンズが良いので,このカメラで撮った作品をプロのカメラマンに褒められたことが数回あります。
ところがルミックスが故障したので,メンバーの中では最後から2番目の一眼レフデジカメカメラ(通称眼デジ)の所有者になりました。いざ使いだすとよいモノが欲しくなり,今使っているのがニコン3台目のZシリーズ。最後までフィルムカメラで撮っていたのが,写遊会発起人のHさんでした。プロのカメラマンでさえ眼デジを使い始めたのに,最後までフィルムに拘っていましたが7年前に亡くなりました。
発足から26年にもなるとHさんはじめ,亡くなったり病気や足腰が弱くなったなどで退会者が増えました。募集はしていますが,スマホで遜色ない写真が撮れるためか(スマホでも良いと勧誘していますが),定年が延びているためか,行動様式の変化のためか,SNSで発信の影響が大きいためか,入会者は増えません。
誘われて仕方なく始めた写真ですが,年に2回の撮影会で秘境のような場所にも行けたし,殿方と親しく話す機会もでき,彩りのひとつになりました。写真の会には花だけを撮る会や風景だけを撮る会もありますが,写遊会はもともとが「遊ぶ」だから何でもあり。私の場合は,誰に言われたのでもないのに,人物を入れた写真を撮っています。日本では肖像権がうるさいので,人物を撮る時には顔が分からないように工夫していますが,外国は気が楽。私はコロナ前に80か国ほど回っていますが,そこで出会った人たちのフレンドリーさが忘れられません。挨拶とありがとうの言葉だけは一夜漬けで暗記。コンタクトがとれて撮影に応じてくれます。
コロナで暇を持て余していた時にふと思いついたのが,世界の片隅で出会った人たちの写真集を出すことです。依頼先は三九出版。本の大きさや紙の質や色やハードカバーにするなどの要望を全部受け入れてくださり,ネット写真の会で知り合いになったプロカメラマンのKIT氏からは「出版不況でなければ,出版できたよ。特に文章が良い」と褒められました。続編も考えましたが,差し上げた方はほとんどがシニア。終活されゴミになるだけだなと思い,あきらめました。
半年ほど経った頃「作品は見てもらわないと上達しない。見てもらう喜びを味わおう」とコミュニティハウスで作品展を開催。「馬子にも衣裳だ」と言い出す人がいて,額縁もシンプルながら高級なもので揃え,共通の画題も決めました。たとえば「道」「橋」「祭り」「駅」「水」「窓」など。コンパクトカメラの作品でも同じ額で同じ画題で当然ながら裏打ちもするとそれなりになり,義理で見に来てくれた友達も「素晴らしい」とお世辞。先輩格の写真倶楽部の方も来てくださり「コンパクトでもこれだけ撮れるんだね」とやや上から目線ではあるけれど,お世辞。
こうなると「豚もおだてりゃ木に登る」。区民ホールでの展示も年に2回するようになりました。区役所に用事がある人や義理友も見に来てくれ,地元のケーブルテレビも取材に来ました。インタビューに答えたのは代表のHさん。
次の進出は,隣の青葉区にある展示会専用の横浜市民ギャラリー。青葉区にある3つのサークルとわが写遊会合同の写真展が今でも続いています。ひとりで6点出品する手間と費用は負担になりますが,他の3つのサークルとの出来栄えも比較されるので,作品の選定にも気をつかいます。
カメラの話に戻しますが,いつの間にかデジカメが出回るようになり,コンパクトカメラの会の名称は自然消滅し,本格的な一眼レフカメラを使う人が増えました。私も時流に逆らえずデジカメを使い始めたのですが,買ったのはコンパクトデジカメ(通称コンデジ)。パナソニックのルミックスという機種ですが,軽いうえにレンズが良いので,このカメラで撮った作品をプロのカメラマンに褒められたことが数回あります。
ところがルミックスが故障したので,メンバーの中では最後から2番目の一眼レフデジカメカメラ(通称眼デジ)の所有者になりました。いざ使いだすとよいモノが欲しくなり,今使っているのがニコン3台目のZシリーズ。最後までフィルムカメラで撮っていたのが,写遊会発起人のHさんでした。プロのカメラマンでさえ眼デジを使い始めたのに,最後までフィルムに拘っていましたが7年前に亡くなりました。
発足から26年にもなるとHさんはじめ,亡くなったり病気や足腰が弱くなったなどで退会者が増えました。募集はしていますが,スマホで遜色ない写真が撮れるためか(スマホでも良いと勧誘していますが),定年が延びているためか,行動様式の変化のためか,SNSで発信の影響が大きいためか,入会者は増えません。
誘われて仕方なく始めた写真ですが,年に2回の撮影会で秘境のような場所にも行けたし,殿方と親しく話す機会もでき,彩りのひとつになりました。写真の会には花だけを撮る会や風景だけを撮る会もありますが,写遊会はもともとが「遊ぶ」だから何でもあり。私の場合は,誰に言われたのでもないのに,人物を入れた写真を撮っています。日本では肖像権がうるさいので,人物を撮る時には顔が分からないように工夫していますが,外国は気が楽。私はコロナ前に80か国ほど回っていますが,そこで出会った人たちのフレンドリーさが忘れられません。挨拶とありがとうの言葉だけは一夜漬けで暗記。コンタクトがとれて撮影に応じてくれます。
コロナで暇を持て余していた時にふと思いついたのが,世界の片隅で出会った人たちの写真集を出すことです。依頼先は三九出版。本の大きさや紙の質や色やハードカバーにするなどの要望を全部受け入れてくださり,ネット写真の会で知り合いになったプロカメラマンのKIT氏からは「出版不況でなければ,出版できたよ。特に文章が良い」と褒められました。続編も考えましたが,差し上げた方はほとんどがシニア。終活されゴミになるだけだなと思い,あきらめました。