本物語
第84号 2026.3.25
歩き遍路の魅力
武田 喜治
6巡目の歩き遍路を終えて,この度7巡目のスタートを切った。
なぜ何回も同じところを巡るのか,自分にとって歩き遍路の魅力を以下に取り上げてみた。
⑴心身の健康に良い
夕方くたくたに歩き疲れて遍路宿に到着し,早速風呂に入り疲れと汗を落とすと実にさわやかな気分になる。歩くと,お腹が空いてよく食べ,夜はよく眠る。夕食はお代わりを3杯いただくこともある。夕食後,9時に床に入ると,すぐに深い眠りにつき,途中でトイレに起きることなくノンストップで翌朝5時まで熟睡する。目覚めはすっきりで疲れはすっかり取れている。歩き遍路は「食事,運動,睡眠」という健康のための3要素をすべて満たしてくれる。
また雄大な自然の中を歩いていると,小さなことが気にならなくなり,イライラやクヨクヨが消えていく。歩き遍路ほど心身の健康に良いことはない。「八十の壁」を越えても病気一つせずに元気で過ごすことができるのは,歩き遍路のおかげと感謝している。
⑵自分と向き合う旅
お遍路の旅は「同行二人の旅」とされ,お大師さんと一緒に歩く。換言すれば,一人で歩く。自分一人で歩くことによってどうしても自分と向き合う時間が多くなり,その結果,普段気づかない多くのことに気づかされる。複数の人と一緒に歩けば,相手のことが気になり,おしゃべりをしたりして自分と向き合うことができない。やはり歩き遍路は一人で歩くことに限る。
「自分と向き合う」とは自分を客観的に見つめることである。その結果自分の無知や愚かさに気づかされる。我々は「自分と向き合う」という習慣も機会もないままに人生を過ごしているだけに歩き遍路は自分と向き合う貴重な機会となっている。
ある歩き遍路体験者は,「歩いて巡拝することは大自然の美しさや厳しさ,自分の傲慢さや愚かさ,無知を身を以って知ることができる。1日30キロの長丁場を歩くことによって肉体は悲鳴を上げたが,自分と向き合うことで心は至極満たされた」と語る。
哲学とか宗教とは,簡単に言えば,自分と向き合い自己を知ることから始まるように思う。
⑶お接待の心に触れる
阿波の3番金泉寺に向かう途中で「お遍路さん,お接待です」と呼び止められ,冷蔵庫の中から「すだちの缶ジュース」と「エスカップ」をいただいた。歩き遍路として初めての経験だったのでどう対応すればいいのか戸惑った。納め札を渡してお礼を言うのが精いっぱいであった。
また,ある歩き遍路経験者は「道中で地元の人からいろいろなお接待を受けた。食べ物,飲み物,お金,車の同乗,道案内,それこそ数限りなくあった。あるところですれ違ったおばあさんから手を合わされて拝まれ,さらに年金手帳から千円札を取り出してお接待をいただいた。ありがた過ぎて受け取っていいものかどうか一瞬ためらった。感激しすぎて納め札を渡すのを忘れてしまった」という。
お接待は四国に伝わる独特の風習で,その動機としては①苦行するお遍路への同情心,②身代わり巡拝を依頼する気持ち,③善根を積み功徳を得たいという大師信仰などが挙げられている。
四国には「歩き遍路」をお大師さんとみなす風潮が残されている。お接待はお遍路を通じてお大師さんに施しをする行為とされ,したがってお接待は断ってはいけないとされている。地元の人々は「お遍路さんの喜ぶ姿を自分の喜び」としている。
歩き疲れている時に,冷たい飲み物のお接待を受けると,蘇った気持ちになる。お接待はモノではなくて心である。四国に伝わるお接待の風習はこれからもずっと続いてほしい。
⑷歩き遍路の旅は出会いと気づきの旅
歩き遍路の旅は三つの出会い,すなわち四国の豊かな自然との出会い,地元の人々との出会い,そして自分との出会いがある。今まで知らなかった自分を知る。生きるヒントを得る。歩くことによって得るもの,感じるもの,気づくものが実に多い。しかし,その出会いと気づきは,たとえ同じところを巡ったとしても,前回と同じでは
なく,毎回が新しく新鮮である。
なぜ何回も同じところを巡るのか,自分にとって歩き遍路の魅力を以下に取り上げてみた。
⑴心身の健康に良い
夕方くたくたに歩き疲れて遍路宿に到着し,早速風呂に入り疲れと汗を落とすと実にさわやかな気分になる。歩くと,お腹が空いてよく食べ,夜はよく眠る。夕食はお代わりを3杯いただくこともある。夕食後,9時に床に入ると,すぐに深い眠りにつき,途中でトイレに起きることなくノンストップで翌朝5時まで熟睡する。目覚めはすっきりで疲れはすっかり取れている。歩き遍路は「食事,運動,睡眠」という健康のための3要素をすべて満たしてくれる。
また雄大な自然の中を歩いていると,小さなことが気にならなくなり,イライラやクヨクヨが消えていく。歩き遍路ほど心身の健康に良いことはない。「八十の壁」を越えても病気一つせずに元気で過ごすことができるのは,歩き遍路のおかげと感謝している。
⑵自分と向き合う旅
お遍路の旅は「同行二人の旅」とされ,お大師さんと一緒に歩く。換言すれば,一人で歩く。自分一人で歩くことによってどうしても自分と向き合う時間が多くなり,その結果,普段気づかない多くのことに気づかされる。複数の人と一緒に歩けば,相手のことが気になり,おしゃべりをしたりして自分と向き合うことができない。やはり歩き遍路は一人で歩くことに限る。
「自分と向き合う」とは自分を客観的に見つめることである。その結果自分の無知や愚かさに気づかされる。我々は「自分と向き合う」という習慣も機会もないままに人生を過ごしているだけに歩き遍路は自分と向き合う貴重な機会となっている。
ある歩き遍路体験者は,「歩いて巡拝することは大自然の美しさや厳しさ,自分の傲慢さや愚かさ,無知を身を以って知ることができる。1日30キロの長丁場を歩くことによって肉体は悲鳴を上げたが,自分と向き合うことで心は至極満たされた」と語る。
哲学とか宗教とは,簡単に言えば,自分と向き合い自己を知ることから始まるように思う。
⑶お接待の心に触れる
阿波の3番金泉寺に向かう途中で「お遍路さん,お接待です」と呼び止められ,冷蔵庫の中から「すだちの缶ジュース」と「エスカップ」をいただいた。歩き遍路として初めての経験だったのでどう対応すればいいのか戸惑った。納め札を渡してお礼を言うのが精いっぱいであった。
また,ある歩き遍路経験者は「道中で地元の人からいろいろなお接待を受けた。食べ物,飲み物,お金,車の同乗,道案内,それこそ数限りなくあった。あるところですれ違ったおばあさんから手を合わされて拝まれ,さらに年金手帳から千円札を取り出してお接待をいただいた。ありがた過ぎて受け取っていいものかどうか一瞬ためらった。感激しすぎて納め札を渡すのを忘れてしまった」という。
お接待は四国に伝わる独特の風習で,その動機としては①苦行するお遍路への同情心,②身代わり巡拝を依頼する気持ち,③善根を積み功徳を得たいという大師信仰などが挙げられている。
四国には「歩き遍路」をお大師さんとみなす風潮が残されている。お接待はお遍路を通じてお大師さんに施しをする行為とされ,したがってお接待は断ってはいけないとされている。地元の人々は「お遍路さんの喜ぶ姿を自分の喜び」としている。
歩き疲れている時に,冷たい飲み物のお接待を受けると,蘇った気持ちになる。お接待はモノではなくて心である。四国に伝わるお接待の風習はこれからもずっと続いてほしい。
⑷歩き遍路の旅は出会いと気づきの旅
歩き遍路の旅は三つの出会い,すなわち四国の豊かな自然との出会い,地元の人々との出会い,そして自分との出会いがある。今まで知らなかった自分を知る。生きるヒントを得る。歩くことによって得るもの,感じるもの,気づくものが実に多い。しかし,その出会いと気づきは,たとえ同じところを巡ったとしても,前回と同じでは
なく,毎回が新しく新鮮である。