本物語
第84号 2026.3.25
「日本語」って不思議な言葉ですね!(その27)
松井 洋治
この稿を書き始める今日(2月11日・祝日)は,8日(日)の衆院選で髙市自民党が単独過半数超という歴史的勝利を収め,一方では冬季五輪での日本選手の好成績のニュースで,日本中が湧き返っている。そんな中で,日本人初のメダルを獲得した女子選手を子供の時から指導してこられたコーチの方へのインタビューで「この選手は,とにかく小さい時から,誰よりも負けず嫌いでしたね」と答えていた。「そんなに負けず嫌いでしたか?」「ええ,今でもそうですが,とにかくその負けず嫌いのお蔭で取れたメダルですよ」と。これまでは,さほど意識することもなく聞き流し,自分でも時々使っていた「負けず嫌い」という日本語が,妙に気になり始めた。この言葉の意味は,言うまでもなく「勝つことが好きで,負けるのは嫌い」ということ。そうだとすれば,「負ける嫌い」が正しい言い方ではないのか。現在NHK・TVの朝ドラ「ばけばけ」のヘブン先生(小泉八雲がモデル)流に言えば「マケズ…マケナイコト…カツコト デスネ。マケズギライナラ…カツコトキライ…デスカ?」と大きな疑問になるはず。早速,手元の辞書で「負けず嫌い」を調べてみた。ここ20数年来使い慣れた大判の国語辞典「大辞林」(三省堂出版)には「人に負けることが嫌いで、なにごとにも頑張るさま。また、そのような性質。負け嫌い」と書かれているだけ。ヘブン先生と同じで,すんなりとは納得出来ない。ネットで調べて行くうちに,「NHKのメディア研究部・放送用語担当者」の説明を見付けた。それによると<「負けず嫌い」という言葉が生まれたのには、さまざまな説があります。明治時代には、「負け嫌い」という言い方がされていました。「負けるのが嫌い」という意味なので、まさに本来の表現だと言えます。これと並んで、「負ける嫌い」というものもありました。また、これとは別に「負けず魂、負けじ魂」(他人に負けまいと頑張る気持ち)」という言葉もありました。この「負けず魂」と「負けるギライ」とが合わさったものが「負けず嫌い」なのではないでしょうか(定説ではありませんが)。「負けず嫌い」は確かに理屈に合わない表現かもしれませんが、現在ほとんどの辞書に載っている表現であり、これを「間違っている」と決めつけるのは不適切でしょう。>と出ていた。随分苦労した説明である。ところが,普段,一番頻繁に利用している手元の「国語辞典」(角川書店)の説明を読んで,一気に留飲を下げた次第。「負けず嫌い」の説明の冒頭に(「負け嫌い」の誤用)と明記した上で,「他人に負けることを嫌う勝気な性格」と書かれているではないか。色々な説があることは構わないが「誤用」と,明確に表記する信念と姿勢だけは,大いに評価されるべきであり,先述した〝現在ほとんどの辞書に載っている表現であり、これを「間違っている」と決めつけるのは不適切でしょう〟などと、現状肯定だけでお茶を濁すような態度や見識は,真剣に日本語を勉強しようと努力中の海外からの留学生や企業研修生からは,到底理解を得られない気がしてならない。また,近年,若者同士の賀状交歓が極端に減り,スマホで「あけおめ、ことよろ」(明けましておめでとう。今年も宜しく)の8文字だけで済ませるらしい。その風潮の影響か,70~80代ではなく,30~40代での「賀状じまい」が増えているという。
また,「本当のこと」を言ったのに「嘘言うな、嘘つくな、噓でしょ」までは特に問題はないが,「噓つけ、嘘言え、噓おっしゃい」となると、「噓つき」という名詞ではなく,「噓を言え、噓をつけ」は,いずれも「噓を言う、噓をつく」という動詞の,しかも「命令形」であり,「噓つけ」は,そのまま「嘘をつきなさい」ということになる。しかし,先述の通り我々は「嘘つけ、噓おっしゃい」と,考えてみれば,とんでもなく見当違いな表現を,普段から無意識で使っているのではないだろうか。私自身の50歳代後半から通算24年間に亙る専門学校,短大,大学での「非常勤講師」時代に,留学生との会話は全て日本語。たどたどしい日本語で,懸命に質問をしてくれる学生達には,出来るだけ分かり易い言葉で,丁寧に説明をして来たつもりだが,懸命に日本語を身に付けようとしている留学生の姿は,決して忘れられない。
「言葉は(時代と共に変化する)生き物ですから」と良く分からない理由での「日本語の乱れ」擁護論を展開される学者やTVのコメンテーターの方々に申し上げたい。「漢字,カタカナ,ひらがな」と3種類もの文字表記方法がある世界に冠たる美しい言葉「日本語」を,どうかいつまでも,正しく美しいままで伝え残せる方向での真剣なご検討を,心からお願い申し上げる。
また,「本当のこと」を言ったのに「嘘言うな、嘘つくな、噓でしょ」までは特に問題はないが,「噓つけ、嘘言え、噓おっしゃい」となると、「噓つき」という名詞ではなく,「噓を言え、噓をつけ」は,いずれも「噓を言う、噓をつく」という動詞の,しかも「命令形」であり,「噓つけ」は,そのまま「嘘をつきなさい」ということになる。しかし,先述の通り我々は「嘘つけ、噓おっしゃい」と,考えてみれば,とんでもなく見当違いな表現を,普段から無意識で使っているのではないだろうか。私自身の50歳代後半から通算24年間に亙る専門学校,短大,大学での「非常勤講師」時代に,留学生との会話は全て日本語。たどたどしい日本語で,懸命に質問をしてくれる学生達には,出来るだけ分かり易い言葉で,丁寧に説明をして来たつもりだが,懸命に日本語を身に付けようとしている留学生の姿は,決して忘れられない。
「言葉は(時代と共に変化する)生き物ですから」と良く分からない理由での「日本語の乱れ」擁護論を展開される学者やTVのコメンテーターの方々に申し上げたい。「漢字,カタカナ,ひらがな」と3種類もの文字表記方法がある世界に冠たる美しい言葉「日本語」を,どうかいつまでも,正しく美しいままで伝え残せる方向での真剣なご検討を,心からお願い申し上げる。