本物語
第84号 2026.3.25
地 震
伊藤 研二
私が地震を最初に経験したのは4歳の時だったと思います。おぼろげながら,家が揺れ,恐ろしくなって飛び出した記憶があります。1944年12月7日の昭和東南海地震ですが,戦争中のことであり,テレビもない時代で地震のことは報道されなかったようです。が,最近この地震について,私と同年代の人達が体験談として投稿された興味深い新聞記事ありました。それを紹介します。
三重県四日市市の主婦・85歳。「橋の上を歩いていたら突然の揺れで歩くことが出来なくなりました。近くの女性が家まで送り届けてくれました。醤油の瓶が棚から落ちて割れました。その後も揺れが続き怖くて泣きました。」
名古屋市緑区の主婦・85歳。「突然の揺れで友達2人と慌てて外へ出た。大きな木が左右に揺れて水槽の水がバシャバシャと溢れた。」
愛知県日進市の男性・87歳。「急に大地が激しく揺れました。家屋がきしむ音に慌てふためき戸外に逃げ出すも立っていられませんでした。」この人は1945年1月13日の三河地震についてもこう書いています。「住んでいた日進市にも甚大な被害が出ました。余震が続きしばらくの間安心して寝ることが出来ませんでした。」
昭和東南海地震は紀伊半島沖を震源に発生したプレート境界型の南海トラフ地震でM7.9です。前述のように,戦時中のため正確な被害が報道されず「隠された震災」と呼ばれています。愛知・三重・静岡を中心に1223人の犠牲者が出ました。その時私は5才で愛知県あま市に住んでいましたが,この人達のような怖い思いはしておりません。住んでいた所はたまたま地震が軽かったのだと思います。
100年前に関東大震災が起きています。約10万5000人の犠牲者,行方不明を出し
ました。昼食時間と重なり火災が広い範囲で起きました。犠牲者の9割が火災によるもので,日本の歴史上最大の災害です。
31年前に阪神淡路大震災。犠牲者6434人,行方不明3人とあります。この時私は会社へ出勤するため起きていましたが下着のまま,妻はまだ布団の中でしたが,名古
屋でも普通の地震とは違い不気味な感じがしました。阪神地方ではビル,商店街の壊滅,高速道路の崩壊,電車の脱線などあり,バスが高速道路から落ちそうな写真など痛ましいものでした。名古屋も高速道路に被害が出ましたが直ぐに補強しました。
そして15年前の3月11日午後2時46分,東日本大震災が起きました。時々刻々街並みを飲み込んでゆく津波の様子がテレビに映し出される。福島第一原発の被害状況も映し出されました。そのとき,妻はよく行く肉屋さんで買い物中でした。店の扉が独りでに開くので,それを見ていたら「伊藤さん地震だから早く逃げて」と言われたと言います。私は家の2階にいて大きな揺れを感じ,下に降りようか,降りても潰されるだけか,どうしようかと迷っているうちに揺れは収まりました。震源地は宮城県沖。遠く離れた愛知県までも揺れが来たのでした。
その後,2016年4月14日の熊本地震,M6.5で熊本城にも大きな被害。2024年の元旦には能登半島地震,M7.6で関連死者を含めて708人の死者が出ました。
また,昨年の4月8日19時26分,愛知西部地震M4.6がありました。私は2階に居て「ズン」と来た感じでしたが,1階にいた妻は感じなかったようです。
続くように4月18日20時19分,長野県北部地震M5.1。翌日,「いろんな所からメールを貰ったけれど名古屋からは一通もメール来なかった」と長野に住む妹から電話がありました。名古屋の殆どの人は地震に気がつかなかったのでしょう。私は風呂に入っていて地震に気がつきましたが長野とは分らず,電話はしませんでした。
そして今,南海トラフ巨大地震が想定されています。駿河湾から九州の日向灘沖にかけて海底に延びる溝状の地形(トラフ)に沿って発生する地震で100~150年の間隔で起きており,M8~9級の巨大地震で30年以内に起きる確率は80%といいます。犠牲者は298000人と想定されています。東日本大震災の犠牲者は15900人だから南海トラフの巨大さが分かります。県別でみると和歌山県65000人,静岡県10300人,高知県46000人,宮崎県39000人等とされています。静岡県の内訳は建物崩壊12000人,津波89000人,火災1900人,急傾斜地崩壊50人等となっています。これは内閣府中央防災会議の有識者会議によるもので2025年3月31日発表された数値です。
南海トラフ巨大地震は起きてほしくない。しかし歴史をみると避けられない。これまでの地震,とりわけ東日本大震災を引き起こした大地震による被害から学んだことを生かして各自防災対策を心がけ,まずは自分の命を守り,被害を最小限に止めるようにしなければならないことは言うまでもありません。
三重県四日市市の主婦・85歳。「橋の上を歩いていたら突然の揺れで歩くことが出来なくなりました。近くの女性が家まで送り届けてくれました。醤油の瓶が棚から落ちて割れました。その後も揺れが続き怖くて泣きました。」
名古屋市緑区の主婦・85歳。「突然の揺れで友達2人と慌てて外へ出た。大きな木が左右に揺れて水槽の水がバシャバシャと溢れた。」
愛知県日進市の男性・87歳。「急に大地が激しく揺れました。家屋がきしむ音に慌てふためき戸外に逃げ出すも立っていられませんでした。」この人は1945年1月13日の三河地震についてもこう書いています。「住んでいた日進市にも甚大な被害が出ました。余震が続きしばらくの間安心して寝ることが出来ませんでした。」
昭和東南海地震は紀伊半島沖を震源に発生したプレート境界型の南海トラフ地震でM7.9です。前述のように,戦時中のため正確な被害が報道されず「隠された震災」と呼ばれています。愛知・三重・静岡を中心に1223人の犠牲者が出ました。その時私は5才で愛知県あま市に住んでいましたが,この人達のような怖い思いはしておりません。住んでいた所はたまたま地震が軽かったのだと思います。
100年前に関東大震災が起きています。約10万5000人の犠牲者,行方不明を出し
ました。昼食時間と重なり火災が広い範囲で起きました。犠牲者の9割が火災によるもので,日本の歴史上最大の災害です。
31年前に阪神淡路大震災。犠牲者6434人,行方不明3人とあります。この時私は会社へ出勤するため起きていましたが下着のまま,妻はまだ布団の中でしたが,名古
屋でも普通の地震とは違い不気味な感じがしました。阪神地方ではビル,商店街の壊滅,高速道路の崩壊,電車の脱線などあり,バスが高速道路から落ちそうな写真など痛ましいものでした。名古屋も高速道路に被害が出ましたが直ぐに補強しました。
そして15年前の3月11日午後2時46分,東日本大震災が起きました。時々刻々街並みを飲み込んでゆく津波の様子がテレビに映し出される。福島第一原発の被害状況も映し出されました。そのとき,妻はよく行く肉屋さんで買い物中でした。店の扉が独りでに開くので,それを見ていたら「伊藤さん地震だから早く逃げて」と言われたと言います。私は家の2階にいて大きな揺れを感じ,下に降りようか,降りても潰されるだけか,どうしようかと迷っているうちに揺れは収まりました。震源地は宮城県沖。遠く離れた愛知県までも揺れが来たのでした。
その後,2016年4月14日の熊本地震,M6.5で熊本城にも大きな被害。2024年の元旦には能登半島地震,M7.6で関連死者を含めて708人の死者が出ました。
また,昨年の4月8日19時26分,愛知西部地震M4.6がありました。私は2階に居て「ズン」と来た感じでしたが,1階にいた妻は感じなかったようです。
続くように4月18日20時19分,長野県北部地震M5.1。翌日,「いろんな所からメールを貰ったけれど名古屋からは一通もメール来なかった」と長野に住む妹から電話がありました。名古屋の殆どの人は地震に気がつかなかったのでしょう。私は風呂に入っていて地震に気がつきましたが長野とは分らず,電話はしませんでした。
そして今,南海トラフ巨大地震が想定されています。駿河湾から九州の日向灘沖にかけて海底に延びる溝状の地形(トラフ)に沿って発生する地震で100~150年の間隔で起きており,M8~9級の巨大地震で30年以内に起きる確率は80%といいます。犠牲者は298000人と想定されています。東日本大震災の犠牲者は15900人だから南海トラフの巨大さが分かります。県別でみると和歌山県65000人,静岡県10300人,高知県46000人,宮崎県39000人等とされています。静岡県の内訳は建物崩壊12000人,津波89000人,火災1900人,急傾斜地崩壊50人等となっています。これは内閣府中央防災会議の有識者会議によるもので2025年3月31日発表された数値です。
南海トラフ巨大地震は起きてほしくない。しかし歴史をみると避けられない。これまでの地震,とりわけ東日本大震災を引き起こした大地震による被害から学んだことを生かして各自防災対策を心がけ,まずは自分の命を守り,被害を最小限に止めるようにしなければならないことは言うまでもありません。