本物語
第84号 2026.3.25
毎日が学びの看護―看護する立場から支え合う関係
小田 昌子
看護師として五十有余年が経ち,私自身がびっくりの七十五歳。老齢看護師と/なりました。大学病院を四十年勤め,今は特別養護老人ホームと訪問医療の両立した看護施設に勤務し,人生を全うされた方を看取る,終末期看護に就いています。
さて,私事ですが看護人生の歩みの中での出会いの方々をご紹介させて頂きます。
入所されている方々は,記憶障害,運動障害,言葉も発語もままならない人々ですが,言葉を失っても瞬きや笑顔,パチパチと手拍子をされる方,発語があっても「ございます」の語尾がやっと言葉にできる方など,言語の障害がひどくても,仕草や笑いの数々で迎える朝の仕事始まりとなります。
また,会話ができる方の中には挨拶の後の言葉は「私ご飯食べたかな?」と食事に繋がる人がいます。目と目を合わせ私の笑いに「食べたんだ,忘れてる,覚えてない」とうなずきお互いに苦笑い。それ以上の言葉はいらない非言語のコミュニケーションです。
そして素敵なおばあちゃまの紹介です。帽子が大好きな方です。朝の身支度はお気に入りのお帽子を選び,鏡に映る姿は満足そう。そして私に心地よい笑顔を下さいます。皆さんとご一緒される憩いの場面のお姿は品のあるほほ笑みでご挨拶。ありし日を垣間見るお姿です。
次の方は水戸黄門のTV番組が大好きな方。機嫌がよい日は,パチパチと手拍子でリズムを取り楽しそうな仕草。そんな時に年をたずねると「私ははたち」と素敵な笑みで教えてくださいます。その顔は本当の「はたち」の女性であり,恥じらいが清らかな彼女の存在になります。良き想い出があったのでしょう。私にも若さ,笑みを下さる場面です。
また次は、百歳の誕生日を迎えられた方。お孫様から花柄の髪飾りをプレゼントされ,お似合いですねの言葉に照れながら触れ,嬉しそうなお姿。百歳のお祝いを告げると「えっ私,百年も生きてん,びっくりや」とご家族と和みの光景。
それから,いつの時もテーブルを拭かれている方。「今は幸せや,ご飯が食べられる,空襲のサイレンもいつ鳴るか心配せんでええねん」と食事の準備の様子。問うと必ず「そうや」と毎朝同じ対話の挨拶。それで良い。気持ちに寄り添いましょう。約束のない楽しみ方,ご家族を待ちわび「夕べ子供が迎えに来るって」と嬉しそうに朝から
エレベーター前でお待ちになる姿はいつもと違う母の顔。一緒に待つこの時を大事に過す心地よいひとときです。そしてお部屋で待ちましょうの一言だけの私。悲しみの中の思いの方,「戦争という言葉は口にしたくないけど,ふっと思い出すんよ。幼少の頃の私は,日ノ丸の旗を振るその出来事が分らず近所のお兄ちゃんたちを送ってた。その時は楽しそうだなー,でも送ったお兄ちゃん達が帰って来ないことを知り悲しくて外に出て旗が振れなくなった」涙ながら語られる。そっと手を添え耳を傾向けるしかない私がいる。知覧町生まれの方,飛行場から飛び立つ陸軍特攻隊を送り出す思いを語られる。「あんなに辛い見送り,別れはなかった。母に手を引かれ,お国の為にお兄ちゃんたちを送ると告げられる,その時の母の握る手は痛かった。お兄ちゃんたちの厳しい顔から笑みと温かい声で元気で大きくなれよと声をかけられた。母は涙ながら精一杯に声を出して見送ってた。お兄ちゃんの言葉と母の涙が忘れられない」と淡々と話されてた目から突然大粒の涙が溢れる。そんな中,私の涙に手を差し伸べ「楽しい想い出もいっぱいあるのよ。家族の憩いや笑う事もあったのよ」と優しい心の温もりを下さります。
ご紹介させて頂いた方たちは,今の自分,年齢も忘れ現実の姿を見ることのない方々です。過去の一番の想い出の中に浸られてます。私は,こうした方々との出会いから「生」の重みは身体や年齢に問うことではないことを学び,人として計りしれない時を感じる毎日です。嬉しい,楽しい,悲しい,真の姿に触れ,寄り添える看護人生にありがとうの日々です。
福祉に携わり十五年が過ぎ,ご利用者様の長い道のり,そこには戦争をくぐり抜けた深く思い足跡があります。それは,それは力強い一歩,また一歩と刻まれた歴史の人生先輩たちの愛情に触れる度,看護を越えた私自身に在り方を問い直す時でもあります。私の看護観である「きく,まつ,もみじ」(聴く,待つ,心の手)を基に原点に立つ時を過す日々です。今日も利用者様と「楽しかった。また明日ね」交す言葉に支えられ,次の日も次の日も,そして次の日も……。「始めまして,おはようございます。宜しくお願いします」同じご挨拶。新しい今日を迎えてます。私が心の軸にしてます「一隅を照らす」の言葉を一生涯の糧としたいと思う今日があります。
さて,私事ですが看護人生の歩みの中での出会いの方々をご紹介させて頂きます。
入所されている方々は,記憶障害,運動障害,言葉も発語もままならない人々ですが,言葉を失っても瞬きや笑顔,パチパチと手拍子をされる方,発語があっても「ございます」の語尾がやっと言葉にできる方など,言語の障害がひどくても,仕草や笑いの数々で迎える朝の仕事始まりとなります。
また,会話ができる方の中には挨拶の後の言葉は「私ご飯食べたかな?」と食事に繋がる人がいます。目と目を合わせ私の笑いに「食べたんだ,忘れてる,覚えてない」とうなずきお互いに苦笑い。それ以上の言葉はいらない非言語のコミュニケーションです。
そして素敵なおばあちゃまの紹介です。帽子が大好きな方です。朝の身支度はお気に入りのお帽子を選び,鏡に映る姿は満足そう。そして私に心地よい笑顔を下さいます。皆さんとご一緒される憩いの場面のお姿は品のあるほほ笑みでご挨拶。ありし日を垣間見るお姿です。
次の方は水戸黄門のTV番組が大好きな方。機嫌がよい日は,パチパチと手拍子でリズムを取り楽しそうな仕草。そんな時に年をたずねると「私ははたち」と素敵な笑みで教えてくださいます。その顔は本当の「はたち」の女性であり,恥じらいが清らかな彼女の存在になります。良き想い出があったのでしょう。私にも若さ,笑みを下さる場面です。
また次は、百歳の誕生日を迎えられた方。お孫様から花柄の髪飾りをプレゼントされ,お似合いですねの言葉に照れながら触れ,嬉しそうなお姿。百歳のお祝いを告げると「えっ私,百年も生きてん,びっくりや」とご家族と和みの光景。
それから,いつの時もテーブルを拭かれている方。「今は幸せや,ご飯が食べられる,空襲のサイレンもいつ鳴るか心配せんでええねん」と食事の準備の様子。問うと必ず「そうや」と毎朝同じ対話の挨拶。それで良い。気持ちに寄り添いましょう。約束のない楽しみ方,ご家族を待ちわび「夕べ子供が迎えに来るって」と嬉しそうに朝から
エレベーター前でお待ちになる姿はいつもと違う母の顔。一緒に待つこの時を大事に過す心地よいひとときです。そしてお部屋で待ちましょうの一言だけの私。悲しみの中の思いの方,「戦争という言葉は口にしたくないけど,ふっと思い出すんよ。幼少の頃の私は,日ノ丸の旗を振るその出来事が分らず近所のお兄ちゃんたちを送ってた。その時は楽しそうだなー,でも送ったお兄ちゃん達が帰って来ないことを知り悲しくて外に出て旗が振れなくなった」涙ながら語られる。そっと手を添え耳を傾向けるしかない私がいる。知覧町生まれの方,飛行場から飛び立つ陸軍特攻隊を送り出す思いを語られる。「あんなに辛い見送り,別れはなかった。母に手を引かれ,お国の為にお兄ちゃんたちを送ると告げられる,その時の母の握る手は痛かった。お兄ちゃんたちの厳しい顔から笑みと温かい声で元気で大きくなれよと声をかけられた。母は涙ながら精一杯に声を出して見送ってた。お兄ちゃんの言葉と母の涙が忘れられない」と淡々と話されてた目から突然大粒の涙が溢れる。そんな中,私の涙に手を差し伸べ「楽しい想い出もいっぱいあるのよ。家族の憩いや笑う事もあったのよ」と優しい心の温もりを下さります。
ご紹介させて頂いた方たちは,今の自分,年齢も忘れ現実の姿を見ることのない方々です。過去の一番の想い出の中に浸られてます。私は,こうした方々との出会いから「生」の重みは身体や年齢に問うことではないことを学び,人として計りしれない時を感じる毎日です。嬉しい,楽しい,悲しい,真の姿に触れ,寄り添える看護人生にありがとうの日々です。
福祉に携わり十五年が過ぎ,ご利用者様の長い道のり,そこには戦争をくぐり抜けた深く思い足跡があります。それは,それは力強い一歩,また一歩と刻まれた歴史の人生先輩たちの愛情に触れる度,看護を越えた私自身に在り方を問い直す時でもあります。私の看護観である「きく,まつ,もみじ」(聴く,待つ,心の手)を基に原点に立つ時を過す日々です。今日も利用者様と「楽しかった。また明日ね」交す言葉に支えられ,次の日も次の日も,そして次の日も……。「始めまして,おはようございます。宜しくお願いします」同じご挨拶。新しい今日を迎えてます。私が心の軸にしてます「一隅を照らす」の言葉を一生涯の糧としたいと思う今日があります。