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本物語

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第84号 2026.3.25

再読,継読,気ままよみ(第5回)

沢田 誠二

 五味川純平「戦争と人間」
 大日本帝国の終わりの始まり,満州事変ころから無条件降伏までの抑圧と戦争の時代を,新興財閥伍代一族を設定しその盛衰として綴り,「人間とは何か」を問う長編小説。終戦20年の1964年から18年間書き続けられ,大きな反響を呼び映画にもなった。戦後80年という昨年8月に読み始めて年末に読了した。

 舞台は中国大陸から東南アジア,ハワイ,北太平洋,南洋諸島,ミャンマーに及ぶが,主舞台は現在の中国東北部(当時,満州)である。世界は植民地列強の中国(当時,中華民国)蚕食と国内軍閥の縄張り争い,ロシア革命と共産主義,それへの恐怖,世界大恐慌,ファシズム・ナチズムの時代である。日本国内では関東大震災,農村の疲弊,大量の失業者,行き詰まる経済,政治の混迷,軍部拡大,軍人跋扈である。「満州こそ大日本帝国の生命線」なるスローガンが声高に叫ばれていた。
 前半で描かれる歴史項目は満州事変,リットン調査団,5・15事件,大森銀行ギャング事件,神兵隊事件,滝川事件,共産党スパイ査問事件,帝人事件,相沢中佐事件,2・26事件,西安事件,盧溝橋事件,支那事変,上海事変,南京事件,国家総動員法,張鼓峰事件,ノモンハン事件,等々である。
 これら事件・事変を丁寧に辿りながら戦時景気に乗り満州で企業展開を目論む伍代一族の当主,その実弟,それぞれ性格の違う男2人女2人の子たちを中心に,さまざまな人々,軍人,官僚,実業家,技術者,体制について抗う人々,詩人,絵描き,大陸浪人,ゴロツキ,殺し屋,娼婦,スパイ,大小の軍閥,満人,朝鮮人,共産匪を登場させ物語は進む。真摯な信念と時流に疑問を持ちながら徴兵された一族の次男はノモンハンの最前線で戦い九死に一生を得る。
 後半は資源確保のためのインドシナと南洋諸島への軍国日本の進出と衰亡である。国内は沸き立つ軍需景気,伍代の実権は戦争協力を叫ぶ長男に移動する。アメリカを敵とする真珠湾奇襲で緒戦を得るも,半年後のミッドウエイ海戦で大敗。主導権は連合軍に移りアッツ島玉砕,ガダルカナルでは餓死・病死という凄惨で撤退,無謀とされたビルマ・インパール作戦,白骨街道という撤収,サイパン陥落,著しい輸送船消耗,石油ほか軍事物資の枯渇,激増する本土空襲,フィリピンレイテ沖海戦,「特攻」開始,沖縄戦,広島に続いて長崎へ原爆。参戦したソ連軍は怒涛のように満州に押し寄せた。ノモンハン戦でからくも生きのびた伍代の次男はその時も最前線にいた。満州で事業展開し羽振りを利かせた一族の実弟は企業を解散し自殺した。 物語はここで終わる。

 作家は9巻に及ぶ全ての巻末にその巻に出てくる事件や事変の歴史資料とその解釈,解説を載せ,その流れの中で上述のさまざまな人たちを伍代財閥とその一族,4人の子どもたちとからませ重層的に物語を紡ぐ。言論や行動統制の厳しかった当時そんなことが可能だったのか疑問に思う挿話もあるが,満州に生まれ育ち東京でも生活し,一兵卒でソ満国境の最前線で戦い,からくも生きのびた筆者の経歴と体験,思いが作品の脊柱になっていることは間違いない。
 作品前半の描写は実に詳細リアルで,それはミッドウエイ海戦あたりまで続く。しかし,それ以降は背景としての戦史記述はともかく,物語としてのリアリティーを欠いている。終巻に「感傷的あとがき」として,作家は作品の意図とそのための資料収集や整理,分析の大変さを縷々綴り,「東京裁判」で「完」としたかったが,支えてくれた人たちとの別れ,特に生涯の伴侶であった妻の死によって作品完成の意欲と情熱が失せていったと綴っている。
 作家は本作品より先に「人間の条件」を著し,同じテーマを扱い大きな反響を得,映画化された。
 敗北の経過を内外の資料に沿って綿密に辿り「戦争とは,人間とは」を問う作品に大岡昇平の長編「レイテ戦記」(本誌82号P.18~19,沢田著)がある。本書と同様戦後30年頃に発表された作品である。これも作者の「目の前の敵兵を撃つか撃たないか」という極限的な従軍体験をもととしている。
 両作家は,戦争を起こした軍人や為政者への怒り,無益な戦争で死んで逝った兵士への鎮魂,体験者として書き残しておくべしというやむにやまれぬ執念があったものと思える。周辺キナ臭くなっている昨今,一読すべき古典の一つである。
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