本物語
第85号 2026.7.25
「日本語」って不思議な言葉ですね!(その28)
松井 洋治
東京都府中市
本稿前回(その27)は,「負けず嫌い」について書かせて戴いたが,当連載のこれまででは最多の4人の方からご意見を戴き,心からお礼を申し上げたい。しかも4件共に,或る歌の「歌詞」について「従来から,おかしい,間違いではないか?…と疑問を抱いている」という共通点があった。その一つは,マヒナスターズの大ヒット曲「お座敷小唄」で「富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も、雪に変わりはないじゃなし」という歌詞である。これは私も以前から「間違っている上,誰も指摘しないのが理解出来ない」と思っているもの。直ぐ次の歌詞で「とけて流れりゃ皆同じ」と認めているのだから「雪に変わりがあるじゃなし」が正しい日本語のはず。また1928年(昭和3年)に古賀政男自身の作詞・作曲で大ヒットした名曲「影を慕いて」の歌詞には「月にやるせぬ我が思い」という部分があるが,「やるせ」とは漢字では「遣る瀬」と書き,「処すべき手段、方法」のこと。それが「ない」のだから「やるせない」は「思いを晴らす方法がない。気持ちが晴れないでつらい」という意味の「形容詞」であり,「やるす、やるせぬ」等という表現は有りえないはずだが,「あの古賀政男が,間違えるはずはない」とでも思ったのか,発表からそろそろ100年になるというのに,未だに,誰も指摘しないままで歌い続けられている。前回でも触れた通り,真剣に日本語を学ぼうとしている留学生や,日本企業に就職された外国人社員の方々が困惑するような表現は,積極的にきちんと改められなければならないはず。ところで,前回の「負けず嫌い」の関連で,拙稿をお読み戴いた言語学者のG先生からは「転びそうになる前に,あらかじめ杖を突いて用心する」意の「転ばぬ先の杖」は「転ぶ先の杖が正しいのではないか?」というご意見を頂戴した。言われてみれば,確かに「転ばぬ先」では杖は不要であり,転ぶ前に(転ばぬように)杖を準備するのが常識であり,これも前回取り上げた「負けず嫌い」と同じ様に「転ぶ先の(前の)杖」と言わなければ,日本語を学ばれる外国の方々にはご理解戴けないと思われる。
日本語を真剣に学ぼうとしている外国人への配慮については,今後も気付くたびに取り上げたいが,今回はこの辺にして,2011年というから今から15年前になるが,東京モノレールが停電で2時間停止したことがあり,そのことを書いたY新聞社にメールを送ったことがある。私がまだ69歳の時で,記事はそのまま切り抜いて今も手元にあるが,「約2時間にわたり車内に閉じ込められた乗客らは(中略)窓の開かない車内で,上着を脱いで腕をまくし上げる乗客もあった。」というもの。読んで直ぐに「腕をまくし上げる」という表現に違和感を覚え,辞書を引きながらパソコンを起動して《辞書にも“まくし上げる”という言葉は出ておりますが、“まくし…”は「まくしたてる」としては、よく使われるものの、着物の袖や裾については通常「たくし上げる」または「たぐり上げる」の方が、一般的だと思われますが…》と書いて送信した。2日後にY新聞・東京本社から《メ-ル拝読しました。「まくし上げる」は「たくし上げる」と「まくり上げる」の混用ではないかと思われます。当日は大相撲八百長疑惑のニュースが入り,注意が行き届かなかったようです。校閲課には注意を喚起しておきました。》という返信が届いたが,「腕をまくしあげる」ではなく「上着やシャツの袖を」と訂正することまでは,気が回らなかったようだ。今から60年以上前の大学受験対策としては,A新聞の「天声人語」,M新聞の「余録」,Y新聞の「編集手帳」等からの出題がかなりあり,その言葉遣いや,言葉そのもの,文章の書き方などが「受験の参考になる」として,かなり高く評価され,東大の入学試験の問題に,「天声人語」の文章がそのまま使われたケースがあったことを思い出しているが,これからは(既に?)最近のAI(人工知能)による文章では,受験生の個性や人柄までを,機械が評価するのだろうか。早く大人になれて良かったと「本音で」そう思っている。もうひとつ,これは文科省かNHKに尋ねたいことがある。「農作物」を,数年前から「のうさくもつ」ではなく「のうさくぶつ」と言っていることだ。私が数十年使っている「大辞林」(三省堂出版)によれば、「さくもつ」は「田畑に植えて栽培する植物や園芸作物」,「さくぶつ」は「作った物、特に芸術作品」と明確に区別されている。今や「のうさくもつ」という言い方をすれば,「こんな字も読めないの?」と言われてしまう気がするし,「のうさくぶつ」のままで,特に何の問題も無いのだから,おとなしくしておきたいが,何となく違和感を覚えるし,少なからず,さみしい気もしている。留学生も「のうさくぶつ」と覚えてくれれば,誰からも指摘されないですむのだろう。
日本語を真剣に学ぼうとしている外国人への配慮については,今後も気付くたびに取り上げたいが,今回はこの辺にして,2011年というから今から15年前になるが,東京モノレールが停電で2時間停止したことがあり,そのことを書いたY新聞社にメールを送ったことがある。私がまだ69歳の時で,記事はそのまま切り抜いて今も手元にあるが,「約2時間にわたり車内に閉じ込められた乗客らは(中略)窓の開かない車内で,上着を脱いで腕をまくし上げる乗客もあった。」というもの。読んで直ぐに「腕をまくし上げる」という表現に違和感を覚え,辞書を引きながらパソコンを起動して《辞書にも“まくし上げる”という言葉は出ておりますが、“まくし…”は「まくしたてる」としては、よく使われるものの、着物の袖や裾については通常「たくし上げる」または「たぐり上げる」の方が、一般的だと思われますが…》と書いて送信した。2日後にY新聞・東京本社から《メ-ル拝読しました。「まくし上げる」は「たくし上げる」と「まくり上げる」の混用ではないかと思われます。当日は大相撲八百長疑惑のニュースが入り,注意が行き届かなかったようです。校閲課には注意を喚起しておきました。》という返信が届いたが,「腕をまくしあげる」ではなく「上着やシャツの袖を」と訂正することまでは,気が回らなかったようだ。今から60年以上前の大学受験対策としては,A新聞の「天声人語」,M新聞の「余録」,Y新聞の「編集手帳」等からの出題がかなりあり,その言葉遣いや,言葉そのもの,文章の書き方などが「受験の参考になる」として,かなり高く評価され,東大の入学試験の問題に,「天声人語」の文章がそのまま使われたケースがあったことを思い出しているが,これからは(既に?)最近のAI(人工知能)による文章では,受験生の個性や人柄までを,機械が評価するのだろうか。早く大人になれて良かったと「本音で」そう思っている。もうひとつ,これは文科省かNHKに尋ねたいことがある。「農作物」を,数年前から「のうさくもつ」ではなく「のうさくぶつ」と言っていることだ。私が数十年使っている「大辞林」(三省堂出版)によれば、「さくもつ」は「田畑に植えて栽培する植物や園芸作物」,「さくぶつ」は「作った物、特に芸術作品」と明確に区別されている。今や「のうさくもつ」という言い方をすれば,「こんな字も読めないの?」と言われてしまう気がするし,「のうさくぶつ」のままで,特に何の問題も無いのだから,おとなしくしておきたいが,何となく違和感を覚えるし,少なからず,さみしい気もしている。留学生も「のうさくぶつ」と覚えてくれれば,誰からも指摘されないですむのだろう。