本物語
第85号 2026.7.25
大石誠之助という生き方
渡邉 雅之
東京都国分寺市
大石誠之助と聞いてぴんと来る人はあまり居まい。大石内蔵助なら大抵の人が「ああ忠臣蔵の」と合点がいくはず。歌舞伎ファンなら大星由良之助だ。明治44年(1911年)大逆事件によって処刑された12名のうちの一人である。紀州は新宮の人。この事件では全国から26名もの人が起訴され,24名に死刑が宣告された。ただし翌日には12名が無期懲役に減刑された。なぜか不明だが。26名のうち紀州人は大石を含め6名。大石に加え成石平四郎も死刑。高木顕明,成石勘三郎,峯尾節堂,崎久保誓一の4名は無期懲役への減刑組である。
大逆事件とは何か。刑法第73条による事案である。条文は以下の通り。
第73条 天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、又は皇太孫に対し危害を加え又は加えんとしたる者は死刑に処す。
今は無い。なぜ無いか。アジア・太平洋戦争敗戦後,GHQによって廃止されたからである。刑法の一般理念は何らかの不法行為を為した者を罰するものである。73条は未来の,計画したる者をも処罰しようとする。一審制でしかも死刑に処せられるのみである。田中伸尚『大逆事件 死と生の群像」は,100年後の今をルポする。
大石らはこれに搦め捕られた。死刑となった12名のうち幸徳秋水の名なら聞いたことがあるかもしれない。幸徳しか知らないと言った方が正しいか。夏目漱石の小説にも登場するほど。管野須賀子はどうか。森近運平は知る由もないであろう。
一部の資料に大石らは冤罪だとする記述が散見される。冤罪とは何らかの事案が発生し,犯人ではない人が罪に問われることである。ならば大石らはどんな事案の犯人とされたのであろうか。だがそうした事案がない。ありもしない事案をさも大石らが計画・立案したかのようにでっち上げて訴追し,死刑に処したのである。国家による殺人である。ゆえに冤罪は該当せずである。
その国家というものの主体とは誰か。元勲山縣有朋,桂内閣総理大臣のもと,検事平沼騏一郎である。この者どもは明治天皇のもと国体護持の為に当時で言う「社会主義」殲滅のために企図した。大石らの社会主義は今のそれとは異なる。自由,平等,博愛等今で言えば民主主義そのものに過ぎなかった。明治時代が現代とは程遠く,自由のない,身分制が明らかで差別主義がはびこる中で執政者どもには大石らの主義主張は目障りだったに違いない。柳広司「太平洋食堂」には,死刑執行前夜彼らがシャンパンで乾杯した逸話がある。立件に貢献した関係者が悉く出世した。論功行賞である。
大石誠之助は若き日アメリカに渡り,オレゴン大学で医学を修め,医師として開業を果たす。やがて帰国要請を受けて故郷新宮にて開業する。西洋医学をベースとしながら漢方の良い処を取り入れる。ドクターならぬ「毒取る」とも称される。貧しき者や子どもには優先的に診察し,往診も積極的だったという。しかも治療費は患者任せとし,ある時払いで良いという方針。しかし,金持ちの家にはたった数十mでも豪華な馬車を用意させ,診察代も薬代も目が飛び出るほど高価なものにした。ある時「太平洋食堂」なるものを始めた。子どもの病気は薬で直すのではなく,その根本には貧しく,栄養が不足していることに起因していると考え,しっかり食べさせるべく食堂を併設した。今で言えば「子ども食堂」ということになろうか。
貧しい家はなぜ貧しいままなのか。大金持ちは遊んでいても金持ちのままである。そうした矛盾に大石は気づいていた。部落差別が存在する社会において大石は平然と被差別部落への往診を欠かさない。平等,博愛精神が地に足を付けている。
「獄中にて聖書を讀んだ感想」(神崎清編)には,大逆事件裁判への恨み辛みは一切触れられていない。他の被告たちとは大きく異なるところである。その内容はイエスが捕えられる場面でそれまでイエスに付き従ってきた弟子たちが「イエスを知らない」と放言した。つまり裏切りに対するイエスの反応について,大石はそれもさもありなんと理解を示している。イエスへの同情でなく,超然と受け入れている大石の心持ち。運命を知るということか。この世への未練も悔いも感じさせない。
大石誠之助ら26名全員の無罪を国に認めさせねばならない。そもそもが罪となる事案がないからだ。だが本邦の再審制度の壁はあまりにも厚く高い。この壁に紀州の「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」は,紀州の6名の名誉回復と大石誠之助を名誉市民とすべく活動を展開した。辻原登「許されざる者」が大石を現代に甦らせたのかもしれない。かくして2018年1月24日新宮市市議会は大石を名誉市民とする決議を行った。この日付は大石が刑死した日であった。そして決議された時刻が午後2時23分。大石の絶命した時刻であった。43歳の早すぎる死であった。
大逆事件とは何か。刑法第73条による事案である。条文は以下の通り。
第73条 天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子、又は皇太孫に対し危害を加え又は加えんとしたる者は死刑に処す。
今は無い。なぜ無いか。アジア・太平洋戦争敗戦後,GHQによって廃止されたからである。刑法の一般理念は何らかの不法行為を為した者を罰するものである。73条は未来の,計画したる者をも処罰しようとする。一審制でしかも死刑に処せられるのみである。田中伸尚『大逆事件 死と生の群像」は,100年後の今をルポする。
大石らはこれに搦め捕られた。死刑となった12名のうち幸徳秋水の名なら聞いたことがあるかもしれない。幸徳しか知らないと言った方が正しいか。夏目漱石の小説にも登場するほど。管野須賀子はどうか。森近運平は知る由もないであろう。
一部の資料に大石らは冤罪だとする記述が散見される。冤罪とは何らかの事案が発生し,犯人ではない人が罪に問われることである。ならば大石らはどんな事案の犯人とされたのであろうか。だがそうした事案がない。ありもしない事案をさも大石らが計画・立案したかのようにでっち上げて訴追し,死刑に処したのである。国家による殺人である。ゆえに冤罪は該当せずである。
その国家というものの主体とは誰か。元勲山縣有朋,桂内閣総理大臣のもと,検事平沼騏一郎である。この者どもは明治天皇のもと国体護持の為に当時で言う「社会主義」殲滅のために企図した。大石らの社会主義は今のそれとは異なる。自由,平等,博愛等今で言えば民主主義そのものに過ぎなかった。明治時代が現代とは程遠く,自由のない,身分制が明らかで差別主義がはびこる中で執政者どもには大石らの主義主張は目障りだったに違いない。柳広司「太平洋食堂」には,死刑執行前夜彼らがシャンパンで乾杯した逸話がある。立件に貢献した関係者が悉く出世した。論功行賞である。
大石誠之助は若き日アメリカに渡り,オレゴン大学で医学を修め,医師として開業を果たす。やがて帰国要請を受けて故郷新宮にて開業する。西洋医学をベースとしながら漢方の良い処を取り入れる。ドクターならぬ「毒取る」とも称される。貧しき者や子どもには優先的に診察し,往診も積極的だったという。しかも治療費は患者任せとし,ある時払いで良いという方針。しかし,金持ちの家にはたった数十mでも豪華な馬車を用意させ,診察代も薬代も目が飛び出るほど高価なものにした。ある時「太平洋食堂」なるものを始めた。子どもの病気は薬で直すのではなく,その根本には貧しく,栄養が不足していることに起因していると考え,しっかり食べさせるべく食堂を併設した。今で言えば「子ども食堂」ということになろうか。
貧しい家はなぜ貧しいままなのか。大金持ちは遊んでいても金持ちのままである。そうした矛盾に大石は気づいていた。部落差別が存在する社会において大石は平然と被差別部落への往診を欠かさない。平等,博愛精神が地に足を付けている。
「獄中にて聖書を讀んだ感想」(神崎清編)には,大逆事件裁判への恨み辛みは一切触れられていない。他の被告たちとは大きく異なるところである。その内容はイエスが捕えられる場面でそれまでイエスに付き従ってきた弟子たちが「イエスを知らない」と放言した。つまり裏切りに対するイエスの反応について,大石はそれもさもありなんと理解を示している。イエスへの同情でなく,超然と受け入れている大石の心持ち。運命を知るということか。この世への未練も悔いも感じさせない。
大石誠之助ら26名全員の無罪を国に認めさせねばならない。そもそもが罪となる事案がないからだ。だが本邦の再審制度の壁はあまりにも厚く高い。この壁に紀州の「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」は,紀州の6名の名誉回復と大石誠之助を名誉市民とすべく活動を展開した。辻原登「許されざる者」が大石を現代に甦らせたのかもしれない。かくして2018年1月24日新宮市市議会は大石を名誉市民とする決議を行った。この日付は大石が刑死した日であった。そして決議された時刻が午後2時23分。大石の絶命した時刻であった。43歳の早すぎる死であった。