本物語
第85号 2026.7.25
日本の基底にある縄文文化
猪岡 光
宮城県仙台市
定年後に遺跡周りを始めた。イースター島,ピラミッド,ストーンヘンジなど,以前にリストアップしていた海外の遺跡である。国内の遺跡は後回しにしてきたが,縄文土器を見た時に衝撃を受けた。口縁に大きな飾りがあり側面には複雑な文様を持つ土器は,海外の遺跡や博物館では見ることがなかった。縄文土器の比類ないユニークな美しさに海外の経験でやっと気づいた。この10年余り国内の縄文遺跡や博物館を周り,縄文土器や土偶を眺めるようになった。それと共に縄文文化の豊かさと奥深さにも触れることができ,現在の私たちがその影響のもとにいることに気づかされた。
アフリカ大陸を出発した現生人類は,およそ3~4万年前に日本列島に到着したと推定されている。当初は獲物を追っての移動生活であったが,土器の発明で定住生活へ移行することで縄文時代が始まった。最古の土器は1万6500年前ころであり,青森県大平山元遺跡で見つかった。その後1万3000年を超える長い時間の中で独特のDNAを持つ独自集団として縄文人が誕生し,縄文文化も発展してきた。
3000年前ころから水田稲作や金属技術を持つ人たちが渡来してきて,弥生時代が始まった。3世紀ころから始まる古墳時代には最大規模の人口流入が生じた。当時の日本全体の人口に匹敵するくらいの多くの人たちが,比較的短期間に大陸から移動してきた。これら渡来人との混血の割合が50%を超えた。このような人々の移動と混血の状態は,近年発達したDNA解析で明らかになってきた。現在の日本人が,縄文人,弥生人,古墳人の三重構造で構成されているとの認識である。
渡来した人たちは独自の生活習慣や文化を持ってくる。したがって,これだけ多くの人たちが渡来してくると,従来からある文化は消滅する可能性があるだろう。しかし,実際は縄文文化が基盤として残り,渡来した文化と融合しながら,新しい文化ができてきた。どうしてそのようなことが可能だったのだろうか。縄文文化は,火山爆発,地震,台風などの自然災害に苦しみながらも,自然の四季の恵みを受けて生活した長い時代の中で生み出された。したがって,移動してきた人たちも,この列島に住むことで自然に対して同様な感覚を持ったのではなかろうか。自然への恐れと崇拝,同時に感謝が合わさっている縄文人の精神と感性は,この列島に新たに渡来してきた人たちにも受け継がれたのであろう。現代の日本人の心の奥底にもこのような感覚が残されており,日本文化の確固とした基底をなしている。
自然崇拝は,山や森,巨木,巨石などに対して行われたのであろう。弥生時代になると,稲作社会の季節ごとの儀式や習慣も加わる。古墳時代になると,有力集団がそれぞれの祭儀をしていたが,特に祖先崇拝が重要であったようだ。大和政権のもとで天皇誕生の神話ができ,祭儀を行う場所としての建物である神社がつくられた。このような祭儀のまとまりが神道の原型となったのであろう。そのような状況の中で,古墳時代に伝来した仏教は,神道と対立することはなく受容された。神社の境内の中に寺が建立されることも行われた。近年の環境問題の高まりの中で,「草木国土悉皆成仏」という仏教用語が使われることがある。これは天台宗の教義による言葉であるが,古来の自然崇拝と同様な趣旨なので,特に日本において広く普及した。「何事がおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という西行法師の和歌も,日本人の自然な宗教観を端的に示しているように思う。
私が日ごろ使うバス停留所は仙台の「大崎八幡宮」である。伊達政宗の創建した神社であり,社殿は国宝に指定されている。バスを待ちながら付近を通る人たちの様子を眺めていると,鳥居の前で手を合わせる人たちをよく見かける。年齢にかかわらず若い人たちも手を合わせている。親が子供に手を合わせることを教えている。西行法師と同じような感覚を,八幡神社の杜の前で現代人も感じているのだ。縄文時代から脈々と受け継がれてきた自然への敬意の現れと言えるのではないか。
初詣は神社へ,葬儀は寺で,結婚式は教会で,このような生活習慣は宗教に対して無節操とも見える。しかし,自然に対する敬意が根底にあるので,既存の宗教を相対的に,あるいは便宜的に考える余裕があるのではないか。宗教を深く理解する態度に欠けていても,宗教の違いで戦争が続く世界にあって,日本人の宗教観は極めて大事であり,誇ってよい精神文化と思っている。
アフリカ大陸を出発した現生人類は,およそ3~4万年前に日本列島に到着したと推定されている。当初は獲物を追っての移動生活であったが,土器の発明で定住生活へ移行することで縄文時代が始まった。最古の土器は1万6500年前ころであり,青森県大平山元遺跡で見つかった。その後1万3000年を超える長い時間の中で独特のDNAを持つ独自集団として縄文人が誕生し,縄文文化も発展してきた。
3000年前ころから水田稲作や金属技術を持つ人たちが渡来してきて,弥生時代が始まった。3世紀ころから始まる古墳時代には最大規模の人口流入が生じた。当時の日本全体の人口に匹敵するくらいの多くの人たちが,比較的短期間に大陸から移動してきた。これら渡来人との混血の割合が50%を超えた。このような人々の移動と混血の状態は,近年発達したDNA解析で明らかになってきた。現在の日本人が,縄文人,弥生人,古墳人の三重構造で構成されているとの認識である。
渡来した人たちは独自の生活習慣や文化を持ってくる。したがって,これだけ多くの人たちが渡来してくると,従来からある文化は消滅する可能性があるだろう。しかし,実際は縄文文化が基盤として残り,渡来した文化と融合しながら,新しい文化ができてきた。どうしてそのようなことが可能だったのだろうか。縄文文化は,火山爆発,地震,台風などの自然災害に苦しみながらも,自然の四季の恵みを受けて生活した長い時代の中で生み出された。したがって,移動してきた人たちも,この列島に住むことで自然に対して同様な感覚を持ったのではなかろうか。自然への恐れと崇拝,同時に感謝が合わさっている縄文人の精神と感性は,この列島に新たに渡来してきた人たちにも受け継がれたのであろう。現代の日本人の心の奥底にもこのような感覚が残されており,日本文化の確固とした基底をなしている。
自然崇拝は,山や森,巨木,巨石などに対して行われたのであろう。弥生時代になると,稲作社会の季節ごとの儀式や習慣も加わる。古墳時代になると,有力集団がそれぞれの祭儀をしていたが,特に祖先崇拝が重要であったようだ。大和政権のもとで天皇誕生の神話ができ,祭儀を行う場所としての建物である神社がつくられた。このような祭儀のまとまりが神道の原型となったのであろう。そのような状況の中で,古墳時代に伝来した仏教は,神道と対立することはなく受容された。神社の境内の中に寺が建立されることも行われた。近年の環境問題の高まりの中で,「草木国土悉皆成仏」という仏教用語が使われることがある。これは天台宗の教義による言葉であるが,古来の自然崇拝と同様な趣旨なので,特に日本において広く普及した。「何事がおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という西行法師の和歌も,日本人の自然な宗教観を端的に示しているように思う。
私が日ごろ使うバス停留所は仙台の「大崎八幡宮」である。伊達政宗の創建した神社であり,社殿は国宝に指定されている。バスを待ちながら付近を通る人たちの様子を眺めていると,鳥居の前で手を合わせる人たちをよく見かける。年齢にかかわらず若い人たちも手を合わせている。親が子供に手を合わせることを教えている。西行法師と同じような感覚を,八幡神社の杜の前で現代人も感じているのだ。縄文時代から脈々と受け継がれてきた自然への敬意の現れと言えるのではないか。
初詣は神社へ,葬儀は寺で,結婚式は教会で,このような生活習慣は宗教に対して無節操とも見える。しかし,自然に対する敬意が根底にあるので,既存の宗教を相対的に,あるいは便宜的に考える余裕があるのではないか。宗教を深く理解する態度に欠けていても,宗教の違いで戦争が続く世界にあって,日本人の宗教観は極めて大事であり,誇ってよい精神文化と思っている。