本物語
第85号 2026.7.25
再読,継読,気ままよみ(第6回)
沢田 誠二
京都府京田辺市
澤地久枝「蒼海( うみ )よ眠れ ミッドウェー海戦の生と死」
今から84年前の真珠湾奇襲攻撃から半年後,北西太平洋のミッドウェー島と周辺海域で行われた日米海戦についてのノンフィクション作品(初版全6巻1984年)です。日本側戦死者3,057名,空母4,重巡洋艦1,米国側は戦死者362名,空母と駆逐艦各1隻。以後,制海空権は米国側に移ったが大本営はこの敗北を国民はおろか政府や軍内にも隠蔽しました。
著者はこの海戦の歴史経過を防衛省(執筆当時防衛庁)や米国立公文書館の記録を精査しながら,遺された父母,妻(未亡人),遺児,兄弟や関係者へ問い合せをし,回答を得てさらに面談を行い,全ての戦死者の名前,生年月日や入隊日,生前の生活や人となり,軍隊時の様子,遺児や遺族の戦後の様子について丹念に取材し,特に残された母や妻の煩悶と苦闘について綴り,あの海戦は何だったのか問うています。死んだ兵士と遺家族についての記述が多い中,敗戦後に上級将校が記した戦記の誤りや矛盾も指摘しています。
膨大な著作です。見出しの幾つかを拾うだけでも以下の通りです。友永大尉の「真実」,片肺の艦攻機,おそい結婚,女たちの戦後,いのちが宝,戦場の市民たち,玉那覇平・二十六歳,なちかさんいくさ,十六歳の未亡人,旅や浜宿り,艦砲射撃,空母「蒼龍」艦橋,涙なき能わず,火焔の中へ,戦死711名,生きのこること,生還者の沈黙,「赤城」艦長,臨月の妻,「ハマン」からの声,血の海,子午線の東と西,軍事機密,父は「加賀」乗務員,三界に家なし,母と娘の縁,シアトルにて,生還機の「戦死」者,士官候補生の恋,母の寿命,百歳のいのち,ナーシングホーム,メイン州バース,水兵生活,真珠湾の戦死者,ラブレター,M海軍大尉,戦争前夜,愛のすべてを,「飛龍」と「ヨークタウン」,遺された娘たち,嵐のあと,1984年夏,日本捕虜,もう一人のPOW,一水兵の戦後,5ガロンの石油缶,二人の捕虜,「巻雲」艦上で,暗い面,舷側の鎖,三通りの処刑,「赤城」の停止,哀願した眼,ある証言,「あけぼの丸」,海戦の告知,消えた肉体,受洗した妻,軍国の父,老兵や哀れ,まぼろしの蜜月,アラバマ州モンゴメリー,戦死広報のあと,妻たちの転機,重巡「三隅」「最上」,戦場の錯誤,澤田三等水兵のブローチ,五番砲塔,のこされた絶筆,出口のない死,血の潮騒,二百対一,恋もなく愛もなく,人の手に渡したくない,夢枕,三人の軍属,「荒潮」と「朝潮」,「戦死者」の生還,見捨てられて,少年の死,人生十五年,海からの風……いずれも重く辛く悲しく愛おしい内容です。
著者は「あとがき」で作品への想いを吐露しています。曰く,この「途方もない仕事」、なぜ企てたのか答えはない、予想の10倍も100倍も困難の道だったが、私には歩き通すしか道はなかった。曰く,「戦争」で歴史に書き残されることのない、かけがえのない命を喪った人々のこと、戦死という異様な体験を日本と米国市民社会で比べて見たかった。曰く,日本の開戦から6か月での「負けいくさ」、両国の戦死者数は概数だけ、一人ひとりの確認から始める仕事だった。曰く,能力、体力、経済力を懸けた恐ろしいしごとであった。曰く,「私は阿呆やったなあ」、一生に一度は阿呆になれてよかった。曰く,基礎資料や記録調査、氏名、生年月日、アンケ―トと回答、手紙、コンピュータデーターベース作りと編集。曰く,戦死者の家族、出合った人々、時間によって癒された傷を無残に引き剥ぐものであった、その痛みへの自責。曰く,戦死者への哀惜の念は日本も米国の遺族も共通であった。曰く,「40年もたったいま、なぜ過去をほじくるのか」と言われるかも知れないが、ひとつの海戦がどれだけのものを包含しているのか、「事実」はあきらかになった方がいい。曰く,陸軍でいえば会戦、海軍では海戦,その何百のつみかさねが戦争である……、生き残った者たちの煉獄。
本書は新装版全5巻として昨年出版されています。拾い読みでも薦めたい作品です。
戦後80年,ミッドウェー海戦を含むアジア・太平洋戦争の実体験者はもちろん戦後の混乱を生きた人たちも減少していく昨今,「戦争」を肌で知らない世代に如何に伝えていくか問われています。世界あちこちで紛争や戦争は絶え間なく起こり,周辺もキナ臭くなってきている昨今です。過去80年間,私たちは酷い困苦と混乱はあったものの戦火に捲き込まれなくやってこられました。悲惨な戦争の記憶とともに,このことの価値と意義を噛みしめ,子や孫たちに伝えていきたいものです。
今から84年前の真珠湾奇襲攻撃から半年後,北西太平洋のミッドウェー島と周辺海域で行われた日米海戦についてのノンフィクション作品(初版全6巻1984年)です。日本側戦死者3,057名,空母4,重巡洋艦1,米国側は戦死者362名,空母と駆逐艦各1隻。以後,制海空権は米国側に移ったが大本営はこの敗北を国民はおろか政府や軍内にも隠蔽しました。
著者はこの海戦の歴史経過を防衛省(執筆当時防衛庁)や米国立公文書館の記録を精査しながら,遺された父母,妻(未亡人),遺児,兄弟や関係者へ問い合せをし,回答を得てさらに面談を行い,全ての戦死者の名前,生年月日や入隊日,生前の生活や人となり,軍隊時の様子,遺児や遺族の戦後の様子について丹念に取材し,特に残された母や妻の煩悶と苦闘について綴り,あの海戦は何だったのか問うています。死んだ兵士と遺家族についての記述が多い中,敗戦後に上級将校が記した戦記の誤りや矛盾も指摘しています。
膨大な著作です。見出しの幾つかを拾うだけでも以下の通りです。友永大尉の「真実」,片肺の艦攻機,おそい結婚,女たちの戦後,いのちが宝,戦場の市民たち,玉那覇平・二十六歳,なちかさんいくさ,十六歳の未亡人,旅や浜宿り,艦砲射撃,空母「蒼龍」艦橋,涙なき能わず,火焔の中へ,戦死711名,生きのこること,生還者の沈黙,「赤城」艦長,臨月の妻,「ハマン」からの声,血の海,子午線の東と西,軍事機密,父は「加賀」乗務員,三界に家なし,母と娘の縁,シアトルにて,生還機の「戦死」者,士官候補生の恋,母の寿命,百歳のいのち,ナーシングホーム,メイン州バース,水兵生活,真珠湾の戦死者,ラブレター,M海軍大尉,戦争前夜,愛のすべてを,「飛龍」と「ヨークタウン」,遺された娘たち,嵐のあと,1984年夏,日本捕虜,もう一人のPOW,一水兵の戦後,5ガロンの石油缶,二人の捕虜,「巻雲」艦上で,暗い面,舷側の鎖,三通りの処刑,「赤城」の停止,哀願した眼,ある証言,「あけぼの丸」,海戦の告知,消えた肉体,受洗した妻,軍国の父,老兵や哀れ,まぼろしの蜜月,アラバマ州モンゴメリー,戦死広報のあと,妻たちの転機,重巡「三隅」「最上」,戦場の錯誤,澤田三等水兵のブローチ,五番砲塔,のこされた絶筆,出口のない死,血の潮騒,二百対一,恋もなく愛もなく,人の手に渡したくない,夢枕,三人の軍属,「荒潮」と「朝潮」,「戦死者」の生還,見捨てられて,少年の死,人生十五年,海からの風……いずれも重く辛く悲しく愛おしい内容です。
著者は「あとがき」で作品への想いを吐露しています。曰く,この「途方もない仕事」、なぜ企てたのか答えはない、予想の10倍も100倍も困難の道だったが、私には歩き通すしか道はなかった。曰く,「戦争」で歴史に書き残されることのない、かけがえのない命を喪った人々のこと、戦死という異様な体験を日本と米国市民社会で比べて見たかった。曰く,日本の開戦から6か月での「負けいくさ」、両国の戦死者数は概数だけ、一人ひとりの確認から始める仕事だった。曰く,能力、体力、経済力を懸けた恐ろしいしごとであった。曰く,「私は阿呆やったなあ」、一生に一度は阿呆になれてよかった。曰く,基礎資料や記録調査、氏名、生年月日、アンケ―トと回答、手紙、コンピュータデーターベース作りと編集。曰く,戦死者の家族、出合った人々、時間によって癒された傷を無残に引き剥ぐものであった、その痛みへの自責。曰く,戦死者への哀惜の念は日本も米国の遺族も共通であった。曰く,「40年もたったいま、なぜ過去をほじくるのか」と言われるかも知れないが、ひとつの海戦がどれだけのものを包含しているのか、「事実」はあきらかになった方がいい。曰く,陸軍でいえば会戦、海軍では海戦,その何百のつみかさねが戦争である……、生き残った者たちの煉獄。
本書は新装版全5巻として昨年出版されています。拾い読みでも薦めたい作品です。
戦後80年,ミッドウェー海戦を含むアジア・太平洋戦争の実体験者はもちろん戦後の混乱を生きた人たちも減少していく昨今,「戦争」を肌で知らない世代に如何に伝えていくか問われています。世界あちこちで紛争や戦争は絶え間なく起こり,周辺もキナ臭くなってきている昨今です。過去80年間,私たちは酷い困苦と混乱はあったものの戦火に捲き込まれなくやってこられました。悲惨な戦争の記憶とともに,このことの価値と意義を噛みしめ,子や孫たちに伝えていきたいものです。