有限会社 三九出版 - 《自由広場》  『メ ン タ ー』


















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――《自由広場》――

        『メンター』

          橋本 克紘(神奈川県大和市)

 人間形成の上で幼年期の体験やメンター(指導者)の存在が重要である。本誌第26号には高名な画家北島平蔵が叔父君であられる白庭瑞夫氏が,人生に多大な影響を叔父君から授かっていると記されている。また,佐々木徳郎氏は,祖母君から花を愛でる心を,一関一高の野球部長であられた叔父君からは野球が人生を豊かなものにすることを学び,花と野球は氏の伴走者であると記されている。感受性に富む時期に身近な存在から受ける体験がその後の人生に及ぼす影響は大きいようである。勿論,読者諸賢にお伝えできるような私の人生ではない。しかし,それらに恵まれていたように患う。私には下記の3つの出来事が当てはまると考えている。
 一つには物心ついた頃の終戦直後の体験である。私は1943年,父が�日本製鋼所に勤めていた関係で北海道の室蘭に生まれた。社宅の座敷の出窓の下の袋戸棚にあったゴム製の防毒マスク,艦砲射撃の着弾でできた大きな窪みや住んでいた社宅の前の広い道路で毎朝行われた進駐軍の整列点呼などを覚えている。空には双胴のプロペラ軍用機が舞い,地上ではジープやウェポンキャリアーなどが走り回っていた。
 二つには,湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞したことである。1949年で,私が小学校に入学する前年のことだった。新聞やラジオで大きく報道され,終戦で打ちひしがれた日本人に勇気を与えた朗報だった。
 そして三つには1950年6月11日,父の2歳年下の叔父,橋本輝雄がクモノバナ号で第17回日本ダービーを制したことである。叔父は,1944年,カイソウ号で第13回日本ダービーを制していたので初のダービー2勝騎手となった。それまで,ダービー騎手は2勝出来ないというジンクスがあったがそれを破った。その前日,NHKのラジオ番組「二十の扉」に出演した。一家揃ってラジオに聞き入ったのだが,叔父は明日のダービーの自信を聞かれて「勝てます」と答えた。余程自信があったのだろう。
 今春,92歳になった母によれば,その頃,私は「博士になり,アメリカへ行き,発明をするんだ」と口癖のように周囲に訴えていたそうだ。湯川博士のノーベル賞受賞の,進駐軍の,叔父のそれぞれ影響を受けたからに相違ない。幸い,この幼年期の三つの夢は達成されている。
 叔父は,1953年,調教師免許を取得し騎手から調教師に転じた。叔父の管理馬のうち数頭の思い出を記したい。
 小説「姿三四郎」で知られる富田常雄先生の持ち馬ではダイヤモンドステークスを制したミネノスガタ号が記憶にある。富田常雄先生のサラブレッド好きは,後年,北海道の静内豊畑に「スガタ牧場」を開きオーナー・ブリーダーになったことに繋がった。なお,富田常雄先生の作品「野火」は叔父の半生がモデルになっている。クロカミ号,ギンヨク号など文学的な響きのある名の競走馬は古屋信子先生の持ち馬である。高校の漢文の授業では大修館の教科書が使われた。大修館の社長の鈴木一平さんも叔父に持ち馬を預託した。記憶にあるのはコマヒカリ号である。伯母の牧場の生産馬で1958年の第19回菊花賞馬となった。
 藤井一雄さんの大障害馬フジノオー号は1963年から1965年まで春秋の中山大障害を4連覇した。第2次佐藤内閣が成立したときと記憶しているが,ある日刊紙に「フジノオーの優勝カップで乾杯する佐藤首相」と説明が付された写真が掲載された。フジノオー号は中山大障害4連覇の余勢を駆って1966年,競馬の本場,英国に遠征しグランドナショナルに挑戦した。叔父はフジノオー号と一緒に貨物チャーター便で渡英した。日本の生産馬が競馬の本場英国へ遠征するのは初めてだったと思う。関野栄一さんの愛馬,アカネテンリュウ号が菊花賞を制したのは1969年だった。後日,私の問いに「人事を尽くして天命を待つ心境だった」と即座に答えてくれた。
 私が北海道大学から工学博士の学位を授与されたのは1987年3月である。その2ケ月後,浦房子さんのメリーナイス号が第54回日本ダービーを制した。浦房子さんご夫妻はウラツキホマレ号からメリーナイス号の母ツキメリー号まで,北海道の静内にある父と叔父の実家の生産馬を4代,40年間も持ち続けて遂に日本ダービー馬主となった。今でも額に入ったその時の優勝記念写真を見る時がある。叔父は白い帽子を被ってにこやかに手綱を取っている。競馬では白は枠番号1を指すので1着にも繋がる。叔父の自信の強さとユーモアを物語っている。東京近郊に住む親類一同が,叔父のダービー制覇と一緒に私の学位取得を祝ってくれたことは忘れ難い。
 もう9年前になる。私は現在住んでいる住まいを新築し2001年9月30日に引っ越した。それを待っていたかのように,その翌日,叔父は静かに息を引き取った。
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