有限会社 三九出版 - 大津波1年後の被災地


















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 ☆特別企画☆東日本大震災     大津波1年後の被災地

                           横舘 久宣(千葉県八千代市)

 この春,日本労働ペンクラブの三陸沿岸視察チームに参加して東日本大震災の1年後の状況を見聞し,大津波のつめ跡の大きさにあらためて思いを深くした。人知の及ばなかった自然の猛威と未曾有の被害,それに加えて復興への足取りの重さを実感したからだ。バスで岩手県の田野畑村を訪れ,以降,田老町,宮古市,山田町,大槌町,釜石市,大船渡市,陸前高田市と南下し,宮城県気仙沼市で2日間の日程を終えた。道すがら小さな集落や入り江の被災状況も垣間見,仮設住宅での生活の一端を見学,職業安定所で雇用情勢について聴取した。被災した各市町村の殆んどが,瓦礫処理の終わった平地と化し,静まり返っている。1年余を経た今もそこに人々の姿はなく,再興への気配が感じられない。平地ではあっても,家々の土台はくっきりと残っていた。通りから2〜3段高い玄関に立つと左手に広い居間のスペース,右手奥は台所,そして浴室・手洗い。かつてここに家族の平穏な営みがあった。陸前高田市の死者・行方不明者は県内最多の1,787人。広田湾の河口から陸に向かった広大な被災地域のところどころに大きな潮溜まりのような水場がある。地盤が84cm沈下したとのことで溜まった水が海に流れ出ない。そこにウミネコの大群が乱舞していた。津波で旧来の繁殖地を失い,その水場に“引越してきた”らしい。被災地域の中心にある市役所が被災時の状態のまま残されていた。1階部分に乗用車や軽トラックなど3台の車が無残な姿を晒し,大量の書類,事務機・什器の破片など瓦礫が床いっぱいに広がる。家族の写真や可愛い赤ちゃんの写真が一葉汚れたまま放置されていた。正面玄関に祈祷所が設けられていた。400戸からなる宮古市内の仮設住宅では4畳半2室とバス・トイレの間取りに2〜3人が居住する。住人の中年の主婦は「4,5年ここに住むことになるのでは……」と語っていた。雇用状況は改善されてきているが,需給のミスマッチ解消が課題だった。復興関連の建設・土木をはじめ保安や看護師など資格や経験が求められる職種の求人は活発だが,多くが望む水産加工など食品製造業に対する求人が少ない。宮古市の名勝,浄土ヶ浜に大きな石碑があり,大地震のあとには津波が来る,家を建てるなら津波の来ぬ安全地帯へ,など5項目の戒めが記されていた。昭和8年3月の昭和三陸大津波の翌年建てられた。重要な教訓をつい記憶の片隅に押しやることがある人間の習い性に今度こそ歯止めをかけねばと思った。

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