有限会社 三九出版 - ――【隠居のたわごと】――   『メモ風旅日記・松本』


















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『メモ風旅日記・松本』

小楯 蒼平(神奈川県相模原市)

 山が好きか,それとも海が好きかと問われれば,わたしは山が好きだと答えるだろう。しかし,ある時期まではどちらかといえば海に親しんでいた。戦争前は神奈川県の川崎に住んでいたので,夏は馬堀海岸や江ノ島によく海水浴に出かけた。戦争の激化を契機に千葉の母方の在所に疎開し,そのまま戦後その地で暮らすようになってからは,内房・外房の海で遊んだ。だから山の経験といえば,小さいときに叔母に連れていかれた高尾山(東京都),小学生のときに学校の遠足で行った鋸山(千葉県)ぐらいである。それがいつのころからか山好きに変わった。
 だから山のある信州が好きだ。それも松本から見る山が好きだ。松本平のどこでもいいが,冬の晴れた日なら山頂に雪をいただく北アルプスの山々が見える。蝶ヶ岳や常念岳や東天井岳,そして燕岳や鹿島槍ヶ岳や白馬岳などを,わたしはたちどころに指さすことができる。場所によっては,塩尻峠のわずかな隙間から雪化粧の八ヶ岳の姿を望むことができる。美ヶ原の突端にある王ヶ鼻も見える。だが,このように山の名前を書き連ねても,わたしはそれらの山のどれひとつにも登ったことがない。松本平から眺めるそれらの山々の四季のたたずまいが好きなのだ。そういえば,北アルプスを眺めるなら,(あなただけに教えるが)信濃大町駅東側の小高い山の中腹にある霊松寺というお寺さんからの眺めが最高である。近くに北アルプス展望台というところがあるが,霊松寺は北アルプスの展望に最適なだけでなく,寺域の静謐なたたずまいにこころが洗われる。それに秋にはすばらしい紅葉を楽しめるというおまけがつくので,わたしはそれに魅かれて贔屓にしている。
 すこし横道にそれるが,わたしの好きな,「山」にふれた言葉がある。
 書の「われ山にむかひて 目をあぐ わが扶助(たすけ)はいづこよりきたるや」(詩篇第121)はそのひとつ。小学生のころに教会の日曜学校で覚えたものだが,牧師の説教の内容も,そのどこに魅かれたのかも,まったく記憶にない。ただこの言葉だけが「エホバは汝をまもる者なり」という言葉とともに忘れずに残っている。これまでわたしはやくざな生活をおくってきたが,何かに追い詰められたときなどに,この言葉を呪文のように口づさむ自分がいる。のちに,折口信夫の『死者の書』(中公文庫)に収録されている「山越の阿弥陀像(弥陀来迎図)」を目にしたときに,阿弥陀仏がエホバと重なるという奇妙な経験をしたことがあるが、それはおそらく<救世主>と<弥陀の本願>を短絡させた結果のわたしの白昼夢だったのだろう。そういえば,太宰治は「われ山にむかひて 目をあぐ」を『櫻桃』という作品のエピグラフに使い,後半の「わが扶助は……」を巧みに作品の内容に仕立て上げた。
 串田孫一の「何故人は山へ登るのだろう。何故好んで,氷の岩尾根を登って行こうとするのだろう。この自ら悦んで求める忍苦の行為を人が捨てないうちは,私は人間の尊いねがいを疑わないだろう」(「孤独な洗礼」)という言葉もわたしは好きだ。わたしが何かに打ちのめされそうになったときに,わたしはこの言葉にどれだけ勇気をもらったことか。その串田には,阿武隈の山を老年期とみて,「山の頂きから平地まで,決してせばまることのないこんな広い谷のつながり。そこには水が流れている。けれども音を立てることもなく,日をうけて光り,山の中腹でありながら,蛙の卵を浮かべている。黒々とおたまじゃくしの群れは,流れのすみに,何の不安もなしに泳いでいる。山としての穏やかさが,生命を預かっている」と書いた文章がある。ここにあるのは串田のやさしい眼差しだが,同時にその場所に身を置くことによってしか得られない観察があって,山を眺めるだけのわたしは軽い嫉妬と悲哀を感じたものだ。
 松本の街では,縄手通りが好きだ,女鳥羽川沿いに小さな小屋といった店が並んでいる。一見したところ東京の浅草寺仲見世の小型版である。たが,そこにあるのは歴史のある街がみずからつくりあげた,いうならば反近代的なバザール―庶民のための露天商街である。楽しい店がたくさんあるが,わたしが必ずのぞくのは古物屋と古本屋である。古物屋では形のよい墨壷,古本屋では長いこと探していた絶版の文庫本を手に入れたことがある。そして縄手通りを流したあとは,近くの女鳥羽そばに入るのがわたしのきまりである。そのあとは,その日の気分で県(あがた)の森(旧制松本高校の木造校舎を保存)をたずねたり,中町通りの店をひやかしたりする。
 最後にもういちど串田の文章を引いて終わる。「疲れを感じる自然が私の中にある。それを感じ,確かめられた時には,それまで続けて来た行為を終らせる。素直に自然に従った結果である。ぷっつり中断させるのではなく,出来るだけ静かに,そしてある種の豊かさの中で終らせる心掛けを知っていなければならない/その意味でなら,旅には終りがあってもいい」(「旅の終りの雪道」)―これは「旅には終りがない。旅が終る時に私も終るからだ」ではじまる文章の中にある言葉だが,旅に見立てたわたしの人生も,そして現実の旅も,その終わりは「出来るだけ静かに,そしてある種の豊かさの中で終らせ」たいものだが,はたしてそううまくいくのかどうか……。
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