有限会社 三九出版 - 仕 事 も 趣 味 も


















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                 仕 事 も 趣 味 も

                           福家 功治(徳島県徳島市)

 「光陰矢のごとし」とはよく言ったものです。大学を卒業してから46年,正にあっという間の46年でした。不肖私不動産鑑定士の専門職業家として,生涯現役を続けている身であります。とは言っても古希を目前にして寄る年波の体力の衰弱は否定できず,去年には生活習慣病の治療を受け,確実に加齢を重ねている身でもあります。
 60歳を過ぎてからは,あらゆる役職を離れ,仕事はしているものの自適に近い状況であります。趣味として若いときから興味があった俳句をしていますが,生き甲斐とは何かと考えると,『俳句』と言うには些か心もとない限りであります。
 振り返ってみますと人間の一生って何だろうと思うようになったのは50を越え60近くになってからのような気がします。特に親と死別してからは一年,一月,そして一日一日をどう過ごすかを意識的に考えるようになったようです。
 仕事は,私の場合,死ぬまで続けるつもりでいますが,事務所経営も社会奉仕ではないわけですから,損をしてまでも出来ません。
 ご存知のように,平成の初めから地価バブル,土地神話の崩壊等により土地価格は下落一方であります。公共事業に頼っていた地方経済の停滞は目を覆うばかりの状況であり,現在も続いております。鑑定業界もその例外ではなく,このままでは如何ともしがたいと思うばかりで,まだ有効な手立ては見出していません。ただ,一点心強いことは,遠い昔に高崎経済大学で学んだ経済学がまだ生きているということです。ゼミの先生である外山正夫助教授(当時)は言いました,「君達がこのゼミで学んだ経済学は,何時か役立つ時がきっと来る」と。正に私は今がその時と思っています。不動産鑑定士として40年に及ぶ経験を活かし,この難局を乗り切る覚悟はもとより強固な意志を授けてくださったことに対し,何よりの幸せと思っています。
 仕事も生き甲斐の大きな一つですが,仕事ばかりで充分なる生き甲斐を求めることは出来ません。俳句はかれこれ10年余りしていますが,それは仕事とは無縁の世界であり,付き合う人もさまざまな人生経験豊かな人が多く,これまた,未知の世界に挑戦していく気分にさせてくれます。
 年を取ることを悲観的にとらえる人も多くいますが,私は年を取ることは一日一日における価値を増やしていくことと思っていますから,むしろ喜ばしいことであり,楽しいことであると思っています。一日の積み重ねが月に,そして年に繋がります。ですから,今日一日を有意義に過ごすことがどれほど大事かということであります。いつまで生きるか分かりませんが,死ぬ時が最高であったと言えるように今日一日を過ごしたいと思っています。
     蜩や今日一日の疾いこと    好璽




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