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【隠居のたわごと】
                          道

                            小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)

 はじめに〈けもの道〉があった。その跡をひとがたどることによって〈ひとの道〉になり,往還が盛んになって街道が生まれた。それが道の形づくられていった大方の経緯だろう。したがって当初往来したのはもちろんけものたち。つづいて人間。近代になって自転車・自動車という順序になる。それは文明の進歩に見合っている。
 近年,新聞やテレビの報道によれば自動車による事故に加えて自転車による事故の増加が目立つようになったという。一時自動車は〈走る凶器〉といわれたが(いまでもそれは変わらないかもしれないが), 昨今は自転車も〈走る凶器〉といわれるようになったらしい。小生もそれを実感したことがある。音もなく後ろから走りこんでくる自転車,路地から飛び出してくる自転車はおそろしい。 自動車といい自転車といい,(全部が全部とはいわないが)そのありようは言語道断である。道が形づくられたいきさつから考えれば優先順序が逆転している。 (本来は動物たちを先に置くべきだろうが)道路を闊歩してよいのはまず歩く人間で,自転車・自動車は歩く人間(動物)の邪魔にならないように通行しなければならない。もっともそれらを発明し,その便利さにどっぷり浸かっているのが人間 ― つまりわれわれとなると,わたしの腹立ちのもっていき場所がなくなるのだが……。
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 わたしはよく自動車で旅をする。旅先で心がけていることのひとつ。旅先の道で所のひとたちに出会ったときには彼ら(彼女ら)を優先させる。所の施設 ― たとえば共同井戸や公園を使うときは細心の注意をはらう。所のひとたちに対するささやかな敬意である。それには「わたしは旅人です。あなたたちの土地を(道路を)使わせていただきます」という無言の挨拶がこめられている。旅人であるわたしがその土地を通過する(宿る)のは束の間にすぎないが,所のひとたちは先祖代々の記憶(歴史)とつねに共棲している。彼ら(彼女ら)が踏み固めてきた道,その道端の一木一草にも歴史がある。それらを毀損することは許されない。余所者は余所者として肩身の狭さをどこかにもっていなければならない,というのがわたしの流儀である。時代劇の「あっしは余所もんでござんす。土間の片隅にでも置いてやっておくんなさい」というこころがけである。そうした姿勢をもっていると不思議なことに,所のひとたちはそれを感じとってか,思わぬやさしさを恵んでくれることがある。それが旅のよい思い出となることが多い。
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 けもの道はひとの往来によって踏み固められて「道」になる。道は転じて精神世界で「〔それぞれの目的によって決まった段階を経て進み、予想される障害を乗り越えて完成されることが要求される〕 専門の仕事・分野」(『新明解国語辞典』三省堂書店)をめざす「道」になる。つまり,それぞれの目的に向かって具体的な階梯が組織化された「道(どう)」になるのである。身近なものに華道,茶道,武道がある。それぞれりっぱな目標とそれを学ぶ段階があり,一歩一歩修業することで免許皆伝に達する。
 奥義に達するには一定の修業が必要であるが,それがあまりにももっともらしい言葉と秘教的な仕組みの中で行われるのは,わたしは好きではない。「道(どう)」の精神はしぜんな生成・展開のなかで形成されるのが望ましい。言い換えれば「道」の成り立ちがそのまま「道(どう)」の精神になるのが好きだ。千利休は,茶事における亭主と客のありようについて「叶うのはよいが、叶いたがるのは悪い」といっている。さらに「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて飲むばかりなることと知るべし」ともいっている。これは茶道の極意といってよいとおもうが,「道(どう)」が最も「道」に近づいた言葉である。つまりしぜんな所作がそのまま作法の根本に繋がっている。無碍自在。そこには「けもの道」が「街道」に生成・発展したしぜんな流れがみえるようだ。
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 親鸞の『歎異抄』第二章のテーマは「念仏」である。 「極楽往生のみち」を問う関東からきた同朋に,親鸞は答える。 「念仏は、まことに浄土にむまるゝたねにてやはべるらん、また地獄におつべき業にてやはべるらん、総じてもて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう。―(略)―詮ずるところ愚身の信心にをきては、かくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんも、またすてんとも、面々の御はからひなり」 ― 「道」という言葉が,これ以上はない重い内容を背負った例である。仏法の道も歩く道も諸芸の道も,つまるところ,なにがしかの思いをいだいて歩くのは〈ひとつの覚悟〉としての自分である。他を恃むことはできない。まさしく「面々の御はからひ」である。わたしはずいぶんと放蕩無頼の生活をつづけてきた。そしていま,人生の道の行き着く先も見えてきた。中原中也の詩の一節 ― 「あゝ おまへはなにをしてきたのだと……/吹き来る風が私に云ふ」(「帰郷」)が妙に身に沁みる。




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