有限会社 三九出版 - 宗教・文化と人間


















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【特別寄稿】               宗教・文化と人間

                         庄司 昊明(東京都文京区)

 ※次の2篇は,前号に引き続き筆者(リンテック株式会社名誉会長)にお願いし,同社発行の
『LINTEC』から転載させていただいたものです。 ――上のタイトルは小社。・三九出版

○宗教の役割○(2012年 Summer 『LINTEC』から転載)
 私は1944年に旧制第二高等学校に入学し,強烈な世界を体験した。前日まで貴族の息子であっても,貧乏人の倅(せがれ)であっても,入学・入寮して蜂(ほう)章(しょう)(旧制二高の校章)帽を被ったその瞬間から全くの同等。 そしておれの物はきみの物,きみの物はおれの物,共産主義でも社会主義でもない独特の世界を形成,その友情が何十年経っても変わらない。これを宗教の境地と言わずして何と言おうか。
 明治維新で日本政府が国の命運を青年たちに賭けてこの独特の世界をつくり上げ,これを受け継いだ先輩たちが魂をぶつけ合って継承した文化・歴史には,我々瞑目して感銘するのみだ。この「旧制高校教」を奉じて一生を終わればこの上なく素晴らしい人生だと思ってきた。しかし,世の中にはさまざまな大宗教が存在し,自分勝手な運命観のみでは通用しないものだと最近になってやっと気づく。昨年末から今年にかけ,田中郷平元会長のほか旧幹部のかたがたを失うことになったが、そのつど確(しか)と教えられたのは,宗教には人生の総括を行い,魂を休めてくれる偉大な力が働いているということである。教理教条とは別に,宗教のしきたりには人間を秩序よく運んでくれる歴史の力がある。
 私の家は,小石川傳(でん)通院(づういん)という,芝・増上寺,上野・寛永寺とともに江戸三霊山と称される寺に接した場所にある。60年近く住んでいるが,この寺のおかげで静寂かつ格調高い居住環境が何十年も変わらない。街と一体になったこの寺は,夏目漱石・永井荷風が愛した明るい寺風で,抹香くさいところが一つもなく,江戸・明治の世から首都圏の地図の重要な目じるしとなっている。3月の初め,永年の懸案だった荘厳精緻な山門が再建され,その落慶法要が行われた。広い門前町が立錐の余地もないほど地域住民で埋まり,日本全国の浄土宗寺院の100人を超える著名な貫(かん)主(じゅ)が参集,盛大な祝賀の渦に包まれた。宗教には,他をもって替え難い力がある。そして,人々を安穏に導いてくれる。これは世界のどの宗教も同じだろう。田中元会長を心静かに見送ったとき,宗教はこの役割を粛々と果たしてくれたのだと心から感謝した。

○福島の相(そう)馬(ま)野馬(のま)追(おい)○(2013年 Autumn 『LINTEC』から転載)
 今年,初めて相馬野馬追を観賞させてもらい,強烈な驚きと喜びに打たれた。この
 大きなイベントのうち,私は「お行列」と呼ばれる,すべての人馬が打ちそろってご本陣「雲雀(ひばり)ヶ(が)原(はら)」に向かう行進を取り上げたい。400を超す騎馬が町の中心に集まり,沿道を埋め尽くした観客の声援を受けながら,陣螺(じんがい)(ほら貝)・指揮旗・陣太鼓で一糸乱れず行進する。騎乗の人々は,まさに侍の風格。見る者を,時代を超えた厳粛な出陣の儀式へとタイムスリップさせる。驚くべきは,その衣装はもちろん,甲冑・刀剣などすべてが個人の家の家宝であり,財産であること。馬さえも個人で飼育している。
 鎌倉時代から相馬氏が治めるこの地域は,徳川時代にも国替えがなかったため,領主と領民の絆(きずな)は深い。一旦事があれば領民は鍬(くわ)を刀に持ち替え,全員がサムライとなって郷土を守ったのだろう。別名旗(はた)祭(まつ)りともいわれるとおり,騎馬武者はその郷名や神社名,家紋と氏名の入った大旗を背負い,誇りと喜びをあふれさせている。その長い歴史を継承するため,現代でも馬の調教を怠らず,野馬追に参加することを最大の目標にしていることは称賛に値する。
 かつて相馬野馬追の詳細をNHKの番組で見たが,このような民族文化が千年以上,脈々と受け継がれていることが現実とは思えなかった。しかし当地へ来て分かったような気がする。中高年が多い騎馬武者の中に,少年や女性がいることだ。これは次世代へ文化が継承されているということ。さらに,この祭りは海外でも披露され,その歴史と文化を示している。イギリス・ロシア・アメリカ・ブラジルなどで,中世の騎士をイメージしたのであろうか,これこそ真の日本の侍だと,例外なく絶賛を浴びた。
 京都や博多など,大群衆が集う大掛かりな祭典もあるが,市井の人々が守り抜いてきた武具刀剣を持ち寄り,誇り高く天下に披露する姿にはそれらを上回る魅力がある。ただ,多くの観客を集めるには極めて困難な地だ。現状では,鉄道・道路そして宿泊施設など一朝一夕にはできない整備があまりにも多い。しかし,深く静かに保存すべき文化は,むしろこれでよいのかもしれない。




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