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【隠居のたわごと】
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                            小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)

善公 ご隠居,盆栽の手入れがおろそかになっていますね。
隠居 ああ,このところ気力がなくなりましてな,細やかな気配りが必要なものを手がけるのが臆劫になってきました。
善公 ところで最近何か気になる話題はありますか?
隠居 しばらく前に亡くなった小説家の丸谷才一という方が, 「絵葉書の話」という文章を書いています。子供のころに見た画家の中村不折の絵葉書の絵が「不景気でグロテスクで、場違ひな感じ」の「ひどく厭な絵」で,いまでも中村不折には「いい感情」をもっていないというものですが……。
善公 そりゃ,どんな絵だったんですかね。
隠居 なんでも「薄ら青い洞窟かそれとも岩の前に皺だらけの裸の老人が立っている図柄」だったそうです。そしてその絵に嫌悪を感じた理由について, 「わたしは裸体画の基本的な条件(老人の肉体は不向き) に無知な(あるいは無知なふりをしてゐる)不折の物腰に,野蛮や無礼を感じ取ってゐたのだろう」と回想しています。
善公 ずいぶんと嫌ったものですね。
隠居 あたしはその絵(絵葉書)を見ていませんから,その反応の当否はわかりませんが,あたしが興味をもったのは「基本的な条件に無知」という言葉です。丸谷さんの本意から外れるかもしれませんが,あたしはその言葉から,認知症の男性が徘徊中に鉄道線路内に入り,列車にはねられて死亡し,その遺族に「事故を防止する責任があった」として損害賠償の支払いが命じられたというニュースをおもいだしました。
善公 ありました。あれはすこし情け知らずの判決じゃないですかね。
隠居 この問題に,丸谷さんの「基本的な条件の無知」という言葉をぶつけてみようとおもうのです。法律的なことはわかりませんが,あたしも心情的にあれは「情け知らず」の判決だという考えです。 「事故を防止する責任があった」という鉄道会社の主張が認められたということですが,今回のことは正常な判断ができる人間の自己責任に基づく行為が損害を生じさせたのとはちがう気がします。
善公 あっしもね,あまりにも杓子定規な気がします。
隠居 朝日新聞の記事(2013年9月27日/朝刊) によれば, 遺族側は「徘徊歴は過去に2回だけで事故の予見はできなかった」と反論しています。また,遺族代理人の弁護士も「介護の実態を無視した判決だ。認知症の人は閉じ込めるか、施設に入れるしかなくなる」と批判しています。
善公 そりゃあ,もっともな言い分だとおもいますよ。
隠居 法律的にいえば,鉄道会社の言い分も,裁判所の判断も正しいのかもしれません。でも法といい権利といっても,それは〈人間を生かす〉ことが前提の〈法〉であり〈権利〉であるはずです。そこのところが逆立ちしています。
善公 そうです。あっしの嬶はケチのかたまりで,あっしの小博打について煩いのなんの。金はひとにつかわれてなんぼのものでしょう……。
隠居 おまえさんの身勝手な理屈は措いて,弁護士の「介護の実態を無視した判決」という言葉は,裁判所あるいは鉄道会社が,介護について「基本的な条件に無知」なことを証明しているようにおもえます。 「無知」が言い過ぎなら,介護者が置かれている「基本的な条件」に対する「寛容」がないように思います。あたしの知人に夫婦ふたり暮しで,奥さんが介護4のパーキンソン病を患っている方がいます。定年退職後,自宅介護の度合いが大きくなり,ほとんど終日終夜奥さんの介護に追われています。最近は本人も体調を崩し病院通い。話を聞くだけでその負担の大きさに言葉もないくらいです。
善公 あっしも介護がたいへんなことは聞いています。
隠居 今回の遺族は「家族会議を開いて介護方針を決め,自分の妻に男性の介護を担わせていた」といいます。いわば責任ある行動をとった人間が,皮肉にもそのことによって法的責任を問われたともいえます。介護問題は,ほんとうはそうした当事者をその責務から解放して,社会全体の問題にすべきものなのだろうとおもいます。たしかに介護 ― とくに認知症の介護はむずかしい問題を含んでいて,その問題にかかわる当事者,支援者は徘徊事故などの防止についてさまざまな方策を講じているようです。でもその課題は一朝一夕に解決されるものではありません。だからこそ,今回の裁判所の判決は(鉄道会社の対応とともに)介護問題のもつ「基本的な条件」についての配慮が足りなかったようにおもいます。朝日新聞の記事中の長男のコメント ― 「一瞬の隙なく監視することはできません。施錠・監禁・施設入居が残るのみです。父は住みなれた自宅で毎日を過ごしていましたが、それは許されないことになります」という言葉が重くひびきます。




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