有限会社 三九出版 - 健康で社会と共に歩み続ける


















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〔「輝け、男七十代」を読んで思うこと〕
                   健康で社会と共に歩み続ける

                           宇都宮 徳久(神奈川県相模原市)

 私の父は,七十代目前で他界しました。実家は愛媛県の夏みかん農家で,前は海後ろは山の瀬戸内海に面した田舎でした。農閑期には釣りに行ったり,山歩きに連れて行ってくれたりとよく遊んでくれる父でした。父の七十代の姿を見たことはありませんでしたが,生きていたらどんな七十代を過ごしていたのでしょうか。もし生きていたら八十歳位ですが,今度は私が釣りに連れて行ってあげたのにと思う次第です。
 「輝け、男七十代〜」の特集では,社会貢献に取り組んでおられる方,生涯現役をめざして仕事を続けておられる方,趣味に打ち込んでおられる方,健康のために汗を流しておられる方々が寄稿されており,生き生きと充実した日々を過ごされている様子が伝わってきました。諸先輩方のすばらしい生き方に背筋が伸びる思いであります。
 私は今59歳です。外資系化粧品会社勤務の後,美容室向け化粧品の卸会社に勤めています。あと10年少々で七十代を迎えます。
 さて,私はちょうど40歳の時に太極拳と出会いました。運動不足解消と何とも優雅な動きに魅力を感じて始めました。これまでずっと続けています。皆さんは太極拳にどういうイメージをお持ちでしょうか。おそらく朝,公園でゆったり行う健康体操のようなものをイメージしているのではないでしょうか。実は,太極拳は中国で数百年前から身を守る武術として発展してきました。現在では太極拳の動きが健康増進に良いことから健康法として世界中に広まっています。ゆったりとした動きにはリラックス効果があり,足腰の強化のためにも大変良いといわれています。したがって特に中高齢者の方にはふさわしいスポーツといえるでしょう。太極拳の世界では50〜60代などまだ若手なんです。70代の方のピンと伸びた凛とした動きには美しささえ感じます。80代で現役の先輩も大勢います。生涯続けられる数少ないスポーツの一つであり,巡り会えてよかったと思っています。一方,武術競技として北京オリンピックでは公開競技として実施され,今後のオリンピック開催種目としても検討されています。
 そんな太極拳ですが,私の通う太極拳教室の佐藤衛先生を紹介します。現在七十代後半ですが元気でユーモアたっぷりな方です。ビールとカラオケが大好きで,懇親会では一番初めに「憧れのハワイ航路」を熱唱されます。神奈川県大和市に住む先生は30数年前に太極拳を始め,地域で普及に努めてきました。太極拳が日本でブームになるその前から普及に力を入れてこられ,神奈川県太極拳連盟の前理事長で,現在も大和市協会の会長を務めておられます。今も私たちの教室で毎週日曜日の午前中に指導しておられます。ますます元気で,最近は子供たちへの太極拳の普及にも力を注いでおられ,先生の今後の目標は「太極拳愛好者を今の10倍に増やすこと」だそうで,地域の方々が健康で長生きすることに情熱を注いでおられます。
 もう一人紹介したい方は,私が居住しているマンション管理人の松澤郁史さんです。彼も七十代後半です。私は昨年一年間管理組合の理事長を務めていた関係もあり,彼の人となりを改めて知りました。松澤さんは166戸ある居住者の名前をすべて記憶しているだけでなく,その住戸の家族・仕事・子供がいればどこの学校の何年生かまで把握しています。役員会の運営でも的確なアドバイスを頂ける頼りになる存在です。ボケるまで生涯現役を続けたい,そして居住者と交流することが生きがいとおっしゃっています。単に仕事として管理人を務めるだけでなく仕事に誇りをもっています。また彼は企画マンでもあります。3年ほど前から居住者の交流を目的に,8月下旬に「ちょっと遅めの夏祭り!!」を実施しています。マンション敷地内でソーメン流し・アユの塩焼き屋台を出し,集会室を開放し,大人から子供まで参加できるようにして1日を楽しく過ごせるようにしています。また,12月には「親父たちのクリスマス!!」も企画しました。親父たちはどうしても職場中心の生活になりがちですが,同じ屋根の下に暮らす者同士の繋がりの機会を提供しようと始めました。居住者の顔を見知っている,互いの情報を持ち合わせていることは,防災や日々の生活の安心・安全上の観点からも重要なことで,松澤さんは単に管理人の枠を超えた役割を果たしてくれています。すばらしい企画に私もずっと参加しています。
 このように,私たちの身近に元気で社会に貢献している七十代の方は大勢いらっしゃると思います。そこで七十代の役割ですが,七十代は心身ともに健康で積極的に社会と交わり,社会に貢献していくべき年代であるといえます。これまで生きてこられた経験と知識を活かし,若い世代を見守り,リードしていくべきではないかと考えます。そして「お迎え」が来るまで元気で長生きし,“ピンピンコロリ”と逝くのが望ましい人生ではないでしょうか。





 
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