有限会社 三九出版 - “コンパクトシティ”の建設


















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☆東日本大震災☆

                       宮城県山元町地区での復興・再生の状況 その2
                   “コンパクトシティ”の建設


                            菊地 文武(宮城県山元町) 
                            

 山元町は仙台湾岸の最南部に位置し,東西約6?・南北約11?の長方形の町で,西寄りの3分の1は山地と丘陵,残りは臨海沖積平野です。海岸線に沿って常磐線が走り,山下と坂元の2つの駅があります。仙台から35ないし45?のところにある山元町ですが,1960年頃までは駅と中心市街地が離れた純農村でした。しかし,1970年頃より,特に山下駅近辺での宅地化が進み始めました。とはいっても,駅周辺においても,道路などの基盤整備は進みませんでした。人口増加は1994年(平成6年)まで続き,その年の8月1日集計では19,036人になりました。でも,翌月から減少に転じて前月を上回る月がないような状態になり,震災直前の2011年1月末の集計では16,717人となっています。さらに同年3月11日の大震災で激減し,2014年4月末の人口は13,077人です。減少は鉄道の再開まで続くでしょう。
【鉄道が被災し,移設すること】
 2011年3月の巨大津波で山元町の半分を占める臨海沖積平野の部分は, 壊滅状態になりました。 鉄道も,レールや枕木さらには列車も流されました。復旧に当たり,線路の位置が問題になり,結局は,西寄りの水田地帯を通すことになり,山下駅を約1?,坂元駅も約600m西方に移しました。いずれも水田地帯の真っ只中ですが,駅と役場庁舎や病院・医院との距離は従来の半分の約1.5?になります。今後は,2つの駅の西側にできる新市街地を中心に町が広がっていくことになります。このような町づくりに向けての取り組みができたのは,鉄道の移設が大災害に伴う復興活動の一環という位置づけであったため,私有地の公共地化に際して土地所有者側が大幅な譲歩をし,国が財政支援を実施したからです。
【新しい町づくり推進のスタート――コンパクトシティ化による町づくり】
 山元町は,今後とも,仙台市のベッドタウンであり,同時に,仙台圏の人々にとっての日帰り行楽地( ※)をも兼ねる農業地区としての役割を担う町であるといえます。それで,まず,駅に近い所に町民の生活に必要な諸施設を集めて,この地区を中心に住宅地区を拡げていくのがコンパクトシティ化による,町づくりということになります。
  ※ 山元町での日帰り行楽地としての資源は, 砂浜海岸・防潮堤に沿う海浜公園,イチゴなどの園芸農業地区・水田地区・遺跡遺構が連続的に分布する里山地区等があります。
 現状の山元町は,言ってみれば,次のような状態に置かれていると言えます
 経済の高度成長期以後,特に山下駅に近い海岸部への転入が増加し,住宅は東部の浜堤部(臨海沖積平野の微高地)の全域にも散在するようになりました。その結果,上下水道の新設・維持に多大な経費がかかり,水道料金の高さは県でトップクラスとなりました。町内各地にあった小売店が消滅する中で,人口の高齢化が進んでいるので買い物や通院で困っている人はますます多くなります。高校・大学に通う生徒・学生は駅に出るまでが大変です。自転車で通学せざるを得ない小学生も多数います。子育て世代は,育児と子育ての両立がますます困難になり,利便性の高い町に引っ越さざるを得なくなりました。この状態がますます悪化したことで,仙台から35?圏で,駅が2つもある町でありながら人口の減少幅が大きくなったと言えます。そこに大震災の衝撃による人口減が加わり,さらに急減したことは冒頭に述べたとおりです。
 そこで,コンパクトシティ化による町づくりで,住みやすい町にして人口減少を抑制し,同時に,山元町の都市機能(この場合,広域仙台圏での山元町の役割)を高めることでの雇用増加を図ることになります。
 そのコンパクトシティ建設のための大まかな計画は,次の通りです。
 町内2つの駅を役場や病院・医院に近い場所に移すことになりました。次に,駅の辺りに広い公共用地を準備します。駅前広場の辺りには商業施設ゾーンや子育て支援ゾーンを配置します。その周辺には,高齢者福祉施設ゾーン・小学校などが建設されます。この辺りには,被災者向けの公営住宅が建設され,住宅用地も造成されます。病院や役場も駅からそれほど遠くない所にあるので,駅に近い所は子育て世代にとっても生活しやすい地区になるはずです。こうして,町内の住宅地域が新山下駅・新坂元駅・旧国立宮城病院の辺りに張り付くように誘導することで,山元町の「コンパクトシティ化による町づくり計画」は完了します。
 これからは,地方分権という国レベルでの大きな社会変動に対応する町づくり計画を策定し,できるところから実施すべきと考えています。財政状況や国債の処理状況によっては,国が,意外に早く地方分権に踏み切る可能性があるからです。




 
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