有限会社 三九出版 - 豪華な宮殿での初国際会議


















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☆超音波医学国際会議出席異聞(9)
                 豪華な宮殿での初国際会議

                         和賀井 敏夫(神奈川県川崎市)

 テヘラン大学での日程(「本物語」第45号)を終え,いよいよ今回の主目的であるウィーン世界会議に向けテヘランを出発した。ウィーンに向かう途上,アテネとローマに寄り,短時間ながら世界的に有名な遺跡類を見学した。その想像以上の素晴らしさに,思わず世界会議出席も忘れるほどの感激,興奮の連続だった。
 6月1日,ローマ空港よりウィーン空港到着,空港で会議役員の出迎えを受け,会議が手配してくれたホテルまで送って頂いた。早速,会議登録のため世界会議会場のホーフブルグ宮殿を訪れた。初めて見る豪壮なハプスブルグ家の宮殿には驚嘆するのみで,さらにこの宮殿内のシャンデリア輝くステンドグラスのある会議室での国際会議場には,感激で正に夢見る心地だった。このウィーン世界会議は,初めて全世界的規模において超音波診断に関する会議であったが,当時,欧州では日本の情報が不足だったため連絡が悪く,全参加者約200名の内,日本から出席したのは私を含む数名に過ぎなかったのは残念だった。私は演題公募に対し,脳疾患,乳癌,肝臓癌,胆石症の超音波診断の4題を申し込み,せいぜい1,2題採択されれば幸い位に思っていた。ところが会議当局より全部採択との通知を受けたのには驚くと同時に,発表準備に何とも忙しいこととなった。
 ウィーンフィルの演奏による荘厳な開会式は,正に夢見る心地だった。私の4題の研究発表と他の日本人の発表を通じ,日本の研究レベルの高さを世界に示すことが出来たのは幸いだった。また私は多くの知己の研究者との再会や,当時の世界的なパイオニアとも親交を得ることが出来たのは幸いだった。会議の進行上,最も感心したことに英,独,仏の完璧な同時通訳があった。これには講演の同時通訳は勿論,自由討論まで3ヶ国語による完全な同時通訳が行われたことは驚きだった。しかしこのような完璧な3ヶ国語の同時通訳の実施には多大な費用と専門家が必要になることから,次回大会からは使用用語は英語のみとなった。
 会議の忙しい日程を縫って, ホーフブルグ宮殿内部の見学を行った。 落ち着いて初めて見るホーフブルグ宮殿は,トルコ軍の攻撃からウィーンを守った勇壮なプリンツ・オイゲン公銅像を先頭に半円形に建てられたゴシック建築の粋を集めた豪華なハプスブルグ家の宮殿,しかも最も感動したのは,正面尖塔のハプスブルグ家の象徴の双頭の鷲の下のバルコニーで,前大戦中ヒットラーがオーストリア合併を宣言し,これをウィーン市民が慙愧の涙ながらに聞いたことを,ウィーン大学の先生から聞かされたことだった。歴史は現在まで生き続けていることを実感したのだった。
 また会議会期中に会議主催の各種の社交行事が行われた。世界的に有名な国立オペラ劇場でのオペラ観劇への招待では,一般観劇の若い男女のカップルも,フォーマルな服装で来ていたのには感心させられた。劇場内の豪華な造りに驚嘆,私達世界会議参加会員のために1階のフロアの正面席が用意されており,観劇者全員の温かい歓迎の拍手を受けたのは感激だった。また世界会議会長夫妻主催の出席各国代表を招待しての正式晩餐会では,招待状にフォーマルドレスとあったので,フォーマルスーツを持参しない私は辞退を申し出たが,「旅行者だから,ダークスーツでも良い」とのことで出席することになった。ここでは正式の欧州スタイルの晩餐会を経験することが出来たのは幸いだった。さらにウィーン市長主催の有名な市庁舎での歓迎舞踏会への招待では,豪華なホール正面ステージにはウィーンフィルのメンバーが着席しており,その前に舞踏会用のフロアが用意されていた。多くの出席者がフォーマルな服装であったのを見て,スーツ姿の私は気が引ける思いだった。やがてウィーンフィルの素晴らしい演奏が始まると,参加者は中央のホールに出て優雅なワルツのダンスを始めた。私は映画でも見る心地で,しかもダンスは全然だめなため,情けない思いをしたのだった。ウィーン市内の観光では,「会議は踊る」で有名なシェーンブルーン宮殿の見学で,その豪華さに驚嘆すると同時に,マリア・アントワネットの悲劇を思ったのだった。また会議役員の案内で,ベートーベンが好んで通ったレストランで,ウィーン名物の「子牛の脳」を賞味したことは,忘れえない思い出となっている。
 一方,この世界会議中に,世界超音波医学学術連合結成の正式な提案がなされ,私がこの世界連合結成のための定款作成などの準備委員に任命されるという画期的な出来事があった。これが7年後の1976年,米国におけるこの世界連合結成大会において,私が初代会長に推挙されることになろうとは,当時は全く考えられないことだった。その後,ウィーンを度々訪れることになったが,この初めてのウィーン訪問が最も強烈な印象として残っている。






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