有限会社 三九出版 - 従兄の墓碑銘から


















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〔後生に告ぐ!〕
                     従兄の墓碑銘から
                            伊藤 卓雄(埼玉県所沢市)

 今年(平成26年)の早春,亡父の七回忌法要に出席するため,久しぶりに帰郷した。墓参の折に,同じ菩提寺にある親戚の墓にも詣でたが,それは,亡父の甥にあたる従兄のK兄が,先の大戦(第二次世界大戦)の末期にビルマ(今日のミャンマー)での戦闘で斃れ,ここに眠っているからだ。
 実は,従兄といっても,18才も年上で,会ったことはなかったし,親戚に「ビルマで戦死した人がいる」ということを聞いたにとどまり,詳しいことは分らなかった。筆者は,幼児期に亡父の赴任地台湾で過ごし,空襲を体験したこともあり,長じて,先の大戦のことを学び,映画「ビルマの堅琴」など心に留まる材料がありながら,K兄の戦死のことには思いが及ばなかったのだが,先頃の墓参の際,思いがけない発見をした。
 親戚の墓碑には,K兄について「昭和二十年四月二十八日戦没 二十三歳」と刻まれているが,その傍に、古びた小さな石塔(以前の墓所から移設されたものらしい)があった。ここに墓碑銘が刻まれ,戦死当時の戦闘の状況が短く記されていたのだ。「昭和二十年四月二十八日二十時二十五分頃パヤヂ東方約五百米附近の戦闘に於いて戦死す 故陸軍〃曹 ○○○○ 二十三才」
 幸いK兄の3番目の弟が健在なので確かめてみると,当時の上官からかなり長文の状況説明の手紙が来たそうだが,残念なことに,今は失われていて詳細を辿る由はない。記憶によれば,「現地応召」で,激戦中に,追走してきた英軍の空爆に遭った。当時トラック部隊の一員として,弾薬を積んで移動中を狙われたらしく,被爆の現場から脱出できなかったのだろうとのことだったようだ。
 後日,墓碑銘の記事中の「年月日と時刻」,「パヤヂ」という地名及びK兄の弟の話にヒントを得て,「防衛庁(現防衛省)関係資料」に当たってみると,「防衛庁防衛研究所戦史室著」による『戦史叢書シッタン・明号作戦』(朝雲新聞社)中に,「パヤジー」の地名を発見,ついで,ビルマ戦線崩壊の過程において,「昭和二十年四月二十八日」前後以降に,同地で激戦が行われた記述があることを知った。
 大戦末期の戦況は,全般的に敗勢にあり,太平洋方面でも各地で厳しい局面が続いたが,ビルマ方面でも,劣勢のうちに転戦を重ねていた。インド北部の都市インパールを巡る作戦の失敗から,後退を重ね,ビルマ戦線崩壊の最終段階では,イギリスとインドの連合軍の急進撃により,ビルマ方面軍の本部があったラングーン(現在のヤンゴン)の陥落が迫り,その防衛の一環として,その北方にパヤジー守備隊が置かれ,  また,救援部隊が派遣されたりもした。墓碑銘の記事は,この時期の戦況にも符合して興味深いが,これら各部隊との関連は不明だ。別の記録から知り得たK兄配属の「特設トラック第○○中隊」の記事にも,この時期の活動記録までは残されていない。墓碑銘の記事源も辛うじて生き残った兵士などの情報だろうから,極めてアバウトではあるが,過酷な戦況下における若者達の悲運を思うと全く同情を禁じ得ない。
 K兄戦死の直後(同年5月頃)のこと,遠く離れた台湾では,日本本土進攻を目指す米軍戦略の一環として空爆が続いた。わが家では,当時の国民学校(今の小学校)勤務だった亡父が空襲で被爆,負傷,右肩胛骨に爆弾の破片が残ったままで,長年苦しんだが,幸い長寿を得,6年前に白寿の生涯を終えた。亡父が無事で,家族全員のその後があったことを考えると,まさに僥倖だった。独り合点だが,亡父の法名に「超勝」の2文字があり,K兄の院号にも同じ2文字が含まれていることに不思議な因縁を感じているのだ。戦時下の直接的被害者の一人といえる亡父以外に,わが一族にもう一人,戦陣に倒れた前途有為の青年K兄がいたことも記憶と記録に留めておきたい。
 数千万人にも上る犠牲者を生んだとされる第2次世界大戦の教訓から,人類は,国際連合,EUといった国際共存・平和維持のための仕組み(組織とルール)を編み出し,わが国も新憲法を定めて非戦を願い,不戦を誓って,国際社会に復帰し,平和への努力を続けてきたはずだが,いまだに,世界中で戦争の悲劇が絶えず,また,多くの犠牲と代償を払ったわが国の立場も安定せず,むしろ不安要素が膨らんでいる現況は憂慮に耐えない。
 争いはなぜ絶えないのか。「ヒト」という生物学上の1種に過ぎない人類だけが、道具(武器)を使って同類と相争うのはなぜか。生物としての生存競争の中で摩擦が生ずることは必然だとしても,争いの根源となる欲望や貧困,猜疑心や不信感に伴う憎悪の問題は,人類の知恵で克服するしかない。争いの根源を絶えず問い,取り除く努力,そのためには,何よりも,共存共栄,共生の思想を基礎に相互理解を深め,独善や固執を排し,共感・共同できる仕組みづくりとその維持発展が必要だとしきりに思う。

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