有限会社 三九出版 - 常 を 疑 え


















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〔後生に告ぐ!〕
                 常 を 疑 え

                   吉岡 昌昭(埼玉県さいたま市)

 先頃、統一地方選があったがいつもの通り投票率は低く、無投票再選が多かった。選挙は民主主義の根幹をなすもので、投票は国民にとって最重要行為であり、これを放棄するのは自己否定につながる。尤も選びたい人がいないということもあるが、これは制度的に新人が出にくいようになっているのではないか? ともかく、地方自治体の選挙は身近な代表を選ぶのだからもっと積極的に関わって行くべきである。
 今年は戦後70年、現在、8月の安倍首相「談話」が話題になっている。首相談話としては、過去に「戦後50年」村山談話、「戦後60年」小泉談話があるが、安倍首相は前例に拘る必要はない。私見だが、状況によっては出さない方がいいと思う。
 敗戦時、小学校2年生だった私は、日本の戦後の経済復興・発展が、その前提としてどれだけ多くの犠牲を払ったかを知っている。1941年、日本がアメリカに宣戦布告、太平洋戦争に突入した結果、相手の反撃で東京は焼け野原、大阪、神戸ほか各地で壊滅的打撃を受け、広島、長崎の原爆投下と国民は多大な被害を蒙り、結局無条件降伏。その結果、旧体制が崩れ、連合国により民主的な制度が導入されたのである。
 教育制度は六三制と変わり、私の小学生から中学にかけて日本はまだ占領下にあり、民主主義も碌々理解できない大人や教師たちの指導で手探り状態の中で高校・大学へと進んだ。社会人となってからはひたすら経済発展を目指し働いてきた。その中で、常々疑問に思っていたのは、日本は軍事力を持たず経済力だけで国際社会で通用するのだろうか?ということだった。しかし、長い間続いた東西冷戦構造は我が国に利し、自由主義を掲げるアメリカの傘の下で経済発展だけを考えてきた結果、アメリカに次ぐ世界第二の経済大国になった。その後、1989年11月ベルリンの壁が崩れて世界は大きく民主化の方向に進み、1993年、欧州では長年の念願だったEU(欧州連合)がスタートした。
 そして戦後70年、今や人口の4分の3が戦後生まれであり、世の中は大きく変わった。この間の技術革新と産業の発展は人々の生活を豊かにし、同時に人々の考え方を大きく変えた。今や歴史的な転換期にあるといえよう。
 今日、我々は平和裡に生活を送っているが、「平和」とは戦争の無い状態であり、経済発展は平和でなければ達し得ないことを肝に銘じておいてほしい。
 さて本題に入る。現在、私が気になっていることがいくつかある。以下それを列記し、後生の人々に問題意識を持って頂き、改善の努力をお願いしたい。
(1)選挙制度の改革:過去20年間に行われてきた小選挙区制の反省と制度の改革。昨年12月の衆議院総選挙でも一票の格差について各地で選挙無効の申し立てがあった。司法の判断は「違憲状態」としつつも選挙無効の判断は少数である。司法は三権分立の一翼として重要な機能を果たしているのだから毅然とした判断がほしい。
(2)国会法の改正:国会の予算委員会での質問はどうも形式的で本当の考えが伝わってこないように思う。質問書を予め相手に渡しておき、その回答を被質問者は政府に頼み答弁を作成しているようだが、パフォーマンスだけ目立ち厳しさに欠ける。
(3)政治資金規正法の見直し:政治家と金の問題である。この法律は抜け道が多く国民にとって分かりにくい。透明性ある規制を設けるべく改正すべきである。
(4)裁判員制度の定着:極悪な事件だと、精神的についていけないとして辞退する人が多いそうだが、この制度を尊重し、定着するよう是非協力してほしい。
(5)皇室典範の改訂:政府は「集団的自衛権」や「特別秘密保護法」には熱心だが、象徴「天皇」の皇位継承についてはまったく検討されていないようである。男系優先もいいが、将来のことも考え慎重に対応していってほしい。
(6)教育委員会制度の見直し:現在の教育委員会が制度疲労を起こし、常々問題多発であることは周知のとおりである。教育制度と教育現場、即ち、小・中学校の教員養成制度およびその採用制度の見直しが急務である。
(7)原子力発電所の再稼働問題:エネルギーとしての原子力利用は理解できるが、福島原発事故以来、安全神話は崩れた。過日、福井地裁は関西電力高浜の再稼働について差し止め請求を認めた。他方、九州電力川内については鹿児島地裁は住民の要求を却下した。それぞれ難しい問題だが、両地裁とも判断の物差しは「原子力委員会の審査基準」である。福井では基準が緩やか過ぎるとし、鹿児島では基準に不合理な点は無いという。要は事故対策としての「安全確保」を真剣に考えるべきと思う。
(8)「常を疑え」:我々は新聞、テレビ、ラジオとメディアを通じて情報を得ているが、彼らの報道に騙されてはならない。彼らは時として無意識に国民を地獄へと運んでいくことがあることを我々は経験している。


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