有限会社 三九出版 - 校正おそるべし」が引き継ぎ事項


















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☆《自由広場》

            「校正おそるべし」が引き継ぎ事項

              山下 定利(千葉県千葉市)

わがサラリーマン人生は,昭和33年にスタートした。 日本経済の復活から躍進への,激動期を体感することになる。
会社はエネルギー革命の波に乗るとともに,高い経済成長に支えられて,巨大企業になった。小生の任地の大半が,本社であったこともあり,職務の中に,各地の支店・出張所への指示・連絡信やPR資料,メディア向け文書等を作成する仕事があった。       
仕事の引継ぎは終戦直後に入社した先輩からで, 締めくくりは居酒屋における訓話。内容は「校正おそるべし」であった。
会社は敗戦で,活動のウエイトが高かった満州の,総べての財産を失い,昭和20年代は苦難期にあった。石油販売だけでは社員を養えず,再建を期して,ラジオの修理業,石鹸や正露丸の販売,印刷事業等で凌ごうとしていた。先輩はこの印刷部門に属し,其処での失敗談が引き継ぎの中身なのであった。その一は,単行本の美麗表紙の印刷で「東海道五十三次」が三十五次と刷り,儲けが吹っ飛んだ話。その二は,ストリップ劇場のチラシの印刷で,片方の乳頭の刷りが薄く,小さな丸を数千枚に手書きした苦労話であった。
この教訓に感心し,小生は仕事に細心の注意を払うよう努め,特に書籍や資料をゆっくり,丁寧に読む癖をつけた。このお陰で,第一発見者の栄?に浴したこともあった。ある月のわが社誌の編集後記で,「……最近の若者は漢字に弱い……」と大見栄をきった後,「……の神随を極めたいもの。」と結ぶ。当て字等を戒めた文章の中で,自ら犯してしまったのである。小生の指摘に責任者は動転し,気の毒であった。
小生には文書のチェック依頼が増えるのだが,其処で失敗をやらかすのである。その一は1ℓのオイル缶の印刷で「MOTOR OIL」であるべき処.「MOTER」となり,全国に出荷されてしまった。支店からは,「話題づくりのつもりか?」と冷やかされ,ミスを初めて知る有様。4ℓ缶は,まともであったから金属板の印刷段階に原因ありと判ったが,小生と製品の製造担当者,製缶業者のトリプルミスだった。もちろん大量の製品が回収された。
もう一つは,ゲラ刷りの手紙をみて欲しいとの依頼で,「……全国の単協を草履掛けし,隈なく販売したい……」という支店に対する営業方針を伝えるものであった。間違いは,小生が「草履が擦り切れる程,販売に徹せよ……」の意と独り合点したことにある。発信した後,実は草履(ぞうり)ではなく,草鞋(わらじ)であったと担当者。言われると草鞋の方が勇ましいし,また草履掛けとは言わない。このミスは,校正を単に文字のチェックで済ませたことにあり,依頼者(発信者)への思いやりが足りなかったことを悔やんだ。
後輩には,わが失敗を踏まえて「教訓」なる先輩風を吹かせたものだが,その例を50年溯って,思い出してみた。
○使い方を間違えやすいので注意せよ。
破天荒  役不足
 ○間違いも時を経て認知されることになった例を知ろう。

本 来             近 時
独擅場(どくせんじょう)   独壇場(どくだんじょう)
病膏肓(やまいこうこう)   病膏盲(やまいこうもう)
磐石             盤石
手を拱く(てをこまぬく)   手を拱く(てをこまねく)
垂涎の的(すいぜんのまと)  垂涎の的(すいえんのまと)
極め手(きめて)       決め手(きめて)

校正の実務は,本来試し刷りのチェック作業である。小生は,これに加えて少しだけ添削する機会にすべき,と考えるようになっていく。やがて,小生の気配りに気付く後輩も現れ始めた。例えば,添削を鉛筆で薄く書き込むことなど。修正は容易に消すことができ,痕跡は残らず,原稿のプライドを傷つけない。此の,まことに小さな気遣いは,高等学校で学んだ金言(躾)のお陰かも。それは耳にたこの論語,「子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎」(弟子の子貢の「生涯で大切にすべき一言は?」に,孔子は「思いやり(恕)かな」と)。小生はここで,三九出版の庄子社長の「恕が怒になっていないか」と,目配りされる姿を思い浮かべ,嬉しくなっている。
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