有限会社 三九出版 - 〈花物語〉     梅


















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             〈花物語〉     梅 

              小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)

わが国では,観桜は事後の杯盤狼藉が新聞記事になることがあるが,観梅は季節の抑制がはたらくのか穏やかである。 『万葉集』には梅を詠んだ歌が118首,桜を詠んだ歌が44首あるそうだが,遣唐使が廃止された平安時代以降,梅は桜に主座を明け渡したという。梅の歌のはやり廃りには唐文化の影響があったのだろうか。因にいえば,精査したわけではないが『李白詩選』で花の名を拾うと,桃,菊,牡丹などは頻出するが,不思議なことに梅はわずかに「梅花引」「落梅花」「落梅」の楽曲名と「落梅を弄す」という言葉をみるだけである。理由はわからない。
ところで,わたしの部屋の本棚に一枚の写真がある。わたしが撮影したもので,被写体は奈良柳生の里の芳徳禅寺の庭にある梅の古木の幹の部分を写したものである。美しい苔の重なりに抽象画の趣があるのに魅かれたのだが, 同時に(唐突だが), わたしはその梅の古木全体から世阿弥の「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」という言葉をおもいだしていたのである ― つまり梅の木は「秘すれば花」の具象そのものだが,桜の木には老いてなお華やかな残像がついてまわる。
 老いたいま,わたしに梅の古木がもつ枯淡はおとずれるのだろうか。遠い日に読んだ中原中也の「あゝ おまへはなにをして来たのだと……
/吹き来る風が私に云ふ」という言葉が容赦なくわたしに突き刺さる。
巻き戻すことのできない時間という歯車の音を軋ませながら……。
※「『万葉集』には……明け渡したという」(『樹木』片桐啓子・文/
   金田洋一郎・写真/西東社) 『李白詩選』松浦友久訳/岩波文庫)
『風姿花伝・三道』(世阿弥・竹本幹夫訳注/角川ソフィア文庫)
『中原中也詩集』(大岡昇平編/岩波文庫) 
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