有限会社 三九出版 - アリヤラトネの「サルボダヤ・シュラマダーナ運動」


















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☆《自由広場》

      アリヤラトネの「サルボダヤ・シュラマダーナ運動」 

             坂部 正登(愛知県犬山市)

1949年に独立したスリランカは現在も,世界最貧国の一つ。この貧しい国に世界で最もすぐれた農村改善運動の「サルボダヤ」があり,「自分たちも貧しいのに,もっと貧しい人々に手を差し伸べている」という話が僕の耳に届いた。物が有り余ってその使い道を見失い,哲学的に盲目的な国日本に居て聞いたこの話は,目の覚めるような血沸き肉躍るものでした。このサルボダヤ運動の起こりは……。
1958年,コロンボの名門高校の教師だったアリヤラトネが,その年の夏休みに仲間の教師と高校生を率いて,コロンボ北方の貧しい村カナトルワ村に出かけ,キャンプを行ったのです。この村は周辺地域から差別され,そこに棲む人々は極貧と無教育の中,台所も便所もなく電気もガスも水道もない生活でした。高校生らは2週間キャンプを張って村人と一緒に井戸を掘り便所を作り道を造り,村人たちに「自分たちの生活を自分たちの手で改善する意味と意義とそれを実践する力」を植え付けて帰ったのでした。アリヤラトネがこの村でキャンプをした目的は,コロンボの上流階級の子弟に,貧しい農村での労働奉仕を通じて,彼らを新生セイロンの市民として民意を知る人材に育成したかったのです。
その後アリヤラトネ氏がインドを旅した折り,故マハトマ・ガンジーの興したサルボダヤ・アシュラム運動の後継者で「ブータン土地寄進運動」の推進者のバーべ翁に出会い,彼の語る実践哲学に強い影響を受け,そのことが自分がセイロンで始めていた労働奉仕運動体である「シュラマダーナ」に「サルボダヤ」の名を付け加えるきっかけになったと,後年アリヤラトネ氏はその著書の中で語っています。
1991年,僕は岩手県沢内村の太田村長がアリヤラトネ氏に招かれてスリランカを訪問する折りに随行し,サルボダヤ本部でアリヤラトネ博士と親しく面談し,今までの業績についての話を聞き,その足でサルボダヤの村づくりの実態を,実践する現地で体験する機会を得たのです。サルボダヤ運動が村に受け入れられる時,最初に行われるのが「シュラマダーナ」です。今回の現場はスリランカ最南端の町マータラから内陸に入ったガンダーラワッタ村での「村人総出の道路の補修作業」でした。
村の母親達や青年達や子供達が,使い古して半ば壊れかけた鎌や鍬やスコップや鉈を持って集まって来て,村人達とサルボダヤの青年指導者達が一緒になって作業が始まりました。道端の草が刈り取られ,道の両脇には溝が掘られ,道路は平坦にならされていきました。3時間ほども作業して昼休みになると,お母さん達手作りのスリランカカレーを,路面に敷いたゴザに車座になって,皆で賑やかに食べ始めたのです。貧しい村の人々にとって,普段から何の娯楽も楽しみもない生活だっただけに,たったこれだけの共同作業と村人が集まって一緒に食べる昼ご飯の場が,何ものにも代え難い楽しい集まりとなり,村人の中にサルボダヤの「村づくりの理念と哲学」が無意識のうちに染み込み,その後,村の若者達を中心に「自力の村づくり」が進展していく基となったのでした。
そして翌年,われわれの創造性教室(「事実から学ぶ」ことを通じて人材を育てる教室)がサルボダヤとリンクアップして,このガンダーラワッタ村に幼稚園をつくるという「課題」が持ち上がりました。幼稚園づくりの始めにアリヤラトネ博士から与えられた条件は,①幼稚園の建設場所の選定には村人の話し合いを,②選定した土地の樹木や草の伐採,③その土地の整地や建設までの全ての作業,④幼稚園建設材料の作成調達,⑤完成後の幼稚園運営の全行程に,⑥村人を巻き込んで実践すること。そして,⑦その全プロセスの中で決して「金をばらまいてはいけない」と釘を刺すように宣言されたのです。この幼稚園の完成までに3年掛かり,村人自身が「自分達自身の手でつくりあげた幼稚園だ」という素朴だが,宝物のような幼稚園を創り上げることが出来たのでした。
このようなサルボダヤの農山漁村を活性化する運動は,すでにスリランカ全土の3分の1以上の地域に及んでいるとのこと。そのためスリランカで大統領選挙が行われる度に現職派と反対派の双方から,アリヤラトネ氏のこの国民的な人気が恐怖の種となり,彼への嫌がらせが横行し,身の安全さえもままならない程であると聞いた。これに対しアリヤラトネ氏側からは「自分は政治の世界に全く関心はない」と声明が出されるのだが,ほとんどその効き目はないという。
僕の見るところアリヤラトネ氏には,スリランカの中の地域的な揉め事に引きづり込まれるよりも,「ノーベル平和賞」こそが彼の行動に対する適切な評価であると思うのだが,そういう情報はいまだに僕の耳に聞こえてこない。
その後のアリヤラトネ氏の動向はどうなっているのであろうか。 
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