画家・堀文子を想う
岡 美奈子(東京都府中市)
昨年の師走半ば,三九出版さんから原稿依頼が飛び込んできました。この頃の私は,あまり興味のない事には積極的に近寄らず遠のく態度をとることが続いていました。本を読むこと,作句すること,文章を書くことは勿論のこと,手紙を書くことすらもなるべく遠ざかった生活の日々となっています。根気のいるピアノの新曲の譜読みや,ネットスーパーの買い物のパソコン入力にも眼球に疲労が押し寄せます。気力や体力で乗り切りましょうと張り切っても急に目の前が真っ白になります。真っ暗な闇の世界ではなく霧の世界に一変します。数年前に白内障の手術をしましたが,効果が薄れてきているのでしょう。消極的な日々を漫然と過ごしていた私でした。
さて,そんな消極的な日々を漫然と過ごしていた私には,原稿依頼は「喝」でした。
一月二十一日(火),この日の朝の空は滅多にない快晴です。地球温暖化とか木枯らしが吹かないまま冬に突入したとかのこの冬も既に大寒。日めくりのように晴れ・曇り・雨が続きましたが,二十一日は命の洗濯の絶好の冬日和でした。朝の連続テレビ小説「スカーレット」が終わるや否や飛び出しました。中央本線の特急「かいじ一号」に立川(八時五十九分発)で乗り,甲府で普通電車に乗り換えて韮崎へ。タクシーで五分と,とんとん拍子でした。数年前から気になっていた韮崎大村美術館へとまっしぐらです。我が家から二時間余で到着。韮崎大村美術館では日本画家堀文子さんの「追悼―堀文子展」と造形作家「音丸瑠美子漆芸典―心の遠音」も同時開催されていました。
韮崎大村美術館の館長大村智(さとし)氏は2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞され,研究者でありながら芸術に造詣が深く蒐集品は膨大な数とのことです。収蔵作品については「大村智博士が蒐集した美術品を基に、女性美術家による作品,日本近代の洋画家・鈴木信太郎作品、日本の民芸運動を伝える陶芸作品を軸に構成されています。
収蔵作家に女子美術大学出身者の方が多いのは、同大学が女子の美術学校として最初に開校し長い歴史を有していることと、博士が長年にわたり同大学の理事長を務めたことに因ります。これらの収蔵品のテーマを設定し、年四回企画展を開催しています。それに併せて、常設室と鈴木信太郎記念室も入れ替えを行っております。」と案内書にしるされています。
昨年二月に百歳で逝去された日本画家堀文子さんの生き方には以前から私は魅かれていました。折々に著作「堀文子の言葉 ひとりで生きる」を紐解けば自分の生半可に過ごしている一日一日がとても恥ずかしくなってきます。
「群れない、慣れない、頼らないが私のモットー」の信条から始まる九十歳の堀文子さんに私の体に衝撃が走ります。
第一章「自由は命懸けのこと」では「気を抜かず、わくわくしながら最後の旅を終えたい」と結ばれています。第二章「蘇生の軌跡」では大病で絶対安静状態となっても顕微鏡を手許に置き,今までとは違った世界との出合いは病のお陰と前向きでした。第三章「感動していたい」では息の絶えるまで感動していたい。やりたかったことはわすれずにいれば何十年と月日が過ぎても不思議とチャンスはやってくるものです。第四章「孤独を糧として」では日本はバブルの真っただ中。恥知らずに成り下がり品位を失ったこの国で死ぬのは嫌だ。七十歳ではイタリアのアトリエに。第五章「美にひれ伏す」では奢らず・誇らず・羨まず・欲を捨てて……一所不在の旅を続けた。第六章「乱世を生きる」では関東大震災・二二六事件といい「在るものはなくなる――」を実体験。第七章「自然への思い」では八十一歳の時,ブルーポピーを求めヒマラヤへ。むさぼらず、誇らず、黙々と下積みの暮らしに徹する名もなき者の底力がどくだみを描く自分の体に地鳴りのように響きわたる。最終章では「残り少ない老いの日を迎えた今、私の選んだ一間暮らし。誰に遠慮もせず捨てること、縮小すること……が嬉しい」とはじまり,「九十歳を迎えた今、逆らうことを忘れ、成り行きのままに生きる安らぎの時が、いつの間にかきたようだ。」「王者の威厳をもつ、この老木の下で、今私は最後の絵を描いている。」と結ばれています。
韮崎大村美術館のカフェや庭園からは,冬富士の雄姿をはじめ,雪を纏った八ヶ岳や茅ヶ岳,奥秩父連峰を望むことができます。この日は快晴に恵まれ,三面ガラス張りのカフェからは思う存分の景色を堪能してきました。近隣する白山温泉には今回は入りませんでしたが,美術館の地続きのレストランでは地元の蕎麦と地元の野菜の天ぷらに舌鼓をうちました。
岡 美奈子(東京都府中市)
昨年の師走半ば,三九出版さんから原稿依頼が飛び込んできました。この頃の私は,あまり興味のない事には積極的に近寄らず遠のく態度をとることが続いていました。本を読むこと,作句すること,文章を書くことは勿論のこと,手紙を書くことすらもなるべく遠ざかった生活の日々となっています。根気のいるピアノの新曲の譜読みや,ネットスーパーの買い物のパソコン入力にも眼球に疲労が押し寄せます。気力や体力で乗り切りましょうと張り切っても急に目の前が真っ白になります。真っ暗な闇の世界ではなく霧の世界に一変します。数年前に白内障の手術をしましたが,効果が薄れてきているのでしょう。消極的な日々を漫然と過ごしていた私でした。
さて,そんな消極的な日々を漫然と過ごしていた私には,原稿依頼は「喝」でした。
一月二十一日(火),この日の朝の空は滅多にない快晴です。地球温暖化とか木枯らしが吹かないまま冬に突入したとかのこの冬も既に大寒。日めくりのように晴れ・曇り・雨が続きましたが,二十一日は命の洗濯の絶好の冬日和でした。朝の連続テレビ小説「スカーレット」が終わるや否や飛び出しました。中央本線の特急「かいじ一号」に立川(八時五十九分発)で乗り,甲府で普通電車に乗り換えて韮崎へ。タクシーで五分と,とんとん拍子でした。数年前から気になっていた韮崎大村美術館へとまっしぐらです。我が家から二時間余で到着。韮崎大村美術館では日本画家堀文子さんの「追悼―堀文子展」と造形作家「音丸瑠美子漆芸典―心の遠音」も同時開催されていました。
韮崎大村美術館の館長大村智(さとし)氏は2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞され,研究者でありながら芸術に造詣が深く蒐集品は膨大な数とのことです。収蔵作品については「大村智博士が蒐集した美術品を基に、女性美術家による作品,日本近代の洋画家・鈴木信太郎作品、日本の民芸運動を伝える陶芸作品を軸に構成されています。
収蔵作家に女子美術大学出身者の方が多いのは、同大学が女子の美術学校として最初に開校し長い歴史を有していることと、博士が長年にわたり同大学の理事長を務めたことに因ります。これらの収蔵品のテーマを設定し、年四回企画展を開催しています。それに併せて、常設室と鈴木信太郎記念室も入れ替えを行っております。」と案内書にしるされています。
昨年二月に百歳で逝去された日本画家堀文子さんの生き方には以前から私は魅かれていました。折々に著作「堀文子の言葉 ひとりで生きる」を紐解けば自分の生半可に過ごしている一日一日がとても恥ずかしくなってきます。
「群れない、慣れない、頼らないが私のモットー」の信条から始まる九十歳の堀文子さんに私の体に衝撃が走ります。
第一章「自由は命懸けのこと」では「気を抜かず、わくわくしながら最後の旅を終えたい」と結ばれています。第二章「蘇生の軌跡」では大病で絶対安静状態となっても顕微鏡を手許に置き,今までとは違った世界との出合いは病のお陰と前向きでした。第三章「感動していたい」では息の絶えるまで感動していたい。やりたかったことはわすれずにいれば何十年と月日が過ぎても不思議とチャンスはやってくるものです。第四章「孤独を糧として」では日本はバブルの真っただ中。恥知らずに成り下がり品位を失ったこの国で死ぬのは嫌だ。七十歳ではイタリアのアトリエに。第五章「美にひれ伏す」では奢らず・誇らず・羨まず・欲を捨てて……一所不在の旅を続けた。第六章「乱世を生きる」では関東大震災・二二六事件といい「在るものはなくなる――」を実体験。第七章「自然への思い」では八十一歳の時,ブルーポピーを求めヒマラヤへ。むさぼらず、誇らず、黙々と下積みの暮らしに徹する名もなき者の底力がどくだみを描く自分の体に地鳴りのように響きわたる。最終章では「残り少ない老いの日を迎えた今、私の選んだ一間暮らし。誰に遠慮もせず捨てること、縮小すること……が嬉しい」とはじまり,「九十歳を迎えた今、逆らうことを忘れ、成り行きのままに生きる安らぎの時が、いつの間にかきたようだ。」「王者の威厳をもつ、この老木の下で、今私は最後の絵を描いている。」と結ばれています。
韮崎大村美術館のカフェや庭園からは,冬富士の雄姿をはじめ,雪を纏った八ヶ岳や茅ヶ岳,奥秩父連峰を望むことができます。この日は快晴に恵まれ,三面ガラス張りのカフェからは思う存分の景色を堪能してきました。近隣する白山温泉には今回は入りませんでしたが,美術館の地続きのレストランでは地元の蕎麦と地元の野菜の天ぷらに舌鼓をうちました。
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