K 市 T 町
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
フェルナン・ブローデルの『地中海世界』第二巻(神沢栄三訳/みすず書房)のなかの「ヴェネツィア」と題されたエッセイに,「ヴェネツィアもまた(ロビンソン・クルーソーの島のように)大人あるいは大人に近い人間の,大きくなりすぎはしたがなお夢想することができる子供たちのための島であり,別世界なのである。―(略)― 人はヴェネツィアについて現実にそれを識る前からあまりにも想像を逞しくするために,ありのままの姿が見えてこないのである。われわれは自分の中のヴェネツィアを愛しているのである」という言葉が出てくる。「ヴェネツィア」を〈ふるさと〉に置き換え,「別世界」と「愛している」に焦点をあてれば,これはそのままわれわれの〈ふるさと〉に対する意識のありようを表現しているといってもいいだろう。
「贋ふるさと記」の第二回は,K市のT町。わたしはその町で生まれ,小学3年の時に戦時疎開で母方の在所に移るまでそこで暮らした。わたしの「愛している」町のひとつである。いまではそこでの生活の「ありのままの姿」を思い起こすことがむずかしいくらい遠いむかしの記憶になっている。にもかかわらず,この町にかかわる不思議な出来事が鮮やかに記憶されている。わたしはそれを〈幻影〉とよぶ。K市T町はそれを背景にするときだけは鮮やかな輪郭をみせる。〈幻影〉はときおり深海の晦冥の中を揺曳する発光生物のように,いまでも脳中に現れてわたしを不安にさせる。
たとえば,〈幻影〉の第一は,わたしの誕生にかかわる記憶として現れる。はじめに述べたように,わたしはK市のT町で生まれたが,なぜかずいぶん長い間,近くの海浜都市Y市で生まれたと信じてきた。しかもわたしはその自説を頑固に主張してきた。亡くなった母は生前,わたしがそう思い込んでしまった根拠をいくつかわたしに提示した。そのひとつは,家の居間にあった母の知人の油絵のせいだというのである。絵はY市の,ある川の境に植えられた桜並木を描いたもので,当時,母はわたしをつれてその近くにあった知人宅をよく訪ねていた。小さかったわたしはその知人にかわいがられていたことや,帰りに必ず寄った南京街(と当時よばれていた)の支那そばの思い出に魅かれて,いつの間にか自分はそこの生まれであるとインプットされたのだというのである。いまになれば母の言うとおりかもしれないとおもう。しかし幼少時にその記憶に封印をし,その封印を解く機会を失って古希を越えたいま,封印を解こうにももはや鍵の在処(ありか)がわからないのだ。
〈幻影〉の第二は,戦争の記憶として現れる。昭和17年4月18日,アメリカのB29爆撃機が一機,はじめて本土に飛来した。その時は爆弾投下はなく,偵察飛行だった。
当時,わたしは小学2年生。その日,登校してまもなく警戒警報が鳴り,帰宅の指示が出た。わたしは友人のMといっしょに帰途についたが,ふたりともただ授業から解放された喜びではしゃいでいた。小さな軍需工場を経営していたかれの家の近くまで来たときに空襲警報が鳴ったので,かれの家に避難した(避難という認識があったのかどうかはわからない)。ときおり高射砲の音がした。だが敵機を見たわけではない。しばらくして,工場のほうでなにやら騒ぐ声がした。ひとが怪我をしたようだった。Mの父親が家に駆け込んできて何本か電話をした。話のなかに「高射砲弾の破片が……」という言葉が何度か繰り返された。高射砲弾の破片があたったのだ。われわれ子供は工場に入らせてもらえなかったし,詳しい話を知る由もなかったが,当の工員が重傷であること(あるいは死亡したこと)は大人たちの様子から知ることはできた。翌日,母にその出来事が新聞に出ているかどうか聞いた。ラジオの報道も注意して聞いた。しかしそのような報道はなかった。戦時中の〈大本営発表〉の多くがインチキであったことはいまではよく知られているが,あの出来事はほんとうにあったのだろうか,それともわたしの「誕生」のように〈幻影〉だったのだろうか。
「永いあひだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言ひ張ってきた」(三島由紀夫全集1/新潮社)――と,小説家の三島由紀夫は『仮面の告白』で書いている。そういうことがじっさいあるのかどうかはわからない。しかしそのように信じることで,ひとは自分の人生をはじめることが可能だということは納得できる。〈幻影〉がひとにどのように作用するのかわたしにはわからない。しかし海浜都市Y市へのこだわりは遠い異国へのあこがれをわたしにも齎し,友人Mの家での出来事は大きな歴史をその細部で検証する目をわたしに開かせた。それは〈幻影〉が齎した予期せぬ恵みであるが,〈幻影〉がいまでもわたしのなかに生きているという事実は変わらない。
詩人の萩原朔太郎は,猫が「町の街路に充満」する恐怖を描いた『猫町』(岩波文庫)で,「事物と現象の背後に隠れているところの、或る第四次元の世界――景色の裏側の実在性――を仮想し得るとせば、この物語の一切は真実である。だが諸君にして、もしそれを仮想し得ないならば、私の現実に経験した次の事実も、――(略)――取りとめもないデカダンスの幻覚にしか過ぎないだろう」といっている。「デカダンスの幻覚」を〈幻影〉と置き換えれば,これはそのままわたしの駄文の言い訳になる。
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
フェルナン・ブローデルの『地中海世界』第二巻(神沢栄三訳/みすず書房)のなかの「ヴェネツィア」と題されたエッセイに,「ヴェネツィアもまた(ロビンソン・クルーソーの島のように)大人あるいは大人に近い人間の,大きくなりすぎはしたがなお夢想することができる子供たちのための島であり,別世界なのである。―(略)― 人はヴェネツィアについて現実にそれを識る前からあまりにも想像を逞しくするために,ありのままの姿が見えてこないのである。われわれは自分の中のヴェネツィアを愛しているのである」という言葉が出てくる。「ヴェネツィア」を〈ふるさと〉に置き換え,「別世界」と「愛している」に焦点をあてれば,これはそのままわれわれの〈ふるさと〉に対する意識のありようを表現しているといってもいいだろう。
「贋ふるさと記」の第二回は,K市のT町。わたしはその町で生まれ,小学3年の時に戦時疎開で母方の在所に移るまでそこで暮らした。わたしの「愛している」町のひとつである。いまではそこでの生活の「ありのままの姿」を思い起こすことがむずかしいくらい遠いむかしの記憶になっている。にもかかわらず,この町にかかわる不思議な出来事が鮮やかに記憶されている。わたしはそれを〈幻影〉とよぶ。K市T町はそれを背景にするときだけは鮮やかな輪郭をみせる。〈幻影〉はときおり深海の晦冥の中を揺曳する発光生物のように,いまでも脳中に現れてわたしを不安にさせる。
たとえば,〈幻影〉の第一は,わたしの誕生にかかわる記憶として現れる。はじめに述べたように,わたしはK市のT町で生まれたが,なぜかずいぶん長い間,近くの海浜都市Y市で生まれたと信じてきた。しかもわたしはその自説を頑固に主張してきた。亡くなった母は生前,わたしがそう思い込んでしまった根拠をいくつかわたしに提示した。そのひとつは,家の居間にあった母の知人の油絵のせいだというのである。絵はY市の,ある川の境に植えられた桜並木を描いたもので,当時,母はわたしをつれてその近くにあった知人宅をよく訪ねていた。小さかったわたしはその知人にかわいがられていたことや,帰りに必ず寄った南京街(と当時よばれていた)の支那そばの思い出に魅かれて,いつの間にか自分はそこの生まれであるとインプットされたのだというのである。いまになれば母の言うとおりかもしれないとおもう。しかし幼少時にその記憶に封印をし,その封印を解く機会を失って古希を越えたいま,封印を解こうにももはや鍵の在処(ありか)がわからないのだ。
〈幻影〉の第二は,戦争の記憶として現れる。昭和17年4月18日,アメリカのB29爆撃機が一機,はじめて本土に飛来した。その時は爆弾投下はなく,偵察飛行だった。
当時,わたしは小学2年生。その日,登校してまもなく警戒警報が鳴り,帰宅の指示が出た。わたしは友人のMといっしょに帰途についたが,ふたりともただ授業から解放された喜びではしゃいでいた。小さな軍需工場を経営していたかれの家の近くまで来たときに空襲警報が鳴ったので,かれの家に避難した(避難という認識があったのかどうかはわからない)。ときおり高射砲の音がした。だが敵機を見たわけではない。しばらくして,工場のほうでなにやら騒ぐ声がした。ひとが怪我をしたようだった。Mの父親が家に駆け込んできて何本か電話をした。話のなかに「高射砲弾の破片が……」という言葉が何度か繰り返された。高射砲弾の破片があたったのだ。われわれ子供は工場に入らせてもらえなかったし,詳しい話を知る由もなかったが,当の工員が重傷であること(あるいは死亡したこと)は大人たちの様子から知ることはできた。翌日,母にその出来事が新聞に出ているかどうか聞いた。ラジオの報道も注意して聞いた。しかしそのような報道はなかった。戦時中の〈大本営発表〉の多くがインチキであったことはいまではよく知られているが,あの出来事はほんとうにあったのだろうか,それともわたしの「誕生」のように〈幻影〉だったのだろうか。
「永いあひだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言ひ張ってきた」(三島由紀夫全集1/新潮社)――と,小説家の三島由紀夫は『仮面の告白』で書いている。そういうことがじっさいあるのかどうかはわからない。しかしそのように信じることで,ひとは自分の人生をはじめることが可能だということは納得できる。〈幻影〉がひとにどのように作用するのかわたしにはわからない。しかし海浜都市Y市へのこだわりは遠い異国へのあこがれをわたしにも齎し,友人Mの家での出来事は大きな歴史をその細部で検証する目をわたしに開かせた。それは〈幻影〉が齎した予期せぬ恵みであるが,〈幻影〉がいまでもわたしのなかに生きているという事実は変わらない。
詩人の萩原朔太郎は,猫が「町の街路に充満」する恐怖を描いた『猫町』(岩波文庫)で,「事物と現象の背後に隠れているところの、或る第四次元の世界――景色の裏側の実在性――を仮想し得るとせば、この物語の一切は真実である。だが諸君にして、もしそれを仮想し得ないならば、私の現実に経験した次の事実も、――(略)――取りとめもないデカダンスの幻覚にしか過ぎないだろう」といっている。「デカダンスの幻覚」を〈幻影〉と置き換えれば,これはそのままわたしの駄文の言い訳になる。
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