有限会社 三九出版 - 《自由広場》          迷いを本と新芽に救われた


















トップ  >  本物語  >  《自由広場》          迷いを本と新芽に救われた
            迷いを本と新芽に救われた
                   上田 理人(千葉県船橋市)

 あれから27年。それは自分が直接工場建設に携わり,新製品を生み育ててきた工場が閉鎖された時のことである。閉鎖の背景や理由は,ここでは省略したい。閉鎖となると機械設備との別れもせつないが,なんと言っても人との別れが辛い。この工場では,特に生産関係に携わる現業部門の人々は素晴らしかった。増産に次ぐ増産の生産第一志向が長く続いた事情から,生産現場が非常に強かったが,いち早く営業顧客第一の方向に大きく方向転換した大局観のある組織集団であった。小ロットにも飛び込み物件にも,弾力的に迅速に対応出来るようになっていた。これを実現するために,ハード面でもソフト面でも多くの創意工夫をし,これを実現してきた。また団結力もあり,職場を越えたレベルのチームプレーも見事なものがあった。このような素晴らしい組織集団の分散と別れは,身を切られるようであり,思い出したくない事も多くあった。しかし,かなり時を経て気付いた事だが,そんな中でもよい“出会い”もあったので,本稿ではその事について記してみたい。
工場の閉鎖が予告された時,心は乱れ悩んだ。この時どうしたことか本を手当たり次第に沢山読んでいた。これは今までにも困った時には,そうしていたからだろうと思う。この中で心を静めてくれたのが「親鸞」(吉川英治)であり,心の持ちようを導いてくれたのが「道元108の知恵」(赤根祥道)であった。読後は,自然と活力が湧き不思議な思いがした。何処かに神仏がおられるような気がした。
 一年後,もう一つの出会いがあった。複雑な事情もあり,現業部門の多くの方々と転属先やそれに伴う諸問題点を延々と話し合い,解決していった。連日連夜約一月半の間,進まぬ長い時間が過ぎた。全てが終了したその翌日の事である。どうした訳か会社に行く気力が全くない。会社を辞める気になっていたが,とりあえず今日は休もうと思い,会社に連絡を取り終え,何気なく庭を見ていた。風が強いなあ……まだ寒そうだなあ……などとボンヤリしていた時,突然,地肌の小さな緑が目に飛び込んできた。ハッとしてよく見ると顔を出したばかりの新芽である。確かスズランである。毎年そこに生えているのに,今年は何故ハッとしたのだろうと考えた。そして,アッ,この小さな草花達も暖春に向けて今から頑張っているのだと感じた。この時,心の闇に裸電球の明かりが,パッと点いたような気がした。このスズランは会社の北海道の仲間が届けてくれたものであった。不思議な縁を感じもした。気がついてみると足は会社に向かっていた。
 今思うと親鸞や道元の本を読んでいたから発信するスズランの新芽に出会えたような気がするが,この“出会い”が無かったならば,おそらく会社を辞めていたであろう。おかげで同じ会社で同じ事業部に定年まで勤める事ができた。よかったと患う。
 また,この新芽に出会ってから,木々や草花が美しく生命感を持って心に入ってくるようになった。おかげで散歩の時などは,道端の草花やよそ様のお宅の庭にも楽しませていただいている。山・高原・森林等も大好きとなった。おそらく,自然は人間の本能や心と,どこかで大きく関与しているのであろう。よく言われる「自然は心を癒してくれ,活力を生み出させてくれる」ということを実感している。
 それにしても今から思えばあの時の辛い経験の中での二つの良い出会い――良書の教えと,植物の発信の影響はその後も大いに役立っている。
 時々仲間の間でテレビ・パソコン・映画・本・新聞を比較する話が出る。やはり紙の上の活字のほうが消化が良く血肉となるという意見が多い。中身がよく深層部に入ってくるので,そこから考えが広がっていくという訳である。私も若い時から本に親しんできたが,その後も良書との出会いに助けられている。本当に有難いことである。
 また加齢とともに自然の大切さを思う気持ちが強くなってきた。素人考えだが全ての事象が深く関与して,大きく回転していると思う。宇宙や地球規模で考えると,自然界には無用のものは存在しないとも思う。だから,自然を守っていかないとやがて人類に大きな災いが来そうな気もする。極端な言い方をすれば,我々は経済的豊かさを追求するあまり,地球を食い散らかして,排泄物を垂れ流している事を痛切に感じる。自分にできる“自然保護舞を僅かでも実行して生きたいとの思いも強くなった。
 言うまでもなく,良書や植物たちとの“出会い”だけではない。よい人達との出会いもあった。人との出会いが人生を左右し,それを良いものとするには自分自身にそれだけのものを備えていなければならないとよく言われるが,あらゆる場を成長の場として活かせるよう心掛けたいと思っている。そのためにも肉体的機能と感性の維持に心掛け,今を大切にし,心の青春を追いかけたいと思う。
投票数:43 平均点:9.77
前
《自由広場》          妻から贈られた生命(いのち)
カテゴリートップ
本物語
次
《自由広場》          軍神広瀬武夫中佐

ログイン


ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失