有限会社 三九出版 - 《自由広場》    天安門事件


















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《自由広場》 
                    天安門事件
                         橋本 克紘(神奈川県大和市)

 ノーベル賞が身近に感じる時もある。昨秋,日本人教授2氏が2010年化学賞を受賞した。大学の卒業研究で筆者と研究室が一緒だった園優雄君が,北海道大学大学院工学研究科に進学し鈴木章名誉教授の研究室で学究を続け,教授の謦咳に接した。筆者も同じ北海道胆振で生まれ育ち,北海道大学から工学博士の学位を授与された。また,根岸英一パデュー大学特別教授は小学校から大学卒業までの11年間を筆者の住む大和市で過ごした。昨年末まで大和市役所庁舎には根岸教授のノーベル化学賞受賞を祝する垂れ幕が懸かっていた。
 平和賞は中国人人権活動家で作家の劉曉波氏が受賞した。新聞等の報道によれば,劉氏は「08憲章」を起草したことで「国家政権転覆煽動罪」に問われ,懲役11年の実刑判決を受けて服役中である。1989年6月4日に勃発した天安門事件に関しては「反革命罪」で1989年6月6日から1991年1月まで投獄されている。後述のように,筆者は1989年7月9日から1週間,北京に滞在したが,その折には劉曉波氏は獄中にあったということになる。
 この天安門事件(第2次六四)から丁度1月後の1989年7月11日から15日まで中国土木工程学会主催の中国初の国際給水排水学術会議が北京科学会堂で開催された。天安門事件の煽りを受け,当初150名だった外国からの参加申し込み者のキャンセルが相次いだ。結局,中国から300名,世界各国から39名が参加した。しかも,外国からの39名のうち21名が当時中国とは国交がなかった韓国からで,彼らは政府命により香港経由で急遽入国した。残りは,米国,英国,フランス,北朝鮮,デンマークの各2名,ソ連,ハンガリー,香港,フィンランド,イラン,オーストリアの各1名である。日本からは7歳年下の同僚と私の2名が参加した。事前に外務省の担当部署に出頭し目的を告げ,「研究発表ならば仕方ありませんね」とコメントを頂いてから,7月9日,帰国する中国人で満席の中国民航機で成田を発ち,戒厳令下の北京へ向かった。到着した北京では,あの天安門広場に入場するには特別な許可が必要だったし,各街角には機関銃を構えた歩哨が立っていた。
 開会式で挨拶に立った建設部長(建設大臣)は,中国では上水道や下水道が急速に整備されてきているが,まだ水不足の状態で産業の発展に支障をきたしていると中国の水事情を概説したあと,天安門事件に触れ,北京の社会秩序は正常に復帰し平和そのものであると強調していた。
 研究発表は,総括的課題,給水処理,排水処理の3部門に分かれてなされ,筆者は給水処理部門で発表した。国際会議なのに62件の研究発表のうち外国からはたった7件(日本2件,フランス,デンマーク,香港,ハンガリー,北朝鮮各1件)と寂しく,殆どが中国からだった。
 この間,7月13日に伊東沖で海底噴火があったのを異国で知った。また,この国際給水排水学術会議の会期と同時にパリのラ・デファンスでは第15回サミット(アルシュ・サミット)が開催された。採択された政治宣言では天安門事件の中国に孤立回避を促している。7月16日に成田に戻ったが,何事もなく帰国できたのはアルシュ・サミットのこの政治宣言に負うところが大きかったかも知れない。帰国して2,3日後に外務省の担当官から労いの電話をいただいた。
 天安門事件の死者は,ウィキペディアによると中国共産党の発表では319名だが,1989年6月5日の朝日新聞夕刊では,信頼できる中国筋が5日までに明らかにしたところでは死者2000人,負傷者5,000人,軍の死者100人と報じられている。
 中国で起きた事件で気になるもう1つは1937年12月から1938年1月に日本兵が残虐行為を行ったとされる南京事件である。最近,事件の存否などの論争が目立つが,大きな争点の1つは虐殺された人数である。30万人以上,20万人以上,10数万人以上,4万人前後,数千〜2万人と見解が分かれているようだ。見解の相違がこのように広く分散すると虐殺否定説あるいはまぼろし説に傾きそうになるが,虐殺の存否とその規模とは同一次元で語れまい。
 1960年6月15日,日米安全保障条約の批准に反対して行われた六・一五統一行動で約7,000名が衆議院通用門から国会内に突入した。樺美智子さんが犠牲になった痛ましい事件だった。この統一行動に参加した人数について主催側は全国で580万人と発表していたと記憶しているが,1960年6月16日の朝日新聞朝刊は警察庁の調べによると全国で65万人と報じている。当時,高校2年生だった筆者は主催側と警察側とのこの隔たりに唖然とした。
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