有限会社 三九出版 - 《自由広場》    「平泉」の世界文化遺産登録決定に寄せて


















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               「平泉」の世界文化遺産登録決定に寄せて
                              柳澤 惇(千葉県市川市)

 小生は以前「本物語」第31号に“中尊寺等の世界遺産登録について”という駄文を寄稿させて頂きました。その時は時期尚早ということで登録は見送られました。
 その後,色々内容の見直しがなされて再申請されましてこの6月に世界文化遺産として登録されました。これは3.11東日本大震災の時,外国なら略奪や騒乱が起こりかねないところ,東北の被災地の人々の優しく整然とした対応が海外に伝わったのが幸いしたようにも思われます。
 平泉を造った藤原清衡(奥州藤原氏の初代)が中尊寺を建立した背景には,生きとし生けるもの全て平等だという浄土思想があったのではないでしょうか。為政者がこんな思想を持つなんて世界史的に見ても稀有なことではないかと思います,例え東北の一地方であっても。かつて東北人は蝦夷(中央政権にまつろわなかった奥州の人々)として蔑まされ,坂上田村麻呂等による蝦夷征伐,秀吉,家康等による東北支配,明治維新における奥州列藩同盟の官軍に対しての敗退,白河以北ひと山三文などという嘲り,又,岩手は日本のチベットと云われたりして東北人の誇りはズタズタにされ続けてきました。岩手・一関出身の小生としてはこうした気持ちは心の片隅にあります。しかし,世界文化遺産登録を契機にして平泉を初めて訪れる人や再訪する人が増えると思いますのでここで改めてその文化を紹介しましょう。
 「平泉」は岩手県南端一関市に隣接する「町」で平安末期(12世紀)に栄えた奥州藤原氏の都。阿弥陀仏によって万民が救済されるという浄土思想に基づき,平和な理想郷として造られたと云われる。この6月に登録されたのは金色堂が名高い中尊寺,庭園が有名な毛越寺,平泉の空間設計の基準となった金鶏山等五つの資産。仏教と日本独特の自然信仰が融合していると評価された。しかし,他の世界文化遺産と比べると建造物や明らかに遺跡と思われるようなものは中尊寺ぐらいで,あとは残っていません。今の観光客は「物」を見に来る方々がほとんど。そういう意味では,“何だ,これが世界遺産か”と思われる人も多いと思います。やはり,長い戦乱を経てこれから“陸奥”を平定するのは武力をもってするのではなく,平等や平和思想をもってする,と高らかに標榜した初代清衡公のその「心」に思い至ってほしい,と小生は切望しています。それには17世紀に奥州を旅した俳人・松尾芭蕉の「奥の細道」の平泉の項に是非目を通してほしいものです。芭蕉は平泉で二句詠んでいますが,その中で“夏草や兵どもが夢の跡”をまさに彷彿させる景観が束稲山,北上川,衣川に連なる平野であり,往時の様相が瞼に浮かんできます。
 さて,かく言う小生の平泉についての認識は代31号に記した如く,終戦前後に物心付いて以来,故郷の近傍にかくも歴史的な遺産があったとは全く思えませんでした。平泉が知られるようになった経緯は小生なりに整理してみますと,?戦後間もなくの藤原氏3代のミイラ(今はご遺体と言うそうです)の学術調査,?今東光氏の住職就任,?NHKの確か第7回の大河ドラマ「源義経」で平泉は全国的に知られるようになった,というのが率直な実感です。勿論別途,日本史で10〜11世紀の中央朝廷軍との戦いや地域の内紛,国民的英雄の源義経の終焉の地,松尾芭蕉の「奥の細道」等で平泉「中尊寺」を学んではおりました。そしてこれらをうまく纏めて平泉藤原京を取り上げていたのが,確か2009年2月頃だったと思いますが,NHK松平定知アナ担当の「その時歴史は動いた」でした。時代考証が進んだのか分からないがコンピューターグラフィックスの技術を駆使して当時の平泉藤原京を見事に再現していました。それが“見事”だったのかどうか小生は未だに良く分かりません,少なくとも今の風景というか景観からは想像は出来ない,というのが率直な感想です。やはり,平泉には浄土思想による平和思想に彩られた文化が栄えたと思い至って初めて真に理解され得るのではないか,と信じています。
 この度3.11での東日本大震災で甚大な被害を被ったのは,特に岩手,宮城,福島ですが,人々の整然として優しい対応が世界を驚かせた,と報じられました。数限りない被災の場面や人々がテレビで映し出されましたが,本当に人々は整然として運命を甘受しながらも復興に向けての強い決意を感じさせてくれました。唯,残念なのはこんな事態を前にして政治の指導力に少し混迷があったことです。
 こんな折,東北では初めての世界文化遺産登録であり,略東北中央部の一地域でありますが,震災に遭った中での小さいながら一つの光明であり,又,東北人の優しさの象徴と言っても過言ではあるまい,と小生は心密かに思っております。ここに記したような観点で「平泉」を訪れ,その歴史を理解して頂ければ誠に幸いに存じます。
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