有限会社 三九出版 - 「3・11(9・11)」雑感


















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【隠居のたわごと】
                        「3・11(9・11)」雑感

                            小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)

善公 大寒,小寒と……。ところでご隠居,畳のあちこちに新聞を広げて何をなさってるんです?
隠居 新聞の切り抜きです。東日本震災関係の記事を蒐めています。ちょうどこのノート(いわゆる大学ノート)で12冊目になりましたよ。
善公 なるほど。地震の翌日の記事からはじまっていますね。いまさらながら凄まじい光景ですね。
隠居 そうですな。A新聞の3月12日の朝刊の記事ですが,大見出しは「東日本大震災」「震度7 沿岸に大津波」。1面と2面には津波に襲われた地域の悲惨な写真が載っています。この時点ですでに「死者60人,行方不明者56人,負傷者231人(11日午後9時現在,警察庁まとめ)」という被害者数が出ています。
善公 1年目の2012年3月11日の記事の見出しは「家族離れ離れ 3割」「仕事失ったまま 4割」「警戒区域 除染ようやく」で,2月23日現在の死者は1万5854人,行方不明者は3155人,避難者は34万3935人です。
隠居 最近は原発関係の記事が多い。 「大間原発 建設再開を表明」というのもあります。でも災害地の復興を促進する記事が少なくなったような気がします。
善公 喉元を過ぎればなんとやら,ですかね。
隠居 ところで,あたしには気になることがあるのです。大きな事件が起こると,人為的な操作によって,ひとびとの感情の中の何かが,ある方向へ誘導されるということがあります。その典型的な例のひとつ ― たとえば「パールハーバーを忘れるな」という言葉は,当時,アメリカ国民の戦意高揚に役立っただけでなく,いまでも国家への帰属を国民に強く意識させています。おまえさんも知ってのように,最近ではブッシュ大統領が,ニューヨークの貿易センタービルがテロ攻撃を受けた「9・11」 ― 2001年9月11日を国民に強く印象づけることで,「大量破壊兵器」(事実無根であると判明)の発見と根絶を理由に,アメリカ国民をいわゆる「ブッシュの戦争」 ― 対イラク戦争に誘導しました。
善公 「9・11」のような事件が起きれば,相手方に一発かましてやろうと思うのは至極あたりまえなことだとおもうんですがね。
隠居 しかし確かな証拠もないのに,一国の大統領が個人的な感情で戦争をはじめたという印象があります。乱暴な話です。後日,あれは石油とイスラエルのための戦争だった,という噂もありました。
善公 そういえばそんな話もありましたね。
隠居 他所さまの話ではなく,「3・11」の東日本震災にも心配の種があります。そのひとつ。新聞記事の切り抜きをみておわかりだろうが,震災後一年目ぐらいから原発問題は頻繁に取り上げられるのに,災害地のひとびとの喫緊の問題解決への関心喚起が弱くなりつつあるような印象を受けます。論議は論者の「思想」の百花撩乱です。哲学者の佐々木中さんが, 「たとえばこの震災を話の種にした小説が次々に出版されたり,「9・11から3・11へ」などといった題目で,思想・批評ゲームが繰り広げられることになるかもしれません」(「砕かれた大地に、ひとつの場処を」/『思想としての3・11』河出書房新社)といっています。当たっています。「3・11」は一時の熱狂を煽り立てましたが,それはもはや一種の「消費」現象になりつつあります。もちろんこれは状況を大掴みにしての話で,地道に活動をつづけているひとたちはたくさんいます。そのひとたちへの敬意はかわりませんが……。
善公 つまりなんですかい,「3・11(9・11)」が忘れられつつあると……?
隠居 そうは言いません。ただ論壇のひとびとや政府のありかたなどをみていると,そんな不安を感じるということです。ところでもうひとつ ― こちらのほうがあたしには心配ですが ― ,「3・11」以後,耳にするようになった「絆」という言葉。 「絆」は具体的な行動が伴うと人間のすばらしさを立証しますが,「絆」意識が過剰になり,そこにある刺激 ― たとえば竹島や尖閣諸島問題というような国家のアイデンティティーにかかわるような問題が加わると, 「絆」に歪みが生まれます。 第二次世界大戦でいわれた「八紘一宇」「一億総懺悔」の「一宇」も「一億」もその土台となったのは「絆」でした。 「長期的な思想への影響として,日本人は団結すべきだというような方向へ向かうことは懸念している。後藤田正晴さんが「日本人は付和雷同癖がある」と言っていたと聞くが,まさにそれである」(「戦争から,神戸から」/『思想としての3・11』河出書房新社)と,精神医学者の中井久夫さんがいっています。震災に同伴する問題についての指摘ですが,これはまさに「絆」が内包する「危うさ」についてのことといってもよいかと思います
善公 ちょっとあっしにはむずかしくなってきました。このへんでひと休み。茶菓子をいただきながらわれわれの「絆」を深めるというのはどうです?。


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