有限会社 三九出版 - なぜ反日(抗日)か


















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《自由広場》 
                    なぜ反日(抗日)か

                            坂本 進一郎(秋田県大潟村)

 中国では時々「反日」のうねりが起こる。なぜ「反日」のうねりが起こるのか。その理由として,ここでは二つ取り上げる。一つは日本へのトラウマである。日華事変で日本人は,上海,南京まで攻め入り,中国大陸で1000万人(一説には2000万人)を殺し,施設などに莫大な損害を与えた。「反日」の起点は満洲事変か。そうではない。盧溝橋事件だ。満洲事変と盧溝橋事件を起点とする日華事変とは性格が異なる。
 満洲事変は満洲族(女真族)が清朝を起こし,中国大陸を経営したが,その経営に忙殺され,また中華思想にはまり込み,肝心の出身地の満洲の領有権を放棄したことに始まる。満洲はもともとツングース・蒙古族等々がいろいろの国を建て,治乱興亡の激しいところであった。しかし,満洲族の領有権放棄とともに,今度は日本,ロシアが治乱興亡した。結局,当時のパワーポリテックスの中で日本は満洲を領有した。その目的は張作霖やロシアによる戦乱を終わらせることと,これは石原莞爾の影響が大きいが,将来の日米開戦に備えて資源を自給自足することであった。したがって満洲を支配下に収めることで,一応の目的を達したのだから,そこでやめておけばよかった。ところが,満洲事変の成功により,関東軍は予算の増額と階級進級をみた。これで軍人は侵略戦争への気持ちをかきたてられた。
 そして盧溝橋事件が起きる。この盧溝橋事件を機に戦争は拡大した。海軍は予算欲しさに成功報酬を狙って上海に当時としては初めての都市無差別爆弾投下を行った。爆弾投下は南京にも及び,戦争は拡大の一方であった。だが中国側の被害も大きく,家族,親戚に被害の及ばなかった人はいないと言われている。
 こうして日本への怨みは重なった。
 私たちは訪中団を組んで1975年に訪中した。夕方,バスで石家荘(河北省)に着いた。この時,勤務を終えた人が我々のバスの周りにどんどん集まってきた。中国人の人だかりには慣れていたが,この時はびっくりした。皆けわしい目つきをしていたからである。そのけわしさは今にも我々のバスをひっくり返すのではないかとさえ思われた。後でわかったことは,石家荘には秋田師団が駐屯し,中国人と戦争をしたことだった。我々のバスには「秋田県友好訪中団」というハリ紙があったので,「秋田県」の文字が彼らの目に入ったのだろう。
 このように,日本へのトラウマは,余りに親日すぎると中国幹部の失脚の原因となるし,かつ日本への距離のとり方で権力闘争に利用され,あるいは求心力の弱い江沢民に至っては,反日教育を行って求心力の源泉に利用しようとする者も現れる。今から思うと日華事変は中国を領有するだけの力がなく,ただ破壊のための戦争をし,中国人の怨みを買うだけに終わってしまったと思うと,残念至極である。
 もう一つは中華思想である。中華思想は「この地球上に王土(中国領)ならざる土地はなし」という思想である。もともと中国は夏・殷・周の頃は洛陽付近の小さな国であった。中国人とは中国料理を食べ,中国語を話す人のことだが,それに中華思想を信じれば,外夷(異民族)も中国人になれた。
 中国の始まりは殷と周の民族がぶつかってスタートした。つまり,異民族を飲み込むという性癖はこの時出来上がった。さらに,秦の始皇帝は山西が地盤なので,洛陽からは遠かった。そこで山西も含めて夏(か)の範囲とした。つまり中華(ちゅうか)の概念を新しく作り山西まで中華としたのである。夏(か)という権威のある領域を拡大し,概念をひっくり返すことで異民族の地も中華に含めるシステムを作った。だが,この秦の異民族も中華思想によって飲み込み,中国化するというやり方は,中国に沢山いた民族を溶鉱炉にぶち込み,全てを中国人一色に塗りつぶしていくことになる。中華思想が溶鉱炉の役目をしたのである。こうして中国は大きくなった。そして,今やチベット,ウィグル,内蒙古に人間を送り込み,占領を試みている。人間の多さが武器なのである。満洲も人間を送り込み,占領したが,尖閣も人の代わりに漁船団を送り,占領を試みている。沖縄も朝貢していたことがあるので,中国領だとキャンペーンを行ったことがあるという。中国は経済力がつき,強大になるにしたがって,西太后の頃は虫食いだらけだった中華思想に息吹を与え,今やうっかりすると日本も飲み込まれそうな勢いである。このように「地球上の土地を中国領」と信ずる中国は,国連総会での中国外相の「日本は泥棒だ」という発言や,「敗戦国のくせに戦勝国の領土を力ずくで占領している」という中国報道局長の発言などとなって現れている。つまり,中華思想は日華事変のトラウマ感を強めるスパイスの役目を果たしているといえる。何ともつき合いの難しい国が現れたものだ。

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