有限会社 三九出版 - 自 作 弔 辞 の 準 備


















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                 自 作 弔 辞 の 準 備

                           布施 康二郎(宮城県仙台市)

 「弔辞」は広辞苑を引くまでもなく,亡くなった方を弔う言葉である。この弔辞を告別式で聞くのが,私は大好きである。
 生前の故人を偲んで幼なじみの方や学生時代の友人,勤め先の方々の心のこもった弔辞である。この弔辞を聞くことによって,自分の知らなかった故人のことを今更ながらとはいえ,多くのことを多面的にわたって改めて知ることが出来るのが,この弔辞である。
ところが,最近の告別式では,なかなかこのような機会が得られなくなった。故人によっては,職場のOB会の個人履歴の披瀝を織りなした万人共通の弔辞や公益法人などからの決まり文句の弔辞がある。故人の職歴や篤志家であった一面を知るのには良いが,何か物足りないものがある。
 考えてみるに,最近は長寿社会で高齢で亡くなるのが普通である。したがって幼なじみも友人もすでに他界しているのも不思議ではない。ましてや勤務先からの弔辞などは,創業者とか勤務先で要職を占めていたとか特殊な条件が揃わなければ,それを期待することは間違っていることになる。
 自分も似たような状況を経験している。某年某月某日,職場の先輩のO氏が90歳で息を引き取った。私が小学5年生の頃から5〜6年ほど故人とは隣近所で,娘さんとは小学・中学と同級生,その妹弟達とは今も遊び仲間である。そんな関係でお通夜に弔問した。帰り際に弔辞を懇願され当惑した。長寿を全うし亡くなると故人の友人知人は既に鬼籍に入り,なかなか弔辞の奉奠者がいないとのこと。ついつい引き受け,一夜漬けの弔辞の作成となった。職場では全く部署が違い,その足跡を知るよしもなく,その材料に困ったものである。幸い同期の者が故人の部下として働いていたことを思い出し,その折々の話などを織り交ぜながらその役割をやっとの思いで果たすことができた。
 人の一生は,生老病死のサイクルから逃れることは出来ない。来るべき御来迎に備えて,自分の弔辞は自分で作成しておかなければならないことを最近改めて痛感している。そのために今話題になっている「エンディングノート」の作成から取り敢えず始めることにしよう。皆様も如何であろうか。



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