有限会社 三九出版 - 兄 弟 よ り も


















トップ  >  本物語  >  兄 弟 よ り も
《自由広場》 
                      兄 弟 よ り も

                            森永 博三(埼玉県さいたま市)

 車は鹿角八幡平のICを降り,後生掛温泉・玉川温泉方面と道路標識のあるガソリンスタンドに滑り込んだ。「レギュラー満タンですね」との店員の言葉に頷きながら,扉を開け,背筋を大きく伸ばしながら深呼吸をした。「6,500円です」 思わず走行距離を覗き込むと出発から740?とトリップメーターは表示していた。

 1週間前の台風の影響で田沢湖→玉川温泉間の道路が通行止めとなり,交互通行開通の連絡を湯治宿から受けたのは一昨日の夜のことだった。
 埼玉の自宅を出て,途中,仙台空港で幼馴染を拾い,少し遠回りであるが安全な道を選んで,八幡平国立公園と田沢湖のほぼ中間に位置する玉川温泉に着いたのは午後5時を少し回っていた。11時間近く運転していたことになる。
 前知識として調べたところによると,ここの温泉の効能としてラジウムを大量に含有した塩酸を主成分とした強酸性の泉質で,低放射線ホルミンス効果により潜在的な生命力を刺激して,体に元気を作り出す。また,自然の岩盤から発する地熱を体内に取り入れ,新陳代謝の促進や鎮痛効果が認められている岩盤浴も有名であるという。

 3泊4日分のトランク一杯の湯治用の荷物を片付け,浴衣に着替えて湯船に飛び込む。「疲れたな?」「アー,少しだけなぁ」と,大きな自然木6本が支える大浴場の高い天井を見上げながらの途切れ途切れの会話が,幼馴染の体調の不安定を感じさせる。
 8年前であったか,地方都市の殆どの病院を訪ね手術の可能性を探っていた彼が,所属する業界の重鎮に紹介され,最後の頼みの綱である有明の癌センターでの検診後,手術は出来ないと宣告されたのは。
 1年前,業界団体への奉仕だけに専念する積りで,社長職を息子に譲り会長になったが,周囲は彼をそんなに楽に解放させてくれなかったのだろう。あるいは,それを忘れるために更にアクセルを踏み続けてきたのだろうか。
 「余命10年ぐらいって,あと2年か?」 有明の帰路の寿司屋で交わした言葉が蘇ってくる。
 強酸性の(PH1.2)の元湯温度こそ下げられてはいるが,首筋・胸・下半身が刺激的に痛痒い。真水で丁寧に温泉を洗い流し,「お先に」と扉を閉めた。平日の夕食前のロビーは浴衣姿の湯治客でざわざわしていた。我々と同年輩と思われる老夫婦が,お孫さんへのお土産だろうか,熱心に物色されている。でも,やはりどちらかの体が悪くて湯治に来られているのだろうか? お二人の様子からはとてもそのようには推察できないが……。湯上がりへの心地よい風が通り抜けていった。

 有明で診断されたように彼の寿命は本当に70歳までなのだろうか。あと2年,彼にはどんな2年が待ち受けているのだろうか? 壮絶な2年になるのか,それとも新薬や先端医療が開発されるのか。どちらにしても今のままでは彼の体力が持たないような気もする。
 そんな彼に比べ自分はどうなのか。余りにも無為無策で今日まで生きてきたなぁと思う。65歳で43年間勤めた鉄鋼問屋の系列子会社の顧問に退き,週3回の出勤と週2回の家庭菜園,加えて「決して濡れ落ち葉にはならないでね」との連れ合いの一言で始めた“沖縄三味線”への挑戦と,現役時代を凌ぐ忙しさをこなすばかりで……。
 70歳までの道のりがこうも違うものなのか。

 帰路の車中, 「大丈夫か?」と時折掛ける声の間から遠慮そうに頷く彼の顔が伺える。「帰りは八幡平の紅葉がきれいかもしれないね」と,来る道にわざわざ下車して軽口を交わした“キノコの路上販売のトラック”の角を右折し,晴れた日には月山・鳥海山が見える“見返り峠”からの景色は霧にかかり,僅かに玉川湖が望める程度であった。「昼は盛岡のわんこそばにしようか」と決める頃,八幡平の錦絵さながらの紅葉に思わず路肩駐車をして車外に飛び出した。
 翌朝の飛行機で帰る彼を仙台空港近くのホテルまで送った。
 仙台インターチェンジからの道はヘッドライトを上げ下げしながらの起伏とカーブが続く夜の高速道路だった。ホテルのロビーに消える彼の姿を思い出す。「一緒に頑張ろう」と握った手の感触が温かく,心に沁みる。「死ぬなよ」。大型のトレーラーが追い抜いて行く。「俺もこれから頑張るから」 彼の笑顔が頷いたようだ。




投票数:33 平均点:10.00
前
青い目の人形との84年ぶりの再会
カテゴリートップ
本物語
次
繭玉で土産品を創るの記

ログイン


ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失