有限会社 三九出版 - ささやかな墓碑銘


















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【隠居の世迷言】
                        ささやかな墓碑銘

                            小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)

 昨年,半世紀の交遊をもった友人が死んだ。1年目のその日(2月24日)がまもなくやってくる。重い病いを複数抱えていたので,早い時期からすでにおたがいにこころの準備はできていた。だから最後の会話になった「おれ、もう死ぬよ」「ああそうかい」で別れはすんでいた。でもそう言ったあと,やはりこころの深いところにぽっかり大きな穴が開いたようで,つらかった。いまになってかれをこんなにも思い出すのは,やはりこころ残りが多いということなのだろう。
 直接読み上げることのなかった弔辞に,「Oさん、いまどこにおいでです? あんたの好きな稲垣足穂のいう「ちょうどその頃地球の附近を通った黒い彗星」(※1)に乗って,どこかは知らないが,Oさんの好きなところに向かって昇天中でしょうか」と書いたが,無事望みの場所を得たのか,それともまだ宇宙衛星のように,しかし軌道を定めずに天空を飛行中なのか,もはやそれを確かめるすべがない。
 かれが闘病生活をしている間,月にいちど一方通行の手紙を書いた。外出がままならなかったかれの無聊を慰められればとおもったからだ。手元の控えから,そのいくつかを読み返し,かれを偲ぶよすがにしたい。かれは無類の本好きだったので,しぜん本をめぐっての話題が多かった。そのひとつに,リルケの詩の一節,「こんなにも失われたものについて/あの永かった幼い日の午後について 何かを語るために/しばしば思いに耽るのは楽しいことだろう/それは二度とあのように現れては来なかった  ― なぜだろう?」(※2)を引用したものがある。いまでも覚えているが,この手紙を書く数日前に,めずらしくかれから電話があり(そのころは,月に一度くらい電話をする体力がかれにはあったのだ),そのとき,われわれはたがいにみずからの幼少年期を振り返りながら,幼少年期の無垢な魂のすばらしさについて語った。それは幼少年期がもつ未知の可能性へのかぎりない賛歌でもあった。そして困難な闘いの最中にあるかれにとって,幼少年期はもはや夢裡の〈郷愁〉でしかないことにわたしが気づいたのは,電話を切ったあとだった。リルケの詩が啓示のように現れたのはそのときだった。わたしはわれわれの置かれている状況を理解し,かれの困難な闘いの内実を直視しなければいけないとおもった。すなわち「幼少年期の無垢な魂」と「未知の可能性」はすでに失われていて,瞭かにわれわれは無惨な老いを生きている,しかも悲劇的なことにかれは生還を期することのない闘いをたたかっている ― それを密かに伝えたいとおもった。でもそれは間接的に伝えられなければならない。だから決定的なつぎの言葉の引用はひかえた「いまでも私たちはそれを思い出す ― おそらくは雨の降る日に。/けれども私たちはもうそれが何であるかを知ってはいないのだ」。
 別の手紙では,同じくリルケの詩の言葉 ― 「もしかしたら 一つの大きな力が/私の隣で働いているのかもしれない」 「いまどこか世界の中を歩いている/理由もなく世界の中を歩いている者は/私に向かって歩いているのだ」を引用して,「……という言葉に拘えられています。「一つの大きな力」も「私に向かって歩いている」の「私」も、同じ〈絶対者〉を指示しているとおもわれますが、このふたつの詩句に導かれて、小生は武装解除された兵士のように従順に「私に向かって歩いている」自分自身の幻影を見ます」と書いた。自分のこととして書いてはいるが,ほんとうはかれへのひそかなメッセージだったのだ。しかしそれは余計なお節介,敬虔なクリスチャンだったかれは,すでに「武装解除された(従順な)兵士」だったのだ。それにかれは自分の運命の尽きる時間を正確に見ていた。
 ところで不思議に病いにふれた手紙や,激励の類いの手紙は尠い。当事者でないものがそれらの領域で話せるものはないという慎みがわたしにあったからだろう。つぎはそのうちのひとつ。たぶん治療薬の効果が上がらず,しかもその副作用に苦しんでいて,かれのこころがひどく弱っていたときに書いたものだとおもう ― 「具体的にどんな状態にあるのかわかりませんが、それが当面唯一の、必要な治療であるのであればそれで闘うしかありません。と書きながら、ほんとうは大兄が直面している状況をまえに言葉がどんなに無力なものか思い知らされています。小生が勁い人間なら沈黙こそが大兄へのもっともやさしいあり方なのでしょうが、いまの小生には言葉で応援歌をおくるしかありません。しかし聖書に「太初に言あり、……萬の物これに由りて成り、……之に生命あり」(※3)とあります。大兄、信ぜよ。「水到りて渠成る」(※4)ごとくに小生の応援歌、かならずや大兄の身において成就することを……」。しかしこれらの言葉はむなしいという自覚がわたしにはあった。
 かれの長い闘いが終わり,〈あの日〉がきた。いまはかれの魂の安らかなることを祈るばかりである。そしてわたしに残されたのは「あゝ おまえはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私に云う」(※5)という尽きることのない悔恨のみ。
※1 「一千一秒物語」(『ちくま日本文学全集 稲垣足穂』筑摩書房)   ※2 リルケの詩句(『リルケ詩集』富士川英郎/新潮文庫)
※3 『聖書』     ※4 「葉」(『太宰治全集 第一巻』筑摩書房)    ※5 「帰郷」(『中原中也詩集』大岡昇平編/岩波文庫)


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