有限会社 三九出版 - 震災あれやこれや


















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☆東日本大震災☆
                震災あれやこれや


                           
                     石附 成二(宮城県仙台市)

 東日本大震災,特に巨大津波から我々は多くのことを学んだ。各界各層からの検証の議論も出尽くした。そして先人の遺した伝承,被災遺跡(石碑,地名等)は正しく,我々はそれを忘れていたか,尊大にも堤防など物理的安全神話に頼り過ぎてそれを無視していたことに気付く。釈迦に説法の感があるが,私なりに震災のあれやこれやを整理してみたいと思う。
1.仙台平野の考古学的発掘調査によれば,東北地方は過去5千年間におよそ千年周期で5度の大津波に襲われたことが分かっている。文字記録が出来るようになった千数百年前からは古文書などからの文献調査が可能になり,発掘調査との比較検討がなされ,かなり詳細に実態が明らかになりつつある。しかし,十分ではない。それを埋めるのが民間の伝承や記念碑である。曰く“津波てんでんこ”“みちびき地蔵尊”の伝承や“波分け”石碑等々である。これらは東北地方ばかりでなく日本全国各地に先人の知恵・教訓として,また祈りや悔恨のモニュメントとして残されている。その血を吐くような思いを,改めて掘り起こし,体系化し,「防災・減災思想」の根源に位置づける必要があるのではないか。
2.気仙沼市の大谷海岸の海食崖調査によれば,紀元前1500年前には貞観津波(869年)の十倍,紀元前100年前の弥生時代には貞観津波の数倍の津波堆積物層が確認されている。倍数に比例する巨大津波が襲ったということだ。この度の大震災では,絶対安全と言われた岩手県田老町の高さ10メートルの堤防が脆くも流された。この安全値は,明治の三陸地震津波,チリ地震津波から割り出したものだろう。紀元前にはもっと巨大な津波の痕跡があるし,震源,方向,海底の地形,大潮等の気象条件等を考えれば,絶対安全値を設定することは絶対不可能だ。とすれば,“津波てんでんこ”の教えを守り,まずは避難優先とし,次善に絶対安全な避難場所をスポット的に整備し,海岸堤防は費用対効果を考え,せいぜい100年確率,高さ5メートル程度に抑えたいものだ。大地震の時はスタコラサッサと逃げるのである。そして津波により経済活動に支障をきたしたときに備え,補償基金を創設して,損害補償をするのである。基金の財源は堤防高を抑えて生み出した工事費倹約の範囲とし,もちろん全額国費である。こらからでも遅くはないと思うがどうだろうか。
3.今回の大震災とは直接的な話ではないが,私は大震災数年前の数年間,県の催事施設「夢メッセ」の管理団体理事長をしていた。その在任中,震度4弱の地震に2度見舞われ,こともあろうに2度被災した。夢メッセは東北最大の催事場で,催事の規模に応じ間仕切壁で仕切り,3分割して利用できる仕様である。間仕切用の梁の上部には,揺れ防止仕掛けはあるものの,防音,防災,採光のため巨大な板ガラス36枚が横一列に屋根の構造鉄骨から吊り下げられていた。震度4弱の揺れでそれら吊ガラスが相互に干渉し合い,拳大のガラスの破片が数十個落下したのである。催事のない日であったのが幸いした。しかし,ことは深刻である。県をはじめ建設当時の設計及び施工業者等5者を集め原因究明の会合を持ったが,各者責任のなすり合いに終始, 結論を得ないまま数百万円の県の費用で補強・復旧修理をすることになった。私は「催事場のような不特定多数が集まる施設に,巨大な吊ガラスのような危険極まりない構造物を設置するのは設計思想上誤りだ」と主張したが,悔しいことに無視された。この時の専門家達の言い分は,「吊ガラスは構造物(体)の付帯物で構造物そのものではない,構造物(体)には建築基準法等法令上の厳しい規制がかかるが付帯物にはかからない。しかし,構造体と同じく震度6弱にも耐えられるように設計計算をした」ということであった。それなら何故落ちたのだと質したが水掛け論であった。それから丁度一年後の深夜,前年同様震度4弱の地震があり,前年同様の箇所,規模で吊ガラスが破損,落下した。私は即座に独断で東西2列の吊ガラス72枚を夢メッセの費用で撤去することを決断,前出の設計施工業者に協力を依頼,電光石火,昼夜兼行2日の作業を強行した。それにしても,構造体と付帯物は一体のものでないから,付帯物には法令の適用がないというのはおかしい。重要な付帯物に限ってでも法令上の整合性を取ってもらいたいものだ。
 このころ,国交省港空研の職員が調査に来たので法令の不備を指摘,改正を要望したが,その後どうなったかは知らない。
 そしてこの度の東日本大地震,震度6強から震度7の烈震,夢メッセは催事開催中でおよそ1000人の来館者で賑わっていたことを思えば,私の決断は絶対正しかったと自負している。




 
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