有限会社 三九出版 - 〈花物語〉  芥 子 菜 の 花


















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            〈花物語〉 芥 子 菜 の 花

                    小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)

 芥子菜の花は可憐だ。春,黄色い小振りの十字花をつける。葉は辛み
があって塩漬けにする。種子を粉末にしたのが辛子である。別種のセイヨウカラシからはマスタードが作られる。辛子もマスタードもよく知られているが,われわれが花を眼にすることは寡ないだろう。
辛子はわたしにとって命の恩人だ。わたしは生後一年の間に三度肺炎にかかり,三度目は医者に見放された。母は諦め切れずに必死に手を尽くしたという。その魔法が辛子の湿布。小麦粉に辛子を混ぜてペースト状にしたものを折り畳んだガーゼに塗り,それをわたしの胸に貼る。その上にタオルを巻き,湿布が熱を吸収して乾くと,同じことを繰り返す。
その単純な作業と母の執念がわたしを救ったのだが,のちにこの出来事は母の錦の御旗となり,わたしが悪さをすると,きまってこのときの苦労話をもちだした。つづく言葉は「あの時,死なせておけばよかった」
であった。子は母の嘆息のまえに身を縮めるだけだった。
春に旅をしていて芥子菜の花が咲いている畑に出合うと,唐突だが,中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」を思い出す。一生を明治の女として生きた母は凛乎とした姿,ときに可憐な姿も見せたが,それはたとえれば辛みを内に秘めた芥子菜の十字花そのものであったような気がする。母が逝って八年。思い出すことも尠くなった。



               

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