有限会社 三九出版 - 悠々自適は青年も熟年も自らが作る成果なり


















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〔新作●現代ことわざ〕
            悠々自適は青年も熟年も自らが作る成果なり


                           
                     手嶋 英之(愛知県豊田市)

 定年退職を迎えたころから頻繁に聞かされる「悠々自適」の言葉を,現役引退後の暮らしに対して用いられる言葉と誤解していました。
 定年退職後は勤め先の拘束時間に縛られることなく呑気でいても,急がなくてもいい時間(悠々)は増えている。しかし,この時間が満足感あふれる自分の欲する(自適)時間なのだろうか。定年後は報酬のある仕事に拘束されることは無くなったが,地域はじめ,仲間,友人から,あれこれと依頼事や誘いが舞い込むがどれも結構厄介なことも含まれる。断ればよいのだが,これまでの恩返しと思えばそうばかりもいかないものもある。こんなに忙しくても悠々か,内容も自適ではないぞ。
 悠々自適はどこにあるかと探してみると現役時代にたくさんあったではないか。GW,夏季、年末・年始または土日祝の休日の中にこそ悠々自適と呼べる時間が幾度もあったように思える。もちろん今振り返ってのことだが,健康で体力があり無理が利き,子育ての苦楽があった。もちろん仕事も。その目まぐるしさの中にGW他休日のなかにちょっとばかりの非日常的な時間,たとえば家族そろっての帰省,旅行,同窓会,ゴルフプレイなど忙しさを縫っての行動だが,身近なところのちょっとした呑気さと,自分の欲するままに過ごした時がまさに悠々自適状態ではなかったか。これらは暦にのっとりほぼ定期的にやってきて,人生に節目と活力を与えてくれた。暦という日本人の知恵に感心するとともに感謝である。
 定年後,「悠々自適な毎日ですか」とよく言われるので,現在悠々自適かと自問すれば「そうでありそうだけれど,実感はない」。 かつて多忙の中では機会の多くは暦の影響を受けたが,中身は自らが工夫し行動して作った悠々自適体験であり,自分の努力の成果といえる。定年後は,急がなくてもよい時間(悠々)と好きにしていてよい(自適)時間が常時存在しているところに問題がありそうだ。自ら努力して非日常を作り出さなくてはやってこない。竹は節により自立し横風にもしなやかである。人生も節が必要だ。節目を作り悠々自適状態にするには,若い時よりちょっとだけ強い意識と努力,加えてほどほどの筋肉痛とか疲れが伴うことを覚悟し,悠々自適を手に入れよう。面倒くさいとか,やるのは大変だ的な思考を減らすことを誓いましょう。






 
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