有限会社 三九出版 - 百聞は一見に如かず


















トップ  >  本物語  >  百聞は一見に如かず
☆東日本大震災私は忘れない

             百聞は一見に如かず

            坂 脩二(愛知県名古屋市)

平成23年3月11日にあの忌わしい東日本大震災が発生しました。震災の詳細につきましては,私が云々言うよりも本誌の読者皆様の方がよほど詳しくご存知のことと思いますので,省かせていただきます。
今回私がこの紙面をお借りしてお知らせしたいことは,自分自身に対する反省の弁です。早い話が言い訳です。未曾有の大震災が発生した時に,何も思わなかったというほど非情な人間ではありません。それなりに僅かずつではありますが寄付もさせていただきました。現地へ行って,ボランティアの真似事でもしたいなと思ったこともあります。でもそう思う反面,こんな年寄りが行ったらかえって足手まといになり,迷惑を掛けるのではないかという,自分に都合のよい言い訳が出てくるのです。
ところがある時,何も現地に行って瓦礫の片付けや被災者の話を聞くだけがボランティアではないんだよ,実際に現地に行って地酒を飲み,現地の食材料理を食べる,お土産の二つや三つを買って帰ってくることも立派なボランティアになるんだよ,という言葉を聞き,成程,そういう考えもできるのか,これなら自分にもできるな,ということで,昨年の秋,盛岡・宮古に行ってきました。
ところが実態はそんな甘いものではありませんでした。当然ある程度の予備知識は持って行ったつもりでしたが,とてもそんな生半可な知識で対応できる状況ではありませんでした。自分の甘さがつくづく嫌になりました。
バスで移動中にガイドさんがいろいろ話をしてくださるのですが,只々,エッ‼,ウソーという言葉しか出ませんでした。「百聞は一見に如かず」とはよく言いますが,これほど聞くと見るとで大違いという言葉を体験したのは本当に初めてでした。
でも,当初抱いていた「何もできない。何の役にも立たない」という鬱屈とした気持ちは何となく払拭されたような気がしました。正直言って,行けば現地の人と話もするし,少しですが地酒も嗜む,料理もいただくということで,自分なりにこれでよかったのかなと思えるようになりました。もちろん,一度行ったからそれでよしというものではないことは百も承知しております。二度三度と足を運ぶことによって,絆も深まれば,忘れない・忘れてはいけないという気持ちが強まるのではないでしょう
か。
まだ仮設住宅で生活されている方も見られました。福島第一原発の事故で以前住んでいた土地に戻ることができない方々も多数おられます。皆様が一日も早く元に近い生活に戻れますことをお祈り申し上げております。
ここからは冒頭に述べた反省の弁とは関係のない話ですが,私が聞いたことで心に残っている話を紹介させていただきます。ラジオで聞いた話ですので詳細な場所とかははっきりは覚えておりませんので抽象的になってしまいますが,悪しからずご了承ください。
東日本大震災の時の津波の話です。ある地区では常日頃から,地震が起きたら裏山に逃げなさい,自分の命を守るのは自分しかいないのだから他人のことは構わないでよいと,親は子に教え,子は親に教えられてきたそうです。あの3.11にも父は海辺で仕事をしていたそうですが,地震後直ちに軽トラックで近くにいたお年寄りを乗せて,家に娘さんがいることは分かっていましたが,自宅には目もくれず目的の裏山へ車を走らせました。娘さんも日頃の教えを守り,裏山へ走って逃げ,父娘無事に再会できたそうです。
また,ある小学校では日頃から避難訓練が徹底されており,地震が起きた時,先生の指示を仰ぐのではなく,児童が自発的に高台へ向かって駆け出し,全員無事だったそうです。
これらの話はお互いの信頼関係の上に成り立っているのでしょう。親は娘を,娘は親の日頃の教えを信頼し全うしたのです。小学校の先生と生徒の関係も同じです。

今年もあとわずかであの忌まわしい日がやってきます。皆さん,一人ひとりがあの時のことを心に焼き付けて,少しでも役に立てるように頑張りましょう。あの悲惨な出来事を絶対風化させないようにすることが,今私たちのできる一番大切なことではないでしょうか。
投票数:11 平均点:10.00
前
巨大災害への備えは心である
カテゴリートップ
本物語
次
ドン・キホーテの町・マドリッドの国際会議

ログイン


ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失