有限会社 三九出版 - 人事を尽して天命を待つ


















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〔新作●現代ことわざ〕 

             人事を尽して天命を待つ 

            橋本 克紘(神奈川県大和市) 

厳しかった残暑が去り秋競馬のシーズンが到来した。10月2日,パリ近郊のシャンティイ競馬場で第95回凱旋門賞が行われたが,期待のマカヒキは14着に終わった。渡仏前に,高温多湿と表現される日本の夏特有の気候の影響を受けたのではないかと推測される。一方,日本ではその2週間前,中山競馬場でセントライト記念が行われ,二ノ宮厩舎のディーマジェスティが1着し根本厩舎のネイチャーレットが4着した。菊花賞はじめ今後の活躍が期待される。
酉の市は晩秋の11月の風物詩である。昔日を想起する。1969年の新宿花園神社の一の酉に父は掌サイズの小さな縁起熊手を2才年下の弟,輝雄叔父に贈った。ご利益の為か約10日後の11月16日に叔父の管理馬アカネテンリュウが菊花賞を制した。それ以来,父は毎年熊手を贈ることにしたようだ。市に並ぶ露店には熊手が小から大へ順に下から上へびっしり並べられている。熊手は買う毎に一回り大きいサイズにするのがしきたりだそうで,父が求める熊手が露店のテントの天井に飾られている大きさに達した時,父は私を呼び寄せて大きな熊手を求めた。商いが纏まると三本締めの手締めで売り手や周囲から祝福される。これがとても気恥ずかしい。更に父から熊手を叔父の厩舎へ届けるように頼まれた。新宿から東府中まで京王線で身の丈程の熊手を厩舎まで運ぶのには一寸勇気が要る。私を呼び寄せた父の計略がようやく解った。
アカネテンリュウの同期にはリキエイカン,メジロアサマ,トウメイなどの強豪がいて大活躍した。中でもトウメイは,牝馬ながら1971年の秋の天皇賞でアカネテンリュウに先着して優勝し,馬インフルエンザ騒動でアカネテンリュウが急遽出走を取り消した同年の有馬記念にも優勝した印象深い1頭である。有馬記念への出走を断念したアカネテンリュウは翌1972年も東京新聞杯に1着するなどしたが,トウメイは流感に罹ったためこの有馬記念が最後のレースとなった。
トウメイの代表的な産駒,テンメイは1978年秋の天皇賞を制し史上初の母子天皇賞制覇を成し遂げた。前述のように1969年の菊花賞はアカネテンリュウが制した。その約1月後叔父に直前の心境を聞いたことがあった。「‘人事を尽して天命を待つ’心境だった」と答えてくれた。文字通り‘テンメイ(天命)を待つ’結果となった。 
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